隣人と平和に暮らしていますか
あなたの隣人を愛しなさい。このように教えられてはいますが,それは必ずしも容易なことではありません。隣人と平和に暮らしてゆくだけでも難しいものです。アパートの隣の家から聞こえてくるロック音楽が壁を揺るがします。その隣家の子は廊下で騒ぎを引き起こします。街路に出れば,路上強盗に遭います。幹線道路では,ドライバーが割り込みます。警笛を鳴らそうものなら,撃ち殺されかねません。大げさでしょうか。ある場所ではそうかもしれませんが,大都市では決して大げさな話ではありません。郊外や田舎には,隣人愛を示しにくくさせている固有の問題があります。
そのストレスの大半は現代のこのハイテクの事物の体制に端を発しています。びんの中に入れられたサソリよろしく,幾千幾万もの人々が都会に押し込まれています。車で通勤する人はラッシュアワーの交通渋滞の中で堪忍袋の緒が切れそうになります。田舎に住む人は,隣家のにわとりに自分の家の庭が台無しにされるのを見て,大声を上げて飛び出して来ます。殺虫剤に対する免疫を持つ虫に作物を損なわれて,農家の人は大損をします。そして至る所で,さまざまな産業は汚染源となる物質を吐き出しています。空気は茶色に変わり,酸性雨が降り,湖の魚は死に,地下水まで化学廃棄物に毒されています。健康状態が悪化し,命が失われます。
こうした事柄をはじめ他の数多くの仕方で,感情を逆なでされて無数の人々の生活にストレスが蓄積し,導火線に火がつけられ,しばしば実際に爆発が起こります。はけ口を求めて肉欲の追求におぼれる人は少なくありません。利己的な物質主義,社交的な飲み騒ぎ,麻薬による陶酔感,倒錯した生活様式など,自己主義<ミーイズム>礼賛に引きこもるためなら何でもします。身体的には飽食し,精神が飢えるにつれて,自己愛が隣人愛を押し出してしまいます。
そして,あまり裕福でない国々では,身体も精神も飢えています。革命が民衆を荒廃させ,疫病が命を奪い,飢きんが国じゅうに広がり,希望が失われ,絶望が支配します。
この現代の事物の体制においては,隣人を愛するのは必ずしもやさしいことではありません。それでも,隣人愛は失われておらず,隣人と平和に楽しく暮らしている人は少なくありません。