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目ざめよ! 1978
目78 7/8 25–27ページ

私たちの信仰の試練となった悲劇

その男の子は私たちにとって初めての子供でした。私たちはその子をミカ・ナタナエルと名付けましたが,それはその名にすたれることのない美しさがあるからというだけではなく,その名の意味する事柄を考えてのことでした。ミカには「エホバのような者はだれか」という意味があり,ナタナエルには「神から与えられた」という意味があります。

私たちは大きな期待に胸をふくらませて子供の誕生を待っていました。そして今や,本当に子供を抱いてその濃いブルーの目をのぞきこむことができたのです。子供の生まれたその日曜日の晩に病院を出たときの私は,新たに父親になった人ならだれでも感ずるような誇らしげな気持ちで一杯でした。私は行く手に控えている大変な試練のことなど考えてもみませんでした。

月曜日の昼過ぎ,私は妻からの電話を受けてびっくりしました。すぐに病院にこられるかというのです。「もちろんだよ。でも何もかも順調なんだろう」。妻は「ええ」と答えましたが,その声は自信なげに聞こえました。

病院に着いた私は,妻の顔色から,何か異常な事態が起きたのだとすぐに分かりました。妻は涙をこらえながら,ミカの熱が39.4度もあると言いました。私は大丈夫だと言って妻を慰めました。それでも,妻は私が心配していることを感じ取りました。

私は妻の病室を出て,ミカに会うために小児室へ行きました。しかしそこでは何が起きていたでしょうか。ミカはぐったりとして横たわっていたのです。そして呼吸をしていませんでした。担当医は興奮しており,婦長は大急ぎで器具を集めていました。拡声器からは,緊急のためにほかからの助力を求める声が聞こえてきました。

看護婦は,とうげを越すまで待つようにと,私を妻の所へ連れ戻しました。ミカが生きていることがようやく知らされました。容態が落ち着くと(約一時間後),ミカは近くの大学病院の集中医療小児室に移されました。出産直後のミカはとても元気そうでしたが,今や容態は非常に悪くなっていたのです。私たちは「なぜだろう」と自問し続けました。

私たちの受けた最初の知らせはあまり良いものではありませんでした。頭骨下の出血のために,けいれんと呼吸困難が周期的に起きていたのです。分娩の際の緊張した瞬間に赤子の頭骨下の血管は破裂しやすいそうです。そうしたことはまれにしか起こらないのですが,ミカの場合にはそれが起きたのです。私たちは,ミカが治療を受けていること,そしてさらに検査が行なわれていることを知りほっとしました。一層衝撃的な知らせはその後届きました。

午後9時頃に,私たちは,ミカが脳と脊柱の病気である髄膜炎にかかっていると告げられました。また,ミカの赤血球の数は危険なほど少なくなっていました。医師たちは輸血を施したいと考えていました。私と妻は,エホバの証人であるゆえに,血に関する神の律法に深い敬意を抱いています。(使徒 15:19,20,28,29)それ以前に,私たちは,輸血ができないという自分たちの立場について大学の医師たちに話してありました。医師たちは私たちの信仰を尊重すると断言してくれました。

しかし今や,医師たちはミカに輸血を施す許可を得たいと言うのです。私と妻は幾度もそれを拒否しました。遂に,医師たちは,私たちの信仰を尊重して輸血に代わる処置を取ると言ってくれました。それでも,もしミカの血液の状態が悪化したときには,輸血を施すよう裁判所命令を求めるつもりだと言いました。私たちはその日ずっとしていたように,導きと力を求めてエホバ神に祈り続けました。

火曜日の朝,私たちは医師から,髄膜炎にかかった新生児の死亡率が90%であることを知らされました。そして,たとえミカが助かっても知恵遅れになるだろうと告げられました。私たちは,ミカの精神障害あるいは死を覚悟するようになりました。

