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目ざめよ! 1981
目81 11/22 27–29ページ

エホバの証人の王国の忠節地域大会

以前の生き方を変え,聖書に従って新たな生き方を取ることは容易ではありません。信仰や勇気が求められます。同時に聖書の正確な理解に基づいていなければなりません。1981年エホバの証人の「王国の忠節」地域大会で水のバプテスマを受けた2,322名はその決意を公に表明したのです。彼らのうちの幾人かから,どのように以前の生き方を捨て,忠節なクリスチャンとなったか聴いてみましょう。

福岡県の一人の人はこう語りました。「わたしは暴力団の組長の長男として育ちました。初めて事件を起こしたのは中学生の時でしたが,それ以来人生の裏道を歩んで警察ややくざに追われたこともしばしばでした。住む場所を転々としてやくざとしての修業を積んでいました。京都で傷害事件を起こし12日間警察の世話になりました。その間自分の人生について深く考え,暴力団の父と同じ道を歩むことを思うと不安になりました。釈放後働くことを考え,ある会社に勤めました。初めのうちは真面目に働いていましたが,以前の性格のゆえに暴力事件を起こし出勤停止になったりしました。その後結婚して長男が生まれてから考えが変わってゆきましたが,その長男が先天的な心臓病のため1歳10か月で亡くなり,再びヤケになりました。その頃妻がエホバの証人の訪問を受けていたようでした。以前は言い訳や口論をしていた妻がよく従うようになり,あらゆる点で手のひらを返したような変化に驚きました。しかし自分はなかなか聖書を受け入れ難く,妻に反対し,聖書をやめないと離婚するといって脅したりしましたが,妻の態度は変わりませんでした。わたしも少し関心をもち始めていましたが,この宗教のあいまいな点を見つけて妻をその宗教から離れさせようとし,一人の証人を呼びました。妻が研究をやめなければ,その証人とその家族に危害を加えると激しい言葉で脅しましたが,その証人は平然としていました。そして彼が聖書から答えるその言葉には返す言葉がありませんでした。わたしも調べてみることにしました。研究が始まって間もなく仏壇を処分しました。今では入手が難しい日本刀や短刀,エアーライフルなど凶器となるものも処分しました。しかし暴力団との関係を絶ち新しい人格を身に着ける点で大きな闘いが残っていました。

「暴力団の組員は人血を用いた血の杯を交わし,堅い兄弟関係を保っています。もし足を洗うことを望むなら指をつめなければなりません。わたしは指をつめることを覚悟で組長である父のもとに行きました。父の怒りを覚悟していましたが,父はわたしの考えを理解してくれました。例のないことですが指をつめることなく足を洗うことができました。また長年の人格を捨てるのは容易ではありませんでしたが,落胆するたびに研究司会者が夜中でも来て涙ながらに励まし援助してくださいました」。この人は北九州市の大会でバプテスマを受けました。

新潟県の一青年は社会教育に情熱を燃やしていました。人間本来の美しさや優しさ,正義感,愛といったものを普及してゆこうとしました。それで青年団のリーダーとなり,テニス・バトミントン・陸上競技・野球に参加しそれぞれ公認審判員の資格も取りました。国内的には,全国青年大会の意見発表で最優秀賞を得たり,各地に招かれて講演も行ない,後輩を育てて同じように全国3年連続入賞など果たしました。国際的には,国の代表として総理府青年の船でアメリカ,メキシコ,ハワイへ,県の青年の船でソビエト連邦を訪問しました。その他タイの青年民泊受入れ,朝鮮青年交流,中国青年交流,ヨーロッパ青年交流などを行ないました。

2年前にその仕事場である弥彦総合文化会館でエホバの証人の大会があり,その出席者の振舞いや子供たちのしつけのすばらしさに驚きました。公開講演があることを知り,青年団活動を早目に切り上げて聴くことにしました。その講演の内容は少し難しく感じましたが,エホバの証人の賛美の歌がとてもすばらしく心がなごむ気がしました。それでそのレコードを求め,それに「進化と創造」という本もその大会場で入手しました。そして聖書の定期的な研究が始まりました。最初は夢物語のようにしか思えなかった聖書の内容でしたが,いくつかの大会に出席したり,海老名市の協会本部の建設に数回手伝いに行ったりすることにより,確信が深まってゆきました。集会や伝道活動にも参加できるように時間を生み出すことは困難でしたが,スポーツ関係の活動から身をひくことにより克服しました。海外の人も含め多くの知人に手紙で伝道したり,青年団の人々に証言して数人が聖書を学ぶようになりました。そして彼の妻も彼より3か月おくれて聖書を学ぶようになりました。彼は弥彦で開かれた新潟大会でバプテスマを受けました。

