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聖書に対する洞察,第2巻
洞-2 「ルステラ」

ルステラ

(Lystra)

小アジア南部の中央を占める地方ルカオニアの一都市。ルステラは,コニヤ(イコニオム)の南南西約32㌔の,肥沃で水の豊かな地域にある,ハトゥンサライの北側の塚と同定されています。

使徒パウロとバルナバは石打ちにされそうになったためやむなくイコニオムを去った後,ローマの属州ガラテアのルステラにやって来ました。当時この都市はローマの植民市でした。それ以前にアウグスツスによってそのようにされていたからです。しかし,土着の住民は相変わらずルカオニアの言語を話していました。パウロが生まれつき足のなえた人をいやした後,群衆は,彼とバルナバが神々,すなわちヘルメスおよびゼウスの化身だと結論しました。二人は人々が自分たちに犠牲をささげようとするのをやっとのことでとどめました。しかし,後にイコニオムやピシデアのアンティオキアから来たユダヤ人たちがルステラの住民を盛んに駆り立ててパウロに反対させたため,彼らはパウロを石打ちにし,彼が死んだものと思ってその体を市の外に引きずり出しました。その後,仲間のクリスチャンたちがパウロを取り囲んでいた時,パウロは起き上がってルステラに入り,翌日,バルナバを伴ってデルベに向かいました。―使徒 14:1,5-20。

パウロとバルナバはデルベで活動した後,ルステラ,イコニオム,そしてアンティオキアに戻りました。二人はこれらの都市に設立されて間もないクリスチャン会衆に交わる弟子たちを強めて励まし,年長者たちを任命しました。―使徒 14:21-23。

後に,割礼を巡る論争が使徒たちやエルサレム会衆の年長者たちによって解決されてから(西暦49年ごろ),パウロは再びデルベとルステラを訪れました。そのことが使徒 16章1節に述べられていますが,この箇所は,青年テモテがルステラかその近くのデルベのどちらかに住んでいた,という意味に理解できます。しかし,証拠からするとルステラのほうが可能性は高いようです。というのは,デルベのことがテモテに関連して再度言及されている箇所はありませんが,使徒 16章2節には明確に,テモテが「ルステラとイコニオムの兄弟たちから良い評判を得ていた」と述べられているからです。(テモ二 3:10,11も参照。)テモテがそのような良い進歩を遂げていたので,パウロは彼を旅行の同行者に選びました。―使徒 16:3。

使徒パウロは3回目の宣教旅行で『ガラテア地方』の様々な場所を訪れた時,ルステラにも立ち寄ったかもしれません。―使徒 18:23。

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