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目ざめよ! 1973
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大阪で行なわれた歴史的なバプテスマ

大阪で7月25日から29日にかけて開催された,エホバの証人の「神の勝利」国際大会における多くの興味深いでき事の中でも,土曜日の朝に行なわれたバプテスマは疑いなく最も顕著なもののひとつでした。

バプテスマはエキスポ70(1970年万国博覧会)のあやめ池で行なわれました。池の水は非常に少なくなっていましたが,万博会場の当局者は親切にも何千㌧もの水を注いで水位を上げてくれました。ですから,わたしたちは理想的な場所である屋外に,バプテスマを行なう所を得ました。それは大会の主会場のすぐそばでした。この大会でバプテスマを受けた人の数は,ひとつの大会でバプテスマを受けた人の,日本におけるそれまでの最高数の2倍でした。それは1971年の東京大会における879人でした。「神の勝利」大会でバプテスマを受けた人を合わせると,今年,日本でバプテスマを受けた人は,3,672人になります。昨年の最高数は2,570人でした。これは,エホバの証人の業が現在日本で成し遂げつつあるすばらしい成果を表わすものです。

長田喜代子という名のある婦人は34年前に中国の台湾省に住んでいた時,近所の人から聖書の証言を聞きました。その後まもなく,その婦人は引っ越して音信はとだえてしまいましたが,長田さんはこの隣人の親切な態度をしばしば思い起こしました。今から1年半ほど前,長田さんは日本の沼津のある病院の待合室にいました。そしてその時,そばに座っていたある婦人が患者のひとりに「真理」の本を用いて証言しているのに気づきました。その話は30年以上も前に彼女が台湾で聞いた話と非常によく似ていました。そこで長田さんは,「あなたはエホバの証人ですか」と尋ねました。エホバの証人に再会できたことを喜んだ彼女は,すぐに集会に出席しはじめました。6か月間聖書を勉強した後,彼女の内には非常に強い関心がわき起こり,仕事上の知人100人のために贈り物として雑誌を予約しました。仕事に非常に多くの時間を費やさなければならなかったため,彼女は店を売って霊的な事がらにいっそうの努力を傾けることができるようにしました。1973年6月に,彼女は戸別に良いたよりを宣べ伝え始め,大阪大会でバプテスマを受けました。奉仕を始めた最初の月に,彼女は52時間の野外奉仕と27の再訪問を報告しました。

岡本重子という名の75歳の奉仕者は,86歳になる池上豊子さんと聖書の真理を勉強しました。86歳のその婦人は,それまで持っていた観音像を捨て去った後,1973年1月から王国伝道者になりました。彼女は聖書研究を通して,エホバが真の神であり,観音よりも強いということを知りました。その老婦人は「神の勝利」大会でバプテスマを受け,今ではエホバに奉仕しています。

1972年に,エホバの証人のある姉妹が,アメリカ,ユタ州のソルト・レーク・シチーに住む81歳の母親玉木千代さんを訪問しました。その姉妹は母親のもとに滞在していた2週の間毎日,真理のことだけを話しました。その努力は実を結びました。というのは,滞在の最後の日に,母親は仏陀のことを忘れて,「真理」の本を勉強することを決意したからです。そしてこの,1973年の7月に,日本の「神の勝利」国際大会でバプテスマを受けるために,玉木夫人はソルト・レーク・シチーからはるばる大阪にやって来ました。

今回バプテスマを受けた人の中の最年長者は88歳の姉妹でした。

バプテスマを受けた若い人びとの多くは,献身した親によって幼い時から聖書を教えられて来ました。たとえば,そのうちのひとり福田秋子姉妹は3歳の時に「楽園」の本の絵を見ながら真理を学び始めました。

久留米市の池上さんは,3人の孫たちが聖書について彼女に話し始めるまでは熱心な仏教徒でした。聖書に対する孫たちの熱意を見て,彼女は,聖書は正しく,真の神はエホバである,と確信するようになりました。今では,彼女のふたりの孫は開拓奉仕に携わっており,86歳の彼女は宗教を変えて,真の神エホバを崇拝しています。池上夫人はこの大会でバプテスマを受けました。

東京の蒲田に住んでいる宮石家族には10,12,13歳の3人の娘がいます。そして,これら3人の娘たちはこの大会でそろってバプテスマを受けました。彼女たちは正規開拓者である両親によって幼い時から聖書を教えられてきました。10歳の姉妹は今では,小学校5年生の級友8人を相手に4つの家庭聖書研究を司会しています。父親はこの大会で16万8,317食以上もの食事の準備を担当しました。しかし8月には,3人の娘たちも初めて一時開拓奉仕を行ない,家族全員が開拓奉仕に忙しく携わりました。

