沖繩に於ける伝道
(1956年ヱホバの証者の年鑑からの報告)
人口 790,000
伝道者の最高数 1950年: 6名,1955年: 21名
第二次世界大戦以前では,沖繩の人々は,家に鍵もかけず,また刑務所の中に入れられるというような事もなかつたのです。犯罪はひとつもなかつたからです。警察は,ただ記録だけをつけていました。大戦の結果,いくらかの変化が生じましたが,それでも人々の心は,昔とさして変つていません。人々は,御国の音信をよろこんで受けいれています。
昨年中,正規開拓者は二人になりました。沖繩のこの二人の姉妹の司会していた多くの研究は,今では伝道者になり,業をぐんと増加させました。開拓者の言うところによると,沖繩には興味を持つ方が多いので,奉仕を止めることができない,とのことです。奉仕年度中両人の毎月の平均奉仕時間は,148時間以上でした。沖繩人,フィリッピン人,そしてアメリカ人で成り立つている会衆の伝道者も,良い業を成しとげ,1年間の平均で,各伝道者あたり毎月35冊の雑誌を配布しました。フィリッピン人もアメリカ人も日本語が話せません。しかし短くて簡単な証言を学んでおり,なんとかしても日本語で伝道しようとする熱意は,人々に善い印象を与えています。
沖繩で初めて開かれた巡回大会も特筆大書すべきでしよう。この週末の大会の時に,新しく興味を持つた人は出席しました。そして,大会の交りや,話や,また『新しい世の社会』の映画から多くの益を受けたため,制度に対する認識も深まり,今では会衆の集会に定期的に出席しています。