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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1961
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一生の目的を追い求める

ジー・ビー・ガラードの経験談

経験がぎっしりつまった人生の物語を語りつくすということはなかなかできるものではありません。私のはそのような話で,しかも貴重な目的を追い求めた人生の物語なのです。でも少なくとも私はエホバの奉仕で味わった喜びと祝福にみちた過去35年間の経験の一部をみなさんにおわかちしたいと思います。

先ず最初に,一つの質問をさせて下さい。あなたはあるまちに長く住んでいたために,自分がそのまちの一部であるというように感じた事がありますか。建物が古くなってその価値を失い,新しいのに代わっていくのを見たかもしれません。あるいはせまい道路をひろげる仕事を見た事があるかもしれません。まちが発展し,進歩していくのを見守り,あなたもそれに加わり,まちの一部であると感じた事でしょう。

さて,私もちょうどこのように感じたのです。しかし私のばあいはまちの一部にはならずに,まちのような組織の一部になったのです。その組織はどこかの国の1ヵ所だけにあるというのではなく,今ではすでに175の国々や海の島々にその活動範囲をひろげ,エホバ神の崇拝に専念しているのです。このような組織のもたらす幸福にあずかるとともに,私の目的はそのまちのごとき組織の偉大なる設計者,建築者に仕えることであり,またその組織の拡大を助ける事でした。

何年もの昔,私がまだ若かった頃,創造主はだれかという事,そしてできるならもっとよく創造主のことを知りたいという熱烈な願いがしばしば私の心におこりました。21歳の時,ひとりの友だちを通して,聖書を理解するようになり,啓発を受けました。(この友だちはそれから2年して亡くなり,最後までエホバ神の奉仕に忠実でした。)1924年の秋も深まった頃,英国のロンドンで,エホバの証者の制度に接しました。この制度を通して聖書の知識が備えられていたのです。私はただちに彼らが神の民であると」いう事を知り,即座に「彼らの神はわたしの神」であるときめ彼らの行く所へ行こうと思いました。(ルツ 1:16,17,新世)その最初の集りの時に,洗礼を受け,わざをなそうと強く決心しました。なぜなら時はさし迫っており,遅らす事は危険だと思ったからです。ただちに全時間の開拓奉仕に入りたいと思いましたが,その強い願いがかなえられるまでには5年の歳月が流れました。私は若かったのですが,大きな仕事ととりくんでおり,世界で指導的な船会社の一員でした。私の雇主は年を取った人で,仕事を私にまかせたいと思っていました。仕事に専念して宗教をわきに押しやってしまうか,あるいは仕事を捨てるかという決定にせまられました。私は仕事を捨てる事を選びました。その後,ものごとはむずかしくなっていきました。研究や奉仕に適当な時間がとれる事務の仕事をしたいと思いました。でもそのような,仕事にはありつけませんでした。なぜなら事務的な仕事にはふなれだったからです。

いつも私は英国の支部の僕に会って彼の助言を求めました。制度を私の「霊的な母」とみなしていたからです。遂に1929年の終り頃,「門がひらいている」ように思うと彼は言いました。そして私が開拓奉仕をする時機がきたと言いました。それは全くうれしい事でした。私にはその価値がないのにと思うと身がひきしまるのをおぼえましたが,なにしろうれしくて有頂天になりました。後に私の妻になった姉妹は開拓奉仕に関していろいろと導いてくれました。さてここで問題なのは「終りまでやりとおすか」という事です。エホバの霊と過分の御親切により,私はできるという事を知っていました。

その時財布にあったのは1500円ほどですが,それをもってマンチェスターの商店街の伝道を始めました。私のパートナーはジョン・レェアードとボブ・ハドリングトンでした。1931年にパリの大会に行き,インドの支部の僕,エフ・イー・スキナーに紹介されました。彼はインドに何人かの働き人をつれていきたいと思って探していたところでした。ルサフォード兄弟は私たち3人が行くのを許可し,1931年の9月,29歳の時クレアレンス・テイラーとランドール・ホプレイと共にインドに向かって出発しました。激しい暑さにたえる事ができない私がインドへ行こうとは,全くおかしな事でした。英国でも南の方は私には暑すぎてスコットランドで休暇をとったほどでした。しかしながらもし協会が私を必要としていたなら,よろこんでどこにでもまいりました「あなたの行くところなら私もまいります」。それで私たちはインドに上陸しました。

