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聖書に対する洞察,第2巻
洞-2 「ベト・エシモト」

ベト・エシモト

(Beth-jeshimoth)[荒廃の家]

イスラエル人がヨルダンを渡ってカナンに入る前にモアブの平原で宿営した際,宿営を張った南端の地点。(民 33:48,49)宿営の範囲はベト・エシモトからアベル・シッテムにまで及びましたが,それはそれぞれに想定されている場所で考えると8㌔ほどの距離になります。ベト・エシモトは今のところ,死海の北東端の近く,またエリコの南東19㌔のところにあるテル・エル・アゼーメと同定されています。その近くにはキルベト・スウェーメがあり,それはローマ人の集落として,ベシモトというギリシャ語の名前で知られていました。この付近には勢いよくわき出る泉も見られます。テル・エル・アゼーメは眼下に平原を見下ろす高台の上にあり,また東の山地から来る一つの奔流の谷の出口を守る位置にあります。

ベト・エシモトはアモリ人の王シホンの領土の一部で,イスラエル人がその地方を征服した後,ルベンの部族に割り当てられました。(ヨシュ 12:1-3; 13:15-21。裁 11:13-27と比較。)預言者エゼキエルの時代に,そこはモアブの国境の斜面にあるモアブの幾つかの都市に含められ,「その地の飾り」として描写されています。(エゼ 25:8-10)その預言は,エホバがこれらの国境の都市を開かせ,モアブを「東洋人」または「東の子ら」,つまりアラビア砂漠に住む遊牧民族の攻撃にさらすことを示唆しています。(裁 6:3,脚注; 8:10と比較。)モアブはベト・エシモトを含むルベンの諸都市を,同部族のアッシリアへの強制移住より前ではないとしても,その後には接収していたようです。―代一 5:26。

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