神戸市須磨区に住む佐藤夫人は,今から23年前に宣教者から初めて真理を聞きました。その時,彼女は仏教に満足していました。そこで,彼女は宣教者を自分の息子に引き合わせました。息子は聖書をよく勉強し,日本における戦後最初の開拓者になり,ギレアデ学校に行き,……休暇で家に帰る時にはいつも母親に証言をしていました。ついに世界情勢に考えさせられた彼女は,聖書研究をしてはどうかという巡回監督の勧めに応じました。佐藤夫人は急速に進歩し,「神の勝利」大会でバプテスマを受けました。

東京の近くの船橋市に住んでいる別の佐藤夫人は79歳です。彼女は過去5年の間,娘やふたりの孫が真理について語るたびにそれに耳を傾けてきました。時を経るにつれて,これこそほんとうに真理に違いない,と考えるようになり,今や,おおぜいの若い人を含む他の何百人もの人びとに加わって,大阪大会で献身を象徴しました。

川崎・西会衆の高橋謙三夫妻はおない年で71歳です。このご夫婦はそろってバプテスマを受けました。1年前にバプテスマを受けた息子がふたりを真理の側に立つように助けました。「妻は創価学会にはいっていたので,それから抜け出すのに大変な努力を払いました」と高橋兄弟は語っています。彼女を組織に留めようとして,創価学会員が何度も家にやって来ては彼女を取り囲んで説得しました。しかしついに,彼女は創価学会から離れることができました。「妻が創価学会にはいった時,私もそれに入れようとしましたが,私は創価学会には関心がありませんでした。今では,私たちすべてがエホバ神に献身しており,現在は私の人生の中で最も幸福な時です」。

福井市の井野一郎兄弟は同兄弟の属している会衆でバプテスマを受けた9人の兄弟姉妹のうちのひとりでした。しかし,兄弟は車いすに乗って水ぎわまで連れて行ってもらわなければなりませんでした。兄弟は10年ほど前からからだが不自由です。彼は現在の世界の状態にうんざりしていました。ですから,1972年3月に初めて真理を聞いた時,すぐにそれを真理と認めました。彼は新秩序の到来とそのもとで再び働けるようになることを待ち望んでいます。戸別訪問の奉仕をする時には,兄弟は車いすで近づける家で証言をし,多くの場合他の伝道者がいっしょに働いて,家の人に外に出てきて彼と話をするように勧めます。

東京近郊および沖縄に駐留しているアメリカ軍の軍人の妻も数人バプテスマを受けました。夫が東北の三沢米軍基地に配属されているアメリカ人のある姉妹は現在14人の人と聖書の勉強をしており,そのうちのひとりはバプテスマを受けるために1,000㌔以上も離れた大阪に彼女といっしょにやって来ました。

沖繩の那覇市に住んでいる47歳になる嘉数菊姉妹はこう語りました。「私が感心したのは証人たちのふるまいでした。そこで私は,王国会館に行って,そこで行なわれる事がらを見ることにしました。私は6人の子どもを連れて会館へ行きました。それは1968年のことでした。1969年までには,3人の息子は神に献身するほどにまで進歩し,東京の後楽園大会でバプテスマを受けました。でも私を見てください。今までかかりました。でもなんとかまにあいました」。

茅島成子夫人には,大会が終わって札幌(西会衆)に戻る時どんな事態が待ちうけているのか予測さえできません。「夫は,もし私が大会に行くのなら,帰って来た時に離婚されるつもりでいろ,と言いました。夫は,1972年5月に私が聖書の勉強を始めた時以来ずっと反対しています。私が集会から帰ると,夫は戸にかぎをかけて入れないようにします。でも,私の3人の子どもたちは,私が正しいことをしているのを知っており,いつも私を支持してくれます。私は子どもといっしょにこの大会を楽しんでいます。大会の後どんなことが起こるかは,ただエホバに委ねるほかはありません」。しかし,バプテスマを受けた姉妹として,今や彼女は以前にもましてしっかりと自分の問題を扱えるに違いありません。

