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  • 目ざめよ! 1982
目ざめよ! 1982
目82 2/22 28–29ページ

良いたよりを分かち合う人々

聖書をお読みになったことがあるなら,その中にイエス・キリストや使徒パウロが人々に「良いたより」を伝道したことや,そのために自分の全生活を費やしたことなどが記されているのをご存じでしょう。そうするように彼らを動かしたのは何でしたか。パウロは当時のギリシャのコリントの人々に次のように言いました。「わたしは良いたよりのためにすべての事をするのです。それを他の人びとと分かち合う者となるためです」。(コリント第一 9:23)キリストによる良いたよりがそれを受け入れる者に計り知れない永続する益をもたらすことを知っていたので,パウロは他の人々にそれを分かちたかったのです。事実,真のキリスト教はその精神によって地のすみずみまで伝えられてきたのです。今日でも同じ気持ちを抱くクリスチャンは数多くいます。次の3人の経験はその例といえるでしょう。

岡山県のTさんは次のように述べています。「私がバプテスマを受けたのは1978年4月です。それ以後,コリント第一 15章58節の『主の業においてなすべき事を常にいっぱいに持ちなさい』との勧めに従い,正規開拓奉仕(1か月に90時間を伝道などに費やす奉仕)を目ざして補助開拓奉仕(1か月に60時間を費やす奉仕)を楽しんでいましたが,1979年3月に家の跡を継ぐために現在のM町に移ってきました。

「そのことは私にとってエホバ神への従順を試みられる機会となりました。というのは,あまりにも生活環境が変わってしまったからです。それまで私を含めて3人分の家事だけをしていればよかったのが,今度は7人の家族の世話をしなければならなくなりました。毎朝5時半に起きて3個の弁当を作る生活が始まりました。家は農業をしていますので,農繁期は言うに及ばず,ほとんど1年中田や畑の仕事があります。また土地柄はといえば,何年か前別の宗教を始めたために村八分になっている家があるというような所です。当時真理にいたのは私ひとりでしたので,家族は皆口々にいやみを言っていました。それに加えて,私自身は関節炎の持病があり,時々非常な痛みを感じていました。また,そこは会衆(エホバの証人の正式なグループ)も群れもない未割当ての区域でしたので,そのような状況の中でこれまでのように正規開拓者を目ざして補助開拓奉仕を続けてゆくことは不可能のように思えました。

「伝道者として奉仕していた2か月の間に自分の霊性を高く保ってゆくことが難しく感じられたので,近隣の会衆のエホバの証人の協力を得て田植えの時期に補助開拓奉仕を始めました。未割当ての所を奉仕していると働き人が少ないということを痛切に感じましたし,時の緊急性を考えるともっと多くの時間を野外奉仕に用いたいと思いました。そして,ひとりでも多くの方を真理に導く特権にもあずかりたいという強い願いのもとにすべてをエホバにゆだねるつもりで開拓奉仕に入りました。

「それから1年ほどの間に数々の祝福を得ることができました。あんなに苦しんでいた足の痛みもほとんど感じなくなりました。また,いつも頭から離れたことのなかった未信者の主人が聖書研究を始め,会衆の集会にも交わるようになりました。それに加えて多くの新しい方と研究を始めることができ,8件の聖書研究を司会することもできました。さらに1979年12月には未割当てだったこの区域がM会衆として発足する喜びを味わい,数々の祝福を心からエホバ神に感謝しています」。

Tさんのような奉仕をしているのは比較的に若い人ばかりではありません。大阪のSさんは老齢ですが次のように書いてきました。「私は日曜日の公開講演を聴くのがとても楽しみです。ある日曜日の講演からとても感銘を受けました。その時の講演の主題は『イエス・キリストの死 ― なぜ,そしてどのように死なれたか』というものでした。それによってイエス・キリストが贖いの死を遂げられた時の状況を詳しく聴くことができ,心を打たれました。イエスが不当な裁判にかけられた後刑柱につけられるまで,どれ程苛酷な扱いを受けられたかを聴いてその時の様子が目に浮かび胸が締めつけられる思いがしました。私たちのためにそのようなみ子の犠牲を備えてくださったエホバ神と,その苦しみを甘んじて受け,耐え忍ばれたイエス・キリストに対し感謝の気持ちでいっぱいになりました。私のような年を取った者でもこの感謝を表わすために何ができるかと真剣に考えました。

「別の講演,『自分のためにではなく,神のご意志を行なうために生きる』という話を思い出しました。エホバは私たちを高価な代価をもって買い取ってくださったのですから,当然私たちは自分を捨てて神のご意志である宣べ伝える業に真剣に取り組んでゆくべきだと悟りました。私は77歳ですが幸いに健康に恵まれていたので,1980年1月,巡回訪問(各地を回って奉仕する長老の訪問)を機会に補助開拓奉仕を申し込み,1981年2月現在まで1年2か月連続してエホバの助けのもとに元気に奉仕しています。

「しかし何といっても年には勝てず,足の弱さに悩まされています。ある時は膝が痛かったり,足の指には始終魚の目ができて歩くのに難儀したりする時がありますが,その時思い出すのは,日曜日の講演会での『忍耐は神の是認を受ける道』という話の中で扱われたローマ 5章4節の聖句です。そこには『忍耐は是認を受けた状態を,是認を受けた状態は希望を生じさせ(る)』とあります。それで,今忍耐するなら神が是認してくださるという喜びで思わず力がわいてきて,午前中3時間の野外奉仕を途中で断念することなく最後まで行なえたということを度々経験しています」。

