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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1960
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読者よりの質問

● 国歌が奏されるとき,献身したクリスチャンが起立することは適当ですか,または不適当ですか。なぜですか。―アメリカの一読者より。

事実上,国歌は,サタンの組織制度に属する一国家のために神に祈りをささげることであり,その国の物質的な繁栄と永続を祈ることです。イエス・キリストの模範に従うクリスチャンとして,私たちはサタンの世のいかなる部分も,またその中にあるいかなるもののためにも祈ることができません。(ヨハネ 17:9)預言者エレミヤの場合,彼は私たちの立場と似ている立場にいました。エレミヤは,彼の国と民のために祈りをささげてはならない,とすくなくとも3度命ぜられました。エレミヤ 7:16; 11:14; 14:11を見なさい。

それで,クリスチャンである私たちは,ヱホバ神が滅びに定めたこの組織制度のために歌う国歌の祈りの感傷に良心的に参加することができません。神の祝福は,国の戦争にそそがれていると主張する言葉と一致して語つたり,行なつたりすることは聖書的ではないのです。私たちはこの世の国に誇りを持つのではなく,ヱホバとその王およびその御国に誇りを持たねばなりません。

習慣によると,起立するだけで国歌の感傷と一致している,と示されます。この事実は,第二次世界大戦が終つてしばらくして後,ドイツ国歌が演奏された際に同盟国の士官たちが起立を拒絶したという事実によつて明白に示されました。クリスチャンは,この古い世のどの国歌の感傷とも一致調和しません。それですから,国歌が演奏されるときか,歌われるときに,起立するなら,国歌の感傷と一致調和することを示します。クリスチャンは,そのような印象を他の人に与えないでしよう。良心的なクリスチャンは,自分の住んでいる国の国歌にたいして,この特別な行為を行いません。ちようど,3人のヘブル人が,,ネブカデネザル王の偶像に対する命令について,特別の行為を行なわなかつたのと同様です。―ダニエル 3:1-23。

しかし,次のことに気をつけねばなりません。すなわち,国歌のために起立することと,学校の子供たちが国旗敬礼の儀式のために起立することには相違があるのです。学校の子供たちが,その場合に起立しても悪いことではありません。ちようど,判事が法廷に入るとき大人が起立しても悪くないことと同様です。国旗敬礼の儀式は,手を特定な仕方で動かしたり言葉でもつて宣誓することです。子供はその儀式をいたしませんが,国旗に対する敬意と,国旗の表象する良い原則に対して敬意を示すため起立することができます。しかし国旗敬礼の儀式には参加しません。

● ロマ書 8章39節で,使徒は「高いものも深いものも」と言つていますが,それは何を意味しますか。―アメリカの一読者より

このところで,使徒パウロは被造物としての高いものと深いものについて語つています。彼は『高いものも深いものも,その他どんな被造物も』と言つています。高いものと深いものとは,他の別のものと比較した結果,相対的な意味における被造物です。それですから,使徒パウロは次のことを指摘しているのです。すなわち神の御霊によつて産み出された子たちの高い地位や低い地位も,神の愛から彼らを引きはなすことができないということです。

しかし,高いものと深いものとは,抽象的な意味で地位だけに言及しないでしよう。具体的な意味において,高い地位を占めるもの,あるいは低い地位を占めるものを意味すると理解することができます。それで低い地位を占めていて,他のものを引き落そうとするものも,また高い地位を占めていて他のものの上に優越的な影響を及ぼそうとするものも,御霊によつて産み出された子たち,すなわち神の嗣子,イエス・キリストの共同相続者を,神の愛からまたキリストの愛から引きはなすことができないでしよう。もちろん,同じ原則は,今日『の他の羊』の『大いなる群衆』にも適用します。

ここでパウロは,神に対する彼の愛を決して冷えさせない,という彼の強い決意について論じているのではありません。むしろ,彼はその反対のことを論じているのです。彼は次の事実を強調しています。すなわち全宇宙内のいかなるものも,御霊によつて産み出された子たちに対する神の愛を無効にならせない,ということです。このことについてのゆるぎない確信は,御霊で産み出されたすべての者にとつてなぐさめを与えます。

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