インドにおける奉仕はすばらしい特権でした。1925年と1931年の間に9人の者が英国からインドに行きました。私たちはそのグループの中で一番最後でした。私がそこにいる間に3人死にました。宣教者の家はありませんでした。当時,私たちは町から町へ,また汽車で植民地から植民地へと行って聖書文書を配布するという仕事だけしました。しばしば夜旅行して何百キロをカバーすることは,困難な事でした。時々パートナーがいましたが,時には何ヵ月も続けていない時もありました。たいてのばあい,配布した文書の差額で生活をたてていきました。そのため食事は一律でなく,また安い食物でがまんしたにもかかわらず,汽車賃はできるだけ倹約しなくてはなりませんでした。私たちは,たいていほこりにまみれて旅行しました。衣服をいれたかねの箱,本をつめたボール箱,それに寝具をもって旅行しました。ねむれる所ならどこでもたいていは待合室でしたが ― ねむりました。寝具にはいりこんでくる虫,蚊,激しい暑さ,人間や動物のざわめき,汗でぬれた衣服などが一緒になって,夜の安眠をさまたげました。私たちお互いに対する思いやりは非常に深く,もし兄弟のひとりが,旅行して通るなら,たとえ2,3分間でも必ず会うようにしました。それで朝早く起き,30キロから50キロも自動車をとばして駅に行き,汽車が入ってくる時に兄弟の名前を大声で呼んだという事もよくありました。

毎日エホバのすばらしい祝福に感謝しました。世の中には,自分の偉さをほこれるような地位を得て,みんなの前で自分を輝かしたいと思う人がたくさんいます。私たちが切望した事は,天の父の是認の笑顔だけでした。それで試錬の時に私たちが忠実を保てるようにとエホバに祈りました。逆境にある時,エホバは私たちの弱さを彼の力によってみたして下さいました。彼は私たちに何とめぐみ深かったのでしょう! 開拓奉仕に入ってギレアデの学校に行き,このような任命地で奉仕する事は,何と輝かしい事なのでしょう! 何という特権でしょう! 今では何千という人々にこの道はひらかれているのです。すべての労苦は一つの良い経験で十分つぐなわれてしまいます。カルカッタで一人で働いていた時に,私は商店街で伝道しました。全部するのに9ヵ月かかりました。そこで私はひとりの男の人に会い,彼は私が英国で知っていたエホバの証者の息子でした。彼は再び興味を持ちはじめ,遂にはカルカッタの会衆の僕になりました ― これは一つの貴重な経験でした。今彼は英国で会衆の僕をしており,彼の息子のトムは今は結婚して南アフリカにいます。

病気はありふれていて,腸チフス,天然痘,赤痢,マラリヤなどにかかった者もいました。私のばあいは暑さが原因で日射病になりました。1936年にルサフォード兄弟から,主に一番よく奉仕できるところへ移るようにと言われました。もちろん私はとどまりました ― インドに。その当時開拓者が一人でもやめてひきあげてしまえば,残った者の士気を沮喪させ,意気をくじくと知っていて,どうして去る事ができるでしょうか。私たちは困難な事に対処しなくてはなりませんでしたが,エホバの御霊は,どんな状況の下でも,またいかなる価を払ってでも忠実を守ってわざを押しすすめるよう私たちを激励したようでした。私たちは多くの真の幸福を味わいました。

ちょっとここで私のパートナー,バンの事をお話したいと思います。彼は以前船の船長でした。彼は本当によい手本でした。彼は同時に腸チフスと肺炎にかかり,その上,心臓のまわりに壁ができて死にました。彼は日曜日の夜,死に,月曜日の朝私は彼を埋葬しました。そして月曜日の夜には記念式をしました。悲痛な気持ちでした!

