ブラジルの正しい種類の奉仕者
伝道者個人も各々努力をして平均15パーセント,最高29パーセントの増加をいたしました。それで昨年野外伝道者合計は7438名という数を得ました。8月に合計1220人が洗礼をうけました。ブラジルの予約運動は,いままでの中で最善でした。ある会衆は自分たち自身の配布制度を建て,貧弱な郵便配布制度のために神権的な進歩を止めさせないようにしています。
孤立した区域で伝道者のいない河の都市の奥地で大会を開催することは良いと支部は感じました。4年前に閉鎖された巨大なタバコ工場は,1万1000人のその地の住民の目の前でまるで奇蹟のように変形しました。くづれた残骸から,内も外も白く塗られた巨大な美しい御国会館が生じました。近くの建物も顔化粧が施されました。姉妹たちは3階で就寝し,兄弟たちは2階に就寝しそして大会の行われる所は1階でした。一人の訪問者は『あなた方は,当分こゝにいるためこういう工事をしているんだね』と言いました。否定の答を聞いて,怪訝そうに頭をふり,『3日間だけにこんなにも費用をかける? 良く分らん。』と言いました。大変だつたのはお金ではなかつたということをその人は知らなかつたのです。約10台のトラックで,土の混じつた古い腐つたタバコを運び出したのは全く兄弟たちの熱心と信仰によるものだつたのです。給水管を設け,床を洗い,便所施設や電気を設置し,原始的な大きな調理ストーブをつくり,建物の内外にペンキを塗つたのは,ヱホバと隣人にたいする兄弟たちの愛によるのでした。250人の兄弟は借切りの河蒸汽船で到着しました。他の250人は定期の船や汽車で到着しました。野外奉仕も忘れず,440名の伝道者で成り立つ小さな群が毎日ヱホバの御名を讃めるために出かけました。ゴグに属す地方の宗数家たちは,ゴグのねたみの気持に充され,教会の拡声器は『我々の都市に侵入したこれらの人に気をつけよ! 彼らの言葉を聞いてはならない』と叫び始めました。しかし,これは全然無益でした。公開講演の出席者は898人でした。『躍進する新しい世の社会』の映画を見るために,何人来たか想像してごらんなさい。1000人? 1500人? それどころか,合計2500人が会場を充し,歩道に溢れ出し,さらに丸石で敷かれた街路にはみ出し,交通を遮断する程でした。中でも最も素晴らしいことは,217人が名前を提出し,家庭の訪問を願つたことでした。これは驚くべきことではありませんか? 全く,この喜びに充ちる驚きに対しヱホバに感謝しています。新しい世の映画は,人々を真理に導き,また新しい世についてすでに知つている人々を強めるのに多くのことをなしました。どうぞそれを信じてください。
一人の休暇開拓者はこう言いました『次のことは私の心をよろこばします。五旬節教会の執事と私は1年間研究しましたが,その人は自宅で行う祈禱会に出席するよう私を招待しました。その祈禱会の後,私をその地方の牧師に紹介し,こんな風に言いました『この人はヱホバの証者ですが,三位一体について質問をし,私はまだそれに答えていません。私に代つて答えていただけませんか?』 群の牧者は一言も言わずに,私の言葉に耳を傾けました。しばらくして後,自分の小さな教会で講演をするように招待しましたので,私はよろこんでその招待に応じました。続けて講演した後,牧師自身との研究を含めて多くの数の研究が始められました。執事はためらわずに真理に入り,今では家から家の伝道者です。牧師はそれ程の急速な進歩を示しませんが,いまでは自分の小さな会衆に説教することができず,その小礼拝堂を集会所に使つて貰いたいと兄弟たちに申し出ました。その申し出は承諾され,会堂はすでにヱホバの奉仕に献げられています。
初代クリスチャン会衆にとつて非常に大切であつた宣教者精神を保つことは重要のようです。宣教者を内部の町に移すという提案に私たちはよろこんで従いました。新しい割り当て地に着いて僅か2ヶ月の後に,一人の姉妹は次のような手紙を書いています。『歯医者は1冊の本を求め,そして多分再訪問するかもしれませんと言つたところ,自分の家族の住む所に来て貰いたいと望みました。それから2週間後に家庭聖書研究が始められ,ヱホバの証者はどのように聖書を研究するかが示されました。歯医者の家族の言うには「毎週来て戴くのが迷惑でしたなら,私たちがあなたの宣教者の家に行き研究しましよう。」その人々は,メソヂスト派の者です。むしろむかしメソヂスト派の者であつて,その地の教会の柱石でした。数回研究した後に,その人々は用の無い夜晩毎私たちを連れ出し,友人や親戚を訪問しました。歯医者,その妻,二人の子供が伝道したため,その結果に研究が得られました。その歯医者が義弟に向つて「キリストに最初があることを知つていましたか? 神の御名が何であるか知つていますか?」と話しているのを聞いて,どれ程私たちがうれしく感じているかを想像して下さい。本当に今日にいたるまで,その家族は私たちのところに来て,「私たちを奉仕に連れ出しています。」― 1955年度ヱホバの証者の年鑑より