沼津で開かれている王国宣教学校
「あなたがたは,自分の歩き方をしっかり見守って,それが賢くない者ではなく賢い者の歩き方であるようにし,自分のために,よい時を買い取りなさい」。(エフェソス 5:15,16)ものみの塔協会の沼津支部で今開かれている王国宣教学校に出席しているエホバの証人の長老たちは,確かに聖書のこの諭しに従っています。
王国学校とは,エホバの証人の会衆を監督している長老たちのための学校で,1959年3月にアメリカ,ニューヨーク州で開設されました。日本では1961年4月に最初のクラスが始まり,以来,延べ1,425人の人々がこの学校に出席して益を得てきました。この学校の教科課程では,聖書の教理,一般の人々に良いたよりを分かち合う業,また仲間のクリスチャンを世話する業などが扱われ,長老たちは,一日6時間の授業を受け3時間の予習を行なうことにより,自分たちの責任と特権を果たしてゆくための徹底的な教育を受けます。
この学校に出席する人々の大半は,家族を持ち世俗の仕事を持っていますが,時間を仕事に『売る』のではなく自分と会衆のために『買い取って』,仲間のクリスチャン証人たちを世話するための教訓を2週間にわたって学ぶために経済的な犠牲を払いまた仕事を失う恐れを克服して出席し,エホバ神への信仰を表明しています。一人の長老はこのように語りました。「2週間休ませてくださいとはなかなか言えませんでした。この不景気のために,会社は合理化を図り人員を整理しましたし,12月は特に忙しい時期です。仕事を終えて帰宅し,妻に『今日はお話しになりましたか』と尋ねられ,『言えなかったよ』と答える日が数週間続きました。ある日,強い決心のもとに所長室を訪ね,『ご相談があるのですが……』とおそるおそる話しました。すると『どうせ宗教のことだろう』と言われたため,思い切って2週間の休暇を申し出ました。しかし『心配しないで行ってきたら良いではないか』との意外な返事があっさりと返ってきたのです。『帰るまで机を残しておいてくださいね』と冗談を言えるほどなごやかな雰囲気の内に休暇の許可を得て,エホバの導きによって出席することができました」。しかしある人々は仕事をやめて出席しました。これら長老たちは会衆の人々に「自分の魂をさえ分け与えることを大いに喜びと」しています。―テサロニケ第一 2:8。
ここで学ぶ聖書の知識が豊富なことは一人の長老が一日目の授業を終えた時に思わず語った次の言葉に表わされています。「こんなに多くの知識をどうして学ぶことができるだろうか! 2週間が経過したら私の頭はどうなってしまうだろうか!」 しかし日を追うにつれて教育課程への認識と感謝が深まり,聖書全体の一貫した知識を得,その知識を会衆の人々のために活用したいとの意欲に満ちて帰途につくのです。北海道から九州・沖縄まで日本全国からの出席者の中には,長い旅行のために相当の出費を要する人々もおり,日ごろ全時間の伝道者として大部分の時間を伝道の業に費やしている人もいます。しかし,それらの長老の交わる会衆が出費の負担を申し出て,「学んだ知識を私たちに分け与えることでこの出費を返してください」と述べ,王国宣教学校の価値に深い認識を示しているところもあります。そうです,沼津で開かれている学校の益は日本全国に及んでいるのです。
学校の生徒である長老たちは,イエス・キリストに見倣う自分たちの主要な業が,王国の良いたよりを宣べ伝えてキリストの弟子を作ることであることをよく認識しています。三人の子供を持つ一長老は現在妻とともに正規開拓奉仕(全時間の伝道奉仕)に携わっています。バプテスマを受けたのち1973年にその開拓奉仕をすることを決意し,仕事の調整を図って1974年11月から開始しました。その後世俗の仕事の面でエホバの導きが何度もありふさわしいパートタイムの仕事が与えられています。ベテル家族との昼の食卓で自分の経験を話したこの兄弟は「正しい願いと計画そしてエホバの祝福がこの奉仕を可能にしました」と結論で述べました。食卓で話されるこのような経験談はベテル家族や他の長老たちに励みと楽しさをもたらしています。64歳で学校に出席した一長老はたばこをやめたことに関する自分の経験を話して皆になごやかな笑いをもたらしました。「40年間続けてきたたばこをやめねばならないことを聖書研究において知り,たえずその面での助けを祈り求めた結果,禁断症状も経験することなくやめることができ,そのさわやかさをエホバに感謝しました。しかしある日何気なくたばこを吸ってしまい,なぜ吸ったのか,どうしてこんなことをしてしまったのかと悔いている時に睡眠からさめ,ああ夢で良かったとうれしさを感じ,たばこをやめることで二度もさわやかな経験をさせてもらったことを重ねてエホバに感謝しました」。
王国宣教学校には,聖書を学ぶ意欲と喜びが満ちています。教訓者が生徒たちを観察した言葉をお聞きください。「どのクラスも誠実な努力家の集まりです。生徒たちの学びたいという意欲をひしひしと感じて私自身非常に励まされています。この誠実さと熱心さは彼らが交わる会衆にとって祝福となるに違いありません」。この学校に出席した長老たちは「賢い者」として歩んだその良い報いをたしかに刈り取っています。少なくとも将来一年間は続くこの学校は,日本でのエホバ神の清い崇拝の繁栄に大きく貢献することでしょう。