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目ざめよ! 1976
目76 3/8 25–26ページ

正義を求める誠実な願いは報われる

日増しに悪化する社会の情況を経験する人は,自分たちの力でなんとか事態を改善したいと思うものです。そうした動機となるものは人の正義感ですが,ほとんど報われる場合がありません。しかし,今日それらの人々の多くが,この腐敗している社会を真に改革する方法を聖書から学んで,正義を愛するその気持ちに満足感を持つようになりました。九州に住む二人は,いわば反対の立場で憤りを感じていた人でしたが,それぞれが見いだした結論は同じものになりました。ひとりの若者はこう述べています。

「私は大学に入るとすぐに,学生運動の活動家たちと知り合う機会が多く与えられました。高校時代まで新聞やニュースでそれらの事が多く報道されていましたので,少なからず興味を覚えました。社会の矛盾や権力者の横暴,そして資本家の搾取が見られるこの体制を打ち壊して新しい平等な社会を建設すること,そうしたことをしたいと思いました。そして遂には,完全武装をして,つまりヘルメットをかぶって顔をタオルで覆い,腹にはさらしを巻き,手のすねには竹で作ったこてを付け,竹ざおを持ってデモに参加するようになりました。

「しかしある時,ふと次のようなことに気付きました。そのデモは何の効果を果たしているのだろうか。機動隊との衝突あるいは内ゲバだけではないだろうか。このような事は新しい社会の建設に役立っているだろうか。人を変化させるだけの訴えができたのだろうか。それとも批判を買っているだけだろうか。自分は家族の者たちを悲しませているのではないだろうか。また,自分もこの社会の悪の一担をになっているのではないだろうか。口ではりっぱなことを言いながら自分の行動に人からの批判を受けないでいることができるだろうか。こうした疑問が次から次へと浮かんできました。そのように考えてゆくうちに,『自分は何のために生きているのだろうか』という大きな問題に突き当たりました。それで大学を休学し,本を読みあさりましたが,この疑問は解決するどころかいっそう難しくなりました。結局,生きることには目的はないようでした。みんな自分を欺いて生きているようでした。それで生きていることがひどく空しく,いやになりました。

「そんなある日,1973年3月に聖書の伝道者に会いました。その時はそれほど重要なことのように思われませんでしたが何か暖かいものを感じました。それでよく話を聞き,『ものみの塔』誌を予約しました。そしてその伝道者は次の週に再び会うことを決めて帰りました。次の週に私はその事をすっかり忘れ家に居ませんでしたが,『来たけれども留守だったのでまた来週来ます』という紙切れが家に置かれていました。それを見た私はそれが何か重要なことのような気がして次の週を待ちわびました。そしてその日に,近くのエホバの証人との研究が取り決められました。

「しかし最初から大変反発しました。自分を絶望させ人を信じなくさせたマルクス主義とそっくりに感じたからです。それで証人に会うたびに彼女を悲しませましたが次の週には必ずまた来られるのです。これには私も驚き,その活動のエネルギーの源を知りたくなりました。

「こうして研究が進むにつれ,マルクス主義と聖書の考えとの違いがはっきりしてきました。それは,不完全な人間が自分の力で完全なものを作り出せるという夢と,完全な神が不完全な人間に完全なものを与えるという証拠のある現実,という違いです。しかしそれが偽りではないと感じさせてくれたのは,エホバの証人の私に対する関心と愛でした。

「でも私には克服しなければならない大きな問題がありました。それはたばこの問題でした。多い時には一日3箱ぐらいすっていた私は,少なくすることはできるのですが,いざやめるとなるとなかなか出来ませんでした。しかしそれが出来たのは,バプテスマを受けたいという願いと祈り,誘惑の多い交わりを出来るだけ避けたこと,アルコールを控えたこと,そして自分の部屋を禁煙にしたことでした。私は昨年1月のエホバの証人の佐賀大会でバプテスマを受けることが出来,それは私を大きく変えました」。

もうひとりは同様に社会の不正に対して永年の間憤り,自分の力で「正しい社会」作りをしようと考えていました。次のように述べています。

「今から25年程前でしたが,国税局の調査官をしていたころ,私はかなりの脱税を発見して『正しい社会』作りに自分なりに貢献しているつもりでいました。たまたま東京に出張した時,ちょうど学生たちの過激なデモがあり,何の関係もない第三者がこのデモ騒ぎから多大な迷惑を受けたことに言い知れぬ憤りを感じました。同時に,学生たちの主張しているように,政治の腐敗ぶりにもその責任があると思いました。いずれにせよ,これをこのままにしておくと日本の存亡に大きく影響する危険を感じました。それで,当時自衛隊に勤務していた友人と共に悲憤慷慨して,最も良い時期に一大蹶起する約束をしました。

「日増しに激しさを加える学生運動に対して,政府は何らなすすべを知らずにただ傍観しているように見受けられました。それは私にとって正に『時至る』という感じでした。それで再会を約束した友人に速達で,『至急,革命に動員できる兵力を知らせて欲しい』という内容の手紙を出しました。その返事は次の通りです,『ばか,バケツの水で頭を冷やせ』。友人に裏切られた私は,何とか一人ででも,初心貫徹を図る方法はないものかと日夜悶々の日々を送っていました。

「そんなある日,玄関で女性の声がしました。応対に出た妻が何か断っているようでしたが,突然次のようにはっきりした声がしました,『これは何が本当の正義であるかということを聖書に基づいて,分かり易く説明した本です』。『その本はおれが要る!』 私は思わずどなりました。当時の私の気性は激しく言葉も乱暴でしたので,そのような言葉を口にしたことを今でも覚えています。

「私が聖書の真理を学び始めてから理解するまでには随分と長い時間がかかりました。また度々司会者と衝突しました。腹を立て,何回も『もう帰れ』とどなりました。それでも司会者の奉仕者は毎週定期的に訪問してくださいました。司会者のそのような愛と熱心に,今も感謝しています。

「司会者は常々,だれに言うともなしに,『大会に出席してくだされば羊のような人かどうか早く分かるのに』と言っていました。私はその都度,『ばかなことを言う』と思っていました。唐津でエホバの証人の巡回大会があった時,司会者はもちろん巡回奉仕に携わっている監督まで来てくださり,招待してくださいました。私は半分面倒くさいという気持ちで出席して,驚きました。出席者のすべての振る舞い・態度を見て,『これは私が探している人々だ』と思い,三日間続けて出席しました。そして真理を学びたいという気持ちが起きました。最近では妻も,私がしたように抵抗しながらも少しずつですが,真理に関心を示し始めました。一日も早く妻が,『姉妹』と呼ばれる日を楽しみにしています」。

確かに聖書は,あらゆる人々が望んでいる,「正義」がやどる新しい秩序が間もなく訪れることを示しており,その真理は老若の区別なく,それを受け入れる人に真の解決策を提供しています。

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