大垣市に住む62歳の広瀬まさえさんは次のような経験を語りました。「お話しするのも恥ずかしいことなのですが,何年か前に私の娘はアメリカのある軍人と結婚しました。しかし幸いなことに,娘夫婦はアメリカでエホバの証人と接しました。娘はしょっちゅう,日本のエホバの証人と聖書を勉強するようにという手紙をよこしていました。そして,1969年の東京大会のさいには,娘は6人の子どもを連れてはるばる日本にまでやって来て,聖書を勉強するようさらに私を励ましました。しかし,私をほんとうの意味で動かすものとなったのは娘の死でした。娘は7人めの子どもの出産のさいに死にました。私は突然,復活の希望がいかにすばらしいものかを認識しました。今私は,新体制のもとで娘に再会できることを待ち望んでいます」。

バプテスマを受けた人びとの中に,日本海に近い新発田市に住んでいる16歳の高校生,伊藤三代子姉妹がいました。彼女はこう語りました。「私の家庭は非常に複雑で,私は将来に対してなんの希望も持っていませんでした。ですから,私は自殺しようと考え始めました。しかしそうする前に,教会に行って,そこで何かの希望を見いだせるかどうかを調べてみようと決意しました。近くの教会を捜して歩いていた時,私はこちらに向かって歩いてくる婦人を見ました。しかしその婦人は私のところに来る前に曲がってしまいました。とっさに,私は,良い教会のある所を知っているかどうかその婦人に尋ねようと思って,彼女のあとを追いかけました。偶然にも,その婦人はエホバの証人の開拓者でした。彼女は聖書のことを私に話し,ちょうど集会に行くところでしたので,私をそこへ連れて行ってくれました。すぐに,彼女は私と聖書を勉強する取り決めをしてくれました。その日はなんとすばらしい1日だったのでしょう。その時から,真理は私に確信と,将来の希望を与えました。私はエホバ神の導きに感謝しています」。

この大会でバプテスマを受けた11歳の女生徒は,担任の教師に証言する機会を得た後に,心の中で神に対して献身できるようになった,と語りました。献身の問題が持ち上がり,徹底した証言がなされた後に,彼女は教師と聖書研究を取り決めることができました。エホバはご自分の霊によってこの少女の研究の司会を助けました。彼女は以前にもまして霊的に強くなり,自分の命をエホバに捧げたいと願うようになりました。

9歳の鈴木直子姉妹も12歳の兄さんといっしょにバプテスマを受けました。この少女は3つの聖書研究を司会しています。そのうちのひとつは幼稚園に行く年ごろの子どもたちとの研究で,他のものは9歳になるふたりの級友との研究です。この少女は,小学校一年(6歳)の時,給食で出される血の抜かれていない鯨肉を食べないという確固とした立場を示すことが必要となり,先生からひどくしかられました。今彼女は,8月に一時開拓者として奉仕することを待ち望んでいます。この少女の父親は京都・長岡会衆の主宰監督です。

バプテスマを受けた人びとの中に,東北の福島県原町に住んでいるある姉妹がいました。夫はよく彼女を集会に行かせまいとして,手を広げて玄関のところに立ちふさがりました。もちろん夫は,彼女が「神の勝利」大会に出席することを認めませんでした。そこで彼女は神権的な策略をめぐらして,まず最初に近くの伝道者の家に行き,次いでみんなといっしょに大阪に行きました。しかし彼女は,大阪大会の間自分が滞在している住所を書いて,夫のもとに残しておきました。大阪に着いてまもなく,彼女は,「父死す,すぐ帰れ」という電報を受け取りました。そこで,彼女は父親のいる北海道まで長距離電話をしたところ,父親は健康で元気にしていることがわかりました。夫の計略は失敗しました。彼女は夫に手紙を書いて,自分は大阪に留まり,豊かに準備された霊的食物を受けて帰るつもりであるという強い決意を表明しました。家に帰る時に激しい反対が予想されますが,彼女はこの大会で喜びのうちにバプテスマを受けました。

大会中の土曜日の晩,関西テレビはバプテスマの様子を放映しました。

わたしたちには,バプテスマを受けた1,566人全員の興味深い経験や背景をすべてお話しするだけの紙面がありません。彼らのひとりびとりは,自分がどのようにして聖書の中に真理と希望を見いだし,真の神エホバに全く献身することができるようになったかを説明する心暖まる話をしてくれます。これら1,566人はみな神の義の王国の側に立場を定めたことによって祝福を受けるでしょう。引き続きすべてのみなさんが強固な信仰を築き,最後には,復興した楽園のもとで喜びの生活を享受されますように。

[26ページの写真]

あらゆる年齢,国籍の人が大阪でバプテスマを受けた

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浸礼場に向かう新たに献身した“兄弟たち”

新たにバプテスマを受けた“妹姉たち”に喜びのことばをかける,ものみの塔協会の副会長F・W・フランズ

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