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  • エホバの証人の王国の忠節地域大会
  • 目ざめよ! 1981
目ざめよ! 1981
目81 10/22 28–29ページ

エホバの証人の王国の忠節地域大会

聖書時代のエホバ神の民は毎年特別な大会を持つように命令されていました。その目的について,聖書はこう記しています。「全イスラエルがあなたの神エホバの顔を見るためその選ばれた場所に来る時に,あなたは全イスラエルの前,その聞くところでこの律法を読み上げる。民を,男も,女も,幼い者も,またあなたの門の内にいる外人居留者たちも集合させなさい。彼らが聴くため,また学ぶためである。彼らはあなた方の神エホバを恐れ,注意してこの律法のすべての言葉を履行しなければならないのである。また,彼らの子らでこれを知らない者たちも聴くように。彼らは,あなた方がヨルダンを渡って行って取得する地で生きる日の限りあなた方の神エホバを恐れることを学ばなければならない」。(申命 31:11-13,新)今日のエホバ神の地上の民も同じような目的のために毎年夏の時期に大規模な集まりを持ちます。成人も子供も一緒に神の命の言葉を聴いて学ぶためです。今年全日本の18か所で四日間の大会が開かれました。大会のテーマは「王国の忠節」でした。では,それぞれの大会についての簡潔な報告を聞くことにしましょう。

7月23日に一連の大会が始まり,その日に横浜市,名古屋市そして高松市で開かれました。過去6年間と同様に,横浜市では花月園競輪場が使用されました。近隣の人々や交通関係の人々の間で,毎年集まるエホバの証人たちとその大会の評判はどんなものでしょうか。会場近くの駅の駅長は,いつもホームはキップ,ガム,紙くずなどできたなくなり1時間半かけて清掃するが,エホバの証人たちは自分たちでごみを拾ってくれるのでとても気持ちが良いと述べました。大会出席者の一人がタクシーに乗った時,運転手は「何の集まりですか」と聞きました。「クリスチャンの大会なんですよ」との答えに対し,「ああ,会場をいつもきれいにして返す人たちの集まりですか。我々仲間でそう言って,有名ですよ……」という返事がかえってきました。同様の感想は他の都市でも聞かれました。立派な振舞いは「忠節」という精神を明らかに反映していました。

四日間の集まりに出席するために多大の努力を払う人々は多くいます。キリスト教の信仰に反対する夫を持つある婦人は,その受ける反対にもめげず,14年間一度も大会に欠席していません。夫は,その妻の外出を止めるために400本の盆栽を買い,水をやる務めを委ねました。開拓奉仕(全時間の伝道活動)をしているかたわら広い庭の除草,家の掃除,大会中の盆栽の水やりを綿密に計画し今回も70キロ離れた名古屋市の集いに出席できました。その婦人はこう言いました,「(こうした努力は)毎回のことですがより多く益を大会から受けるためにはなすべきことがたくさんあります。それでも何にも増してエホバに祈ることは事を行なう強力な力となって大会に毎年出席することができています」。若い人々もこの点で立派な努力を払いました。一例として高松大会に出席した高校1年生の少女の行っている学校は夏休みの前期と後期に余分の授業が強制的に行なわれるため大会出席が困難になりました。前期が大会の期間と重なっているため担任の先生に願い出ました。家族行事(法事とか結婚式)ならば許可されるので,多くの若者はうそを言って授業を休みます。しかし少女はこれを証言の機会とみなして,正直に「クリスチャンの集まりがあるので休ませて欲しい」とたのみましたが,それは家族行事でなく旅行なので許可できないといわれました。少女は,これは単なる旅行ではなく大切な聖書の教育を受けるためであること,家族として計画していることであることを熱心に証言しました。土,日の二日間だけにしなさいという再度の勧めに対しても,「たとえ成績に影響しても大会の方が自分にとっては重要であり,四日間出席する自分の決意は変わりません」と言いました。結果として学年主任の先生は「家族そろってそのような勉強をすることはとても良いことです。一生けん命研究してください」と少女を励まし許可を与えました。少女は自分の忠節を祝福してくださったエホバに感謝しました。なぜ真のクリスチャンたちはそのような努力を払うのですか。

忠節な神エホバの教えを受けるためです。現在の体制はその精神,道徳の点で規準を見失っており,その腐敗ぶりは終わりの近いことを示しています。親子が一緒に神の清い言葉を学び,正しいことを行なう動機付けを受ける必要があります。名古屋大会のプログラムの一部を担当した一人の父親は「最近の傾向を見ていると,子供たちに世の見方を持たせようとする圧力は強く,エホバの民の子供たちの中にも,悪を行なわないまでも世の見方を持っている者を見かけることが多くなっています。(大会の話は)親がどのように子供を援助できるか時宜にかなった助けでした」と述べました。これは「家族の日」と呼ばれた大会初日のプログラムに対する感想でした。

中学校の教師をしているある父親はクリスチャンである妻と二人の娘と共に高松市の大会に出席しました。自分自身も聖書を学んでいますが,やはり第一日目の「家族の日」のプログラムを聴いて大変感動しました。プログラムで示されていたように子供を教えることの必要性を常日頃感じていましたが,学校では生徒をそのように教育したくてもむずかしく,どうしても家庭教育が今の子供たちには必要だと思っていたからです。