北海道のKさんは,自分の身近な人々と良いたよりを分かち合うためにしたことを,次のように語りました。「私は1978年11月から野外奉仕に携わり,ローマ 10章14節の『宣べ伝える者がいなければ,どうして聞くでしょうか』というパウロの言葉に励まされ,拙い自分の証言でも聞いてもらえるようにとエホバに祈りながら奉仕してきました。テモテ第一 5章8節の『自分の家の者に必要な物を備えない人がいるなら,その人は信仰を否認していることにな(る)』との聖句を見いだした時,親族で自分だけが命の道を歩んでいるのは隣人愛に欠けた行為のように思えましたし,他の人に宣べ伝えるのに困難を覚えてはいるものの,私をよく知っていて私をよく理解してくれる親族になら伝えることができるのではないかと思い,以前教会に通っていた川崎に住む妹に電話してみました。子供に正しいことを教えても周囲が正しく評価してくれない,社宅内に思いやりが少ないので寂しいといった反応でしたので,そのことが妹の持っている聖書の中で『終わりの日』のしるしとして記されていることや,正しいことを正しく評価してくださる神,エホバ神がいらっしゃるということを伝えました。

「それからというもの,エホバの証人と世の教会の違いや,妹が直面している問題などに関し手紙と電話でよく話しました。そうしているうちに妹がある日レストランに入ったところ,そこに居合わせた婦人と3人の子供が祈りをもって食事を始め,妹はその振舞いのよさに婦人の顔を忘れることができなかったようです。数日後にエホバの証人であったその婦人が妹の家のドアをノックしました。定期的に聖書を学ぶ約束がすぐにでき,週2回の訪問を1年ほどうけて1980年の地域大会でバプテスマを受けました。

「転勤がちの私ですが年に1度は親族に会う機会がありますから,そのような時を逃さず証言できるよう準備し,一昨年の5月に上京した際姉に真理を知った喜びや聖書には神の壮大な目的が記されていることなど時のたつのも忘れて話しました。姉は40も半ばを過ぎ子供のいない自分としては先立つものはお金しかない,またギリシャ神話と占いに凝っているので聖書には関心がないということでしたが,プレゼントしておいた『良いたより』と『神のことば』の本aを読んでまことの神がおられることを知り,畏怖の念を感じるようになりバビロン的(古代バビロンで行なわれた宗教上の慣習や教理に由来するもの)な物品すべてを焼き払いました。そして神のご意志に添うためにも聖書を入手したいと連絡してきた後,エホバの証人の訪問を待って聖書の研究が始まり,去年の巡回大会でバプテスマを受けました。

「私の両親も子育てを終え,残された人生をいかに有意義に過ごそうかとぜい沢の限りを尽くしていたようですが,何をしても満足するものなどなく,病気がちになってからはいよいよ死を恐れる生活を送るようになっていました。それで,神が人類に差し伸べてくださっている希望を是非知るようにと説得したところ,母は寝たきりの父を抱えて時間をほとんどとれない状態でしたが少しの間を見付けては辞書を傍らに何回も繰り返し予習をして,研究をするようになりました。杖と母の肩を借りなければ歩けない父も日曜日の集会を楽しみにするようになり,エホバのご意志であれば復活にあずかりたいとの信仰を働かせるようになりました。

「主人の母から,長男の嫁がとんでもないことをしてくれたとの心痛の程を示す手紙が来ました。しかし,すべてを造られたエホバ神がいかに愛のある神であるかは,人間の体一つをとってみても,また四季折々の花や食物,太陽や月の働きを見ても分かるし,その神が用いている組織には愛が行き渡っていて上下の区別などなく,みな兄弟姉妹の関係にあるということを伝えました。また一般の組織のようにノルマなどなくあくまでも自発的な奉仕であることなど,母が疑問に思い問題としている点一つ一つに優しい敬意のこもった,しかし真理に関しては毅然とした態度の手紙を書きました。帰省した際には,神がおられるならなぜこのような世の悪い状態を見逃しているのか,実際に不思議なことを経験しているがそれはどう説明できるのかといった質問を矢つぎばやに受け,乏しい知識ながらも聖書の創世記から啓示の書までを用いて証言しました。また,母が3人の子供を立派に育てたことや子供たちから常に尊敬されている親であることなどにまことに敬服していること,それに比べると自分は妻として母親としていかに足りないものが多いかなどを述べました。そして,子供は親を鏡として育つのでこのように退廃した世に対処するには,親がまず健全な思いで子供を育てなければならないと話し,聖書の中には暗やみを照らす街灯のように私たちの歩む道を明るくしてくれる知恵があることを時間をかけて話しました。その後,地元のエホバの証人の再訪問を受けて……,今では集会で建設的な注解をしたりクリスチャンの兄弟姉妹との良い関係を築いたりなど,よい進歩を示しています。こうして親族7人が聖書を学ぶという喜びにあずかり,エホバの組織ならではと深く感謝しています」。

[脚注]

a ものみの塔聖書冊子協会発行の書籍。

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