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聖書に対する洞察,第2巻
洞-2 「メデバ」

メデバ

(Medeba)

この場所は,死海北端の東約20㌔の地点の傾斜のなだらかな低い丘の上にある,現代のマーダバーという町に相当します。この場所は,古代の「王の道路」によってヨルダン川の東の他の諸都市と結ばれていました。(民 20:17と比較。)マーダバーは,樹木はないものの,肥沃な平原,または台地の上にあります。この平原,つまり『メデバの台地』には羊ややぎの群れの放牧地があります。―ヨシュ 13:9,16。

イスラエル人がアモリ人の王シホンを撃ち破った後,メデバはルベンの部族に与えられた領地に入れられました。(ヨシュ 13:8,9,15,16)アモリ人はそれ以前にモアブ人からメデバを奪っていたようです。(民 21:25-30)数世紀後,ヨアブの指揮下にあったダビデ王の軍隊は,アンモン人との戦いで,メデバの前に陣営を敷いていたアラム人(シリア人)の傭兵隊を撃ち破りました。―代一 19:6-16。

モアブ碑石(8行目)によると,イスラエルの王オムリ(西暦前951-941年ごろ)は「メヘデバ(メデバ)の地」を手に入れました。同じ記念碑の30行目には,モアブの王メシャがメデバとその地域の他の幾つかの都市を再建したことが示されています。しかし,ヤラベアム2世(西暦前844-804年ごろ)が「イスラエルの境界をハマトに入るところからアラバの海に至るまで回復した」時,イスラエル人は再びメデバに対する支配権を得たのかもしれません。(王二 14:25)しかし,そうだとしても,その支配は長くは続かなかったことでしょう。というのは,モアブに対するイザヤの宣告(西暦前778年ごろ–732年以後)は,メデバがその時までにモアブ人の支配下にあったことを示しており,またモアブ人が同市を失って「泣きわめく」と予告されていたからです。―イザ 15:1,2。

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