私たちは火曜日から木曜日まで待ちました。出血は止まっていましたが,脊髄から脊髄液を摂取するたびに,その中には髄膜炎のバクテリアのあることが分かりました。それらのバクテリアは,存在する限り脳細胞を破壊し続けるのです。

医師はミカが回復に向かうことについてそれほど楽天的だったわけではありませんが,輸血なしで赤血球の数が正常に戻ったことに注目しました。そのことに対して私と妻は深く感謝しました。しかし,私たちを悩まし続けたのは,「どうしてミカが髄膜炎にかかったのか」ということでした。

妊娠の最後の二,三日の間に,妻の子宮内で胎児を包んでいた羊水の袋にごく小さな漏れ口ができたに違いないという説明がありました。ちょうどだれの体にも多くの細菌がついているように,どの母親の産道にもバクテリアがいるのです。極めてまれなケースとして,漏れ口ができると,バクテリアは袋の中へ入ってゆき胎児に感染します。私たちは,その感染がウイルスによるものではなくバクテリアによるものであるため妻には感染していないことを知り,ほっとしました。妻はまた子供を産むことができ,このような事態が再び起こる可能性はほとんどないのです。しかし,私たちはミカのために祈り続けました。

木曜日の午後遅くに,私たちは医師から,脳の精密検査の結果ミカは重い脳損傷を負っていると告げられました。医師たちは「ミカの見通しについて話し合う」ため翌日の午後私たちに会いたいと言いました。私と妻にはそれが何を意味するかが分かりました。ミカは危篤状態だったのです。

その時受けた衝撃は決して小さなものではありませんでした。私たちは,『最大の患難』を通過しているかのように感じていました。まるでテレビでも見ているかのように,何もかもが作り話のように思えました。その週の間じゅう私たちは悲しみのために幾度も涙を流しました。食欲もありませんでした。

金曜日の午後,私たちは,もし死が避けられないものなら,威厳をもってミカを死なせようと決意しながら病院へ向かいました。話し合いの際に,私たちは子供が二回のEEG(脳電気図)検査を受けたと告げられました。その検査により,脳全体が損傷を被っていること,つまり全く機能を果たしていないことが明らかになりました。私たちは呼吸器械からミカを出すことに同意しました。いったんこのことが行なわれれば,ミカは二度と呼吸をしないのです。ミカはたった五日間生きただけでした。

ミカが死んだときには,私たちの涙はもう枯れていたようでした。私たちはミカの苦しみを思って泣きましたが,ミカは今はもう苦しんではいないのです。私たちは自分たちのためにも涙を流しましたが,いくら泣いてもミカが帰ってくるわけではありません。死は,ミカにとって,そして私たちにとって解放を意味していたのです。

信仰の厳しい試練の間じゅう,友人や親族は,私たちを見て励まされると言ってくれました。しかし,私たちの苦痛がどの程度のものか,また同時に,エホバの聖霊によりどれほど慰められたかを他の人々に伝えるのは難しいことでした。私たちの力は,その最後のぎりぎりの力でさえ,エホバから与えられたものでした。

私と妻は,神の王国について他の人々に話す際に,死人の復活の希望について,また来たるべき新しい事物の体制での永遠の命について幾度も語っていました。私たちはイエスの言葉をどれほど頻繁に引用したことでしょう。イエスはこう言われました。「このことを驚き怪しんではなりません。記念の墓の中にいる者がみな,彼の声を聞いて出て来る時が来ようとしているのです」― ヨハネ 5:28,29。啓示 21:1-4。

ミカの病気の間じゅう,私たちは明らかに次のような選択を迫られました。それは,そうした事柄に対する信仰を表わすか,それとも信仰を捨てるか,という選択です。私たちを支えてくれたのは,ミカが将来復活するということに対する全き信仰でした。創造者であられるエホバ神からのこの愛ある備えは,病気や苦痛や死のない体制下で,幼い息子に再会できるという希望を私たちに与えてくれるものです。―寄稿。

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