大会の第二日目は「野外奉仕の日」がテーマでした。クリスチャンはイエス・キリストがマタイ 24章14節で述べたことを覚えています。「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう」。これは人々の家に出掛けて行って,聖書全体の音信を伝えることを意味します。だれがそれをしますか。神の奉仕者たちです。この日,その奉仕のために特別のパンフレットが用意されました。その王国ニュース第30号は4色刷りの印刷物で「地球は瀬戸際に立たされていますか」と題するものでした。

その日の午後には幾千人という奉仕者が,各々の大会開催地の家庭を訪問しました。高松市では,3,256人の出席者のうち約1,200名がその業に参加できました。他の都市でも同様の熱意が示されました。初めてこの業に参加した人々も多くいました。横浜市の24歳の青年はその一人でした。大会の六日前から練習を始めましたが聖書のことをうまく話せる自信がありませんでした。何度もエホバに祈り,前日には伝道に必要なものを入れたカバンを抱いて眠りました。その報いがあってか,訪問の最初の家で雑誌を配布することができました。

若い婦人の奉仕者がやはり横浜で伝道しました。旅行代理店の社長をしている男の方を訪ねましたが,「宗教はきらいです」と断わられました。前述のパンフレットだけでも見てもらおうと,それを取り出し,その表紙を見せながら,「ある人はこのようなことから地球が滅びの瀬戸際に立たされていると感じているようですが,ご主人はいかがですか」と質問しました。その人は急に真剣になり「ここに書いてある通りです」と言ったので,それから会話が続きました。そして「ここではなんですから奥へどうぞ」と,事務所の奥のいすに招じ入れられました。訪問の目的が説明され「見よ! わたしはすべてのものを新しくする」という小冊子の第4節から,さらに聖書を調べてみるよう勧められました。「今までこういう問題を考えていたが,自分は男で仕事もあるから,こういうことばかり考えている訳にもいかず,人にもこういうことをあらためて聞くことも出来ずにいました。今まで何回もあなたのような伝道者の訪問を受けたことがありますが,みな宗教の勧誘だと思って断わっていました。でも皆さんはとても上品で柔和な人ばかりだと感じていました」。聖書によって柔和な性質に変化したことが話されてから,近くに住む奉仕者と研究することが取り決められました。

前述の三つの地域大会に続いて4番目の大会が約1週間後の7月29日から下関市で開かれました。会場となった下関市体育館は9年前にも地域大会のために使用したことがあり,九州の一部及び中国地方西部から3,912名が出席しました。大会期間中,九州を通過した台風10号の影響で相当強い風が吹きましたが事前に適切な処置を取ったため何の被害もありませんでした。かえってその風のお陰で出席者たちは暑さをしのぐことができました。

この大会でエホバへの献身を水のバプテスマで表わした60人のうちの一人は聖書の真理を受け入れるようになったいきさつをこう述べています。「私は,学校が仏教系でしたし,時々山上の垂訓や人生道などを読んでみましたがどれもばく然としていて助けにはなりませんでした。星占いや血液型に興味があり,人を判断するにもかなり影響を及ぼしていました。

「姉は学生時代からエホバの証人と交わっており,近い将来ハルマゲドンの戦いがあること,易,占いなどが人間に悪影響を及ぼすことなど時々説明してくれました。また私が結婚した後1年間『ものみの塔』誌と『目ざめよ!』誌を送ってくれましたが,その頃は全然興味がなく,全部焼き捨てました。エホバの証人が来ても『まただ……』とけんもほろろに追い返していました。もし死ぬとしてもほとんどの人が死ぬのならそれはそれでよいと思っていました。

「去年の春,テレビで『「ノストラダムス」の大予言』が放映されました。『命』というものを本当に真剣に考えたのはその時が初めてでした。子供たち(私たちも含め)が生きられるものなら生かしてやりたいと思い,私たちを救出してくださるのはエホバだけだとその時確信しました。実家に帰って『今ある命がすべてですか』と『クリスチャン・ギリシャ語聖書』を持ち帰り,読めば読むほど急がなくてはと焦りました。前に来られたエホバの証人が『また……』と言われたその言葉に望みをかけ祈りの仕方は分かりませんでしたが,歩いていても何をしていてもエホバに『来てくれますように』と祈りました。ある雨の朝,一人の婦人のエホバの証人が雑誌を持って来られ,すぐ研究が取り決められました。……世の多くの人は真の目的や希望を持ちませんが,私たちには地上の楽園で永遠に生きるというすばらしい希望や,それを宣べ伝え,羊のような人を探すという大きな特権が与えられています。何よりもエホバという方を知った事は本当に大きな喜びです」。

エホバとキリストの王国について学び,その王国に忠節を示す神の民には,確かにすばらしい前途の希望と祝福があります。この一連の大会に出席した人々はそのことを確信しています。18の大会の残りの大会については後の号で取り上げる予定です。

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