香川県のある若い男の人は自分のバプテスマに際して次のように自分の体験を語りました。「9年前から香川県の暴走族の間で私の名前は目立った存在でした。それで警察の間でも目を付けられて,私の乗った車を発見すると追跡されました。なぜなら私の車は一般道路では走れない程改造していたからです。……暴走族の間では注目の的でしたが,警察ではゴミのようにうるさい存在となっていました。私の見栄っ張りで強情な性格はそうしたことが得意で誇りでした。しかしその陰で家族には車代150万と改造費300万円の金銭上の苦労や,日々の精神的な負担をかけていました。そんなある日,エホバの証人が私の仕事場へ来ました。魚屋をしているので毎日多くの人と接していますが,その伝道者は他の人々には見られない目の輝きがありました。その時の話題にはあまり関心がありませんでしたが,彼の表情が印象に残りました。その後何回か訪問をうけているうちに小冊子の中から人が死なないで生活できる時がくるという音信を知り,伝道者から科学的かつ論理的な説明を聞きました。夢のような話でもあり,研究が進みましたが自分の生活態度を変化させることはできませんでした。

「しかしそうしているうちに生活のすべての精算を求めるような出来事が起きました。1980年11月に交通事故による入院生活と,暴走族のリーダー(約300人近くの仲間がいた)として逮捕されたのです。これらの問題を起こしたので,もうエホバの証人から見離されると思いました。でもそうではありませんでした。その善意の人たちは私が入院している3か月間,私の見てきた人達とは違い温かく親切に接してくれました。その人達の温かい態度に触れて私は自分に伝えられている事が,本当に神の教えだとこの時確信しました。この時を境に真剣に聖書を学びました。その結果神のご意志を知ることができ,13歳のときから吸っていたたばこもやめることができました。……過去を振り返ると私は暗やみの中を歩んでいました。しかし真理を知る事で光を見つけることができたのです」。

北九州市大会でバプテスマを受けた一婦人は自分と夫の生活の変化について次のように語りました。「25歳の時,当時大阪に住んでいた私は妹に勧められて社交ダンスの世界に入りました。他の人の練習風景を見て自分にもすぐできそうな気がしました。対人関係などに煩わされず熱中できるものを求めていた私は,練習に打ち込みました。そして養成科の教師をしていた主人と結婚してプロの世界にはいりました。しかし,そこで見たものは闘争の精神でした。以前のように親切に教えてくれる人はいませんし,他の人の失敗を喜ぶのが常でした。プロといっても下積み時代は収入は少なく月1回の競技に参加するための参加料,交通費,衣裳代と家賃を払うのがやっとで空腹でいることがしばしばでした。そんな頃,英国のチャンピオンが審査員として来日し,年2回の全日本選の一つが大阪で行なわれることになりました。地元であるため私たちも参加できることになり,嬉しさのあまり眠れない程でした。そしてその時第一,第二,第三,予選,準決勝まで勝ち残ったのがきっかけで,教師としても競技選手としても自信がついてきました。

「ところが突然主人の父が倒れ,九州に帰らねばならなくなりました。九州のダンス界の人とは面識がありませんでしたので紹介状をもらって,あるレッスン場に5月から勤めることになりました。6月の競技会でモダン,ラテンの両部門を獲得することができ,九州のチャンピオンとして一躍有名になり,交際が広くなり時間に追われる生活になりました。しかしうわべの友好的な感じと,陰で悪い評判をたてチャンピオンの座を危うくしようとする人々との交わりがしだいに嫌になってきました。そして私たちからダンスを取ると何が残るだろうか,今まわりにいる人々はどんな態度になるだろうかと考えると心の動揺を抑えることができませんでした。ある日主人の母がガンで急死し,父の世話をする必要が生じ私が競技会をやめ,仕事も夜だけに限ることになりました。時間的に余裕ができましたが,ダンスの代わりに魂を込めるものがありませんでした。空虚な気持ちがこみ上げてきました。

「そんな時にアマチュア競技に出ていた人からエホバの証人の話を聞き,自分の求めているものが見いだせそうな気がして聖書の研究を始めました。すぐに学んでいることに喜びを感じるようになりました。集会に出席するための生活の調整が必要でした。また主人にも聖書に関心をもってもらうために,自主的に勉強を申し出るような環境をつくるようにしました。最初のうちは,学んだことを熱心に話すとうるさそうな顔をしましたがしだいに関心を持ち,数冊の書籍を自分で読むようになりました。やがて主人の方から勉強したいと言い出し,18年間続けてきたダンスの仕事をやめ,他の職に就くことを考えていました。なぜなら唯一の休日の日曜日も時間をとることが難しかったからです。他の職の経験のない主人にとって仕事を変えることは大きな信仰が求められたと思います。しかし今はエホバ神からの助けと保護があることを話し,祈ることを話し合いました。次の週主人は獲得したカップをすべて捨てるように言いました。150個以上ありましたが,人の命のはかなさや,永遠の命の希望について話しながら次々に壊し処分しました。そしてダンスをやめることを公表し,7月からダンス界とは無縁になりました。主人も熱心に聖書の研究を続けています。これからもパートナーとして霊的な活動に励みたいと願っています」。