わざに関してもう少しお話ししなければなりません。戦争になるまではただ文書を配布するだけで,建ておこす仕事は余りなされませんでした。ひとりの婦人が私にいった通りです,「ガラードさん,フランシスさんとあなたはここにきて,主人と私は皆さんの伝道した事に興味をおぼえました。でも2,3日立つと皆さんは行ってしまって,私たちだけになってしまうのですね」。建ておこす仕事がかけていたのです。戦争中に新しい仕事が始まりました ― まちのような制度を建ておこす仕事です。別々の所で働くには人数が少なすぎました。それで私たちは一緒にとどまり興味のある人々を建ておこしていきました。

白人に反対する暴動がおきた時,暴徒にとらえられたのは,あまりこころよくない経験でした。しかし私たちの思いはいつもエホバ神に向けられました。私が最初に50人ばかりの暴徒に急に襲われた時のことを思い出します ― 彼らは私を殺そうとしましたが,どのように始めてよいかわからなかったのです! 私が伝道者だったので彼らは私をはなしてくれました。次に私たち3人は捕えられ,暴徒は両側から私たちを囲みました。何か面倒な事が起ろうとする時には,むなさわぎを感じますが,一旦それが始まってしまうと,どんなにでも冷静になれるものです。エホバの御霊が恐れをなくしてしまうようにみえます。エホバに本当に頼りきってしまいます ― それ以外にできることはありません ― すると驚く事にすべての事がうまくゆくのです。

1946年の12月にギレアデの卒業生にはじめて接することができ,またノア兄弟ともはじめて会うことができました。今私たちは建ておこす仕事をするために,新しい方法を取り入れなくてはならないという事を学びました。私たちはただちにその方法を採用し,ギレアデで訓練を受けた者たちは,援助をおしみませんでした。私たちにとってこれは新鮮な空気のようでした。それからスキナー兄弟はギレアデへ行きました。

1947年の12月は,それまでに経験した中で最大の特権が私を待ちうけていました。クレアレンス・テイラーと私はギレアデに向かって出発しました。何という喜びだったのでしょう! その時私はまだ知りませんでしたが,16年のインドでの奉仕の後,そこを永久に去ろうとしていたのです。今日,インドには1400人以上の伝道者がいます。すばらしい増加です!

私の生涯の中でギレアデの生活は著しく,顕著なものでした。世界中どこにもこのような学校はありません。ギレアデの事はみんながよく話しますから,こまかい事は申しませんが,でもそれをぬかすことはできません。一生の目的を追い求めるにあたり,ギレアデは私の生涯に一時代を画しました。

学校を終えてから,ピッツバーグで巡回の仕事にたずさわった事は忘れられぬ経験でした。ここは近代のエホバの証者の揺籃の地です。私は自分の無力さを痛感しましたが,エホバの御霊と兄弟たちの心からの援助により,巡回大会に必要なものはすべて備えられました。その前にインドで開かれた巡回大会には21人が出席しました。ここのピッツバーグでは1500名以上が出席しました。

1949年の2月,南アフリカに着きました。私にとってはもうそれが本当の楽園のように見えました。欧州人の生活は平均以上でした。多くの人々は親切でやさしくまたもてなすのが非常に好きです。この国での仕事はやさしく,特に聖書の話を使って伝道するときにはそうでした。なぜなら人々は聖書を尊敬しているからです。特にこの傾向はアフリカ語を話す人々の間にみうけられます。しかし,聖書に対する尊敬と,それを理解する事は別問題です。それで若い世代の人々は聖書をそんなに読んでもいません。それにもかかわらず,きく耳を持つ者はたくさん見出されています。働き人の畑は広いのです。

アフリカにおいてもまた,まちのようなエホバの制度は発展してきました。伝道者の数は1949年の5506名から1958年12月には1万5853名に増加しました。その増加に小さい役割を果たしたと思うと,たいへんうれしい気が致します。以前南アフリカの支部の管轄下にあった他のアフリカの国々にも,今ではそれぞれの支部ができています。

開拓者として南アフリカで奉仕を始め地域および巡回の仕事を致しました。そしてこの記事を書いている今も私は巡回の仕事の特権を楽しんでいます。3年ばかり前真理にいる姉妹と結婚しました。その姉妹とは1925年以来の知り合いでした。彼女は英国で開拓を始め,7年間フランスに行っていました。そして南アフリカにくる前ロンドンのベテルとダブリンで奉仕していました。私が奉仕のわざをするにあたって彼女はたいへんよく助けてくれます。

開拓奉仕にはいってから,いまだかつてエホバの民の大会に行かなかったことはありません。カナダに住んでいる私の叔父と一人の証者のおかげで私は1953年ニューヨークでひらかれた国際大会に出席することができました。しかしながら神の御心大会に出席できた祝福は私の前の経験すべてを凌駕するものでした。

エホバが私のためになさったすべての良き事に対して,私はエホバに対して言う言葉を知りません。でもすべてをまとめて私はこう言うことができます,エホバは本当にめぐみ深いかたです!

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