福井市に住む一人の男の人はこう述べています。「私は仏壇職人でした。仏壇を作るのに7人程の職人が必要ですが,その第1段階の木地を作る仕事をしていました。私は14年間その仕事に携わっていました。真理を学ぶ前には無神論者でどちらかというと進化論を信じていました。そしてお金をためることや,家を建てること,つまり財産を殖やすことを生活の中で追い求めていました。

「私の家は3人家族(妻と子供)ですが,まず妻が先にエホバの証人の一婦人と聖書研究を始めていました。司会者のご主人もエホバの証人で,奥さんが研究に来られる時,そのご主人が車で送り迎えをしておられました。その際,時々,ご主人は私の仕事場に顔を出すようになり,親しみが深まっていきました。食事の交わりをした時,ご主人は『進化と創造 ― 人間はどちらの結果ですか』の本を置いていかれました。それを読んだ後,突然たばこをやめたいという気持ちになり,やめることができました。それで私の方からご主人に聖書研究を申し込みました。

「私にとって,仕事が大きな問題でした。集会に長く交わっていたにもかかわらず,仕事を調整する点でもう一歩踏み切れませんでした。しかし福井会衆の王国会館の建設が契機で,バプテスマを目指すようになりました。また,エホバに愛をもって仕えようという気持ちになり,仕事を調整することを決意できました。そして,大工の見習いの仕事に移り,収入は10万円程減収となりますが,この大会で実の妹と共にバプテスマを受けられることを本当に嬉しく思います」。

福井県武生市のある若い女性は聖書の神を知るようになったきっかけをこう語りました。「私の父は仏教に熱心な人で仏壇を拝む時には必ず私にも拝むように勧めました。小さい時から風の神とか,死神とかよく聞かされていましたが,そんな悪い事を人間にする神は本当の神ではないと思っていました。また,家には造り主がいるのにどうして自然界では,花が自然に咲いたりするのか不思議に感じていました。

「高校の時に隣のおばさんから,朝起き会の大会に行く事を勧められて行き,一時感動してその宗教に入りましたが,宗教仲間の教えられた事と行ないの矛盾を感じ,やめました。大人になるにつれ,人間関係の難しさや,また人生のあり方について,人は生まれて,成長して結婚してやがては死んでいく,どこに人生の目標があるのか,どうせ生きるのなら,人生に目標のある生き方がしたいと考えるようになりました。ある時,家庭で問題が起こり,私は神がおられるなら本当に会いたいと思い祈りました。

「それから1週間後,父の反対を押し切り,名古屋の方に就職しました。ところが父は,母や妹に暴力を振るうようになり,妹から帰って来るようにとの電話があり,その事を店の主人に話したところ,主人は怒って酒を飲み,机をたたいたり,お金をばらまいたりしたので私は恐ろしくてブルブル震えていました。でもとうとう我慢出来なくなり,着のみ着のままで店を飛び出しました。それは真夜中の2時でした。行くあてもなく,心細い思いでした。線路が近くにあり,この道をたどって行けば,必ず駅があるから,そこで事情を話してお金を借りて家に帰ろうと思いました。ところが,行っても行っても駅はなく,心細さと膚を刺すような寒さの中を歩いた事は忘れられません。まもなく,アパートのあかりが見え,一番最初の玄関には女性二人の名と絵と,『互いに熱烈に愛し合いなさい』という文字が記されていました。そこはエホバの証人の家でした。

「ドアをノックしたところ,二人の女性は相談して私を中に入れてくださり,もしあなたが話したくないのなら話さなくてもよいのですが,あなたの心の負担がとれるのでしたら,どうぞ話してくださいと言われ,本当に嬉しくて涙が止まりませんでした。同時にこの人たちの親切は普通以上の親切である,どうしてかと思いました。翌日,集会に一緒に行ったところ,特別公開講演が行なわれていて,私は何かをつかんだように感じました。まもなく私は福井に帰り,ものみの塔協会に電話して集会場所を尋ね,集会へ行った際に聖書研究が取り決められました」。こうしてこの女性はバプテスマを受けました。

こうした経験が示すように,様々な背景を持つ多くの人々が水のバプテスマによってエホバへの献身を表明し,「大群衆」に加えられるのを見るのはエホバの民にとって大きな喜びです。この夏の「王国の忠節」地域大会に出席したすべての人は,王国の業を前進させることによって王国への忠節を示すよう大いに励まされました。

[28ページの図版]

神のご意志を行なうために生きることを公に表わすバプテスマ

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