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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1961
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読者よりの質問

● 親の片方だけがエホバの証者の献身したクリスチャンであるばあい,その家庭で子供を訓練するにあたりどんな聖書的な原則はその導きになりますか。―受けた多くの質問より

聖書によれば,夫そして父親は家のかしらです。もし彼がエホバの証者の献身したクリスチャンであるなら,自分の家族を物質的並びに霊的に扶養する責任があります。(テモテ前 5:8)彼の妻が不信者であっても,子供たちが家庭と御国会館の両方で適当なクリスチャンの教育と訓練を受けるように取り計らわねばなりませんし,彼の妻が神の御言葉の真理を理解するように全力をあげて援助しなくてはなりません。同時に妻が彼女なりに神を崇拝する自由を許すべきです。時には彼女が崇拝を行なっている所へ子供たちをつれて行くと主張するかもしれません。彼女に崇拝の自由を許すという事は,シーズンともなれば家の一室にクリスマスツリーを飾らせるという事にもなります。そのばあい信者の夫は,家のほかの部屋,あるいは家の外側を飾らせるというような事をさせません。このように崇拝の自由を彼の妻にもさしのべることにより,彼は自分を愛するように妻をも愛しているということを示します。―エペソ 5:28,29。

同様に家のかしらである父親が,不信者のばあい,子供たちに宗教をおしつけるかもしれません。しかし父親がいない時,母親が子供の行為に責任があるとうことからみて,母親は子供に正しい原則を教え込まなくてはなりません。そして機会があれば子供たちに証言すべきです。夫がひどく反対していて,子供が奉仕や集会に行くのを禁ずるばあい,母親は子供をつれて行く事ができないかもしれません。でも,いろいろな手段をこうじて子供に聖書の原則や真理を教えることができます。子供が質問をするばあい,母親はそれに答える権利があります。

このような父親が国旗敬礼のことを問題にしたばあいはどうでしょうか。神の言葉によるとクリスチャンはすべて,その信じていることあるいはその行動を弁明するようにといわれています。それで献身した母親は家族の全部の者が彼女の立場つまりクリスチャンの原則に忠実だという事を理解するように,子供ではなく夫にも弁明しまた説明する権利があります。(ペテロ前 3:15)このばあい父親は,子供が母の言う事をきいて国旗敬礼に関して聖書的な立場をとることに反対しているわけですから,母親がこの事がらについて聖書が何を言っているかということを子供に説明することはできても,この点に関して子供が聖書の原則に従うようにと主張する権利は母親にはないのです。なぜなら夫は家のかしらとして,子供がその式に参加するよう要求しているからです。子供は父親の意向を考慮しなくてはならないでしょう。そして,母親は,学校でその式が行なわれる時に,自分の子供が式に参加しないでもすむようにと先生に手紙をかいて,子供の参加をさまたげたりしないでしょう。しかし,もし子供が母親の立場を学び,それが聖書的であり,ゆえに神の御こころであると知り,自分の良心から学校やその他の場所で自分の立場をとって,式に参加するのを拒絶するなら,もちろん,このような行動は母親が強要したからというのではなく,子供自身の意向であり,夫は妻を非難することはできないでしょう。つまり良心に従って自分の立場をとるのは子供の責任なのです。そしてもし父親が,愛国的な儀式に参加しなかったという理由で子供を罰するなら,子供は義のために苦しむことになります。―ペテロ前 2:19,20。

ペテロ前書 3章1-6節にある助言と一致して,不信者を夫に持つ献身したクリスチャンの妻は,行いを模範的なものにし,夫に対しては深い尊敬を示し,子供にもそうするよう教えます。しかしながら,真の崇拝には活発に参与します。そして忠実な行為と話す事がらによって,夫と子供に強い影響を及ぼし,彼らも救われるようにします。―コリント前 7:14,16。

信者の方の親から学んだ聖書の真理に認識を示す子供のばあい,クリスチャンの原則はやはりその子供のとるコースを支配いたします。不信者の方の親は子供が教会に出席すべきだと主張するかもしれません。そして小さい子供は,当然親のもとにいるので,出席せざるをえないかもしれません。しかし教会において偶像崇拝の儀式にあずかるということは,良心的にできないでしょう。それで討論の時間に機会が与えられたら,天の御父の言葉を弁明致します。不信者の親によってエホバ神の律法を直接にやぶるようなことをするようにといわれたとき,子供は聖書の助言に従って導びかれることになります,「人間に従うよりは,神に従うべきである」。「わたしよりも父または母を愛する者は,わたしにふさわしくない」。「子たる者よ。主にあって両親に従いなさい」。―使行 5:29。マタイ 10:37。エペソ 6:1,新口。

このようにしてすべての状態のもとで,分裂した家庭にいる献身した各人は,その状況に應じて適当な評価をいたします。第一の責任は神に対するものであると認め,このことからして神の与えた助言,つまり家族の中でのかしらを認めるという助言に従い,その者に対してふさわしい愛と深い尊敬を示します。

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「もしだれかが,不当な苦しみを受けても,神を仰いでその苦痛を忍ぶなら,それはよみせられることである。……善を行って苦しみを受け,しかもそれを耐え忍んでいるとすれば,これこそ神によみせられることである」。―ペテロ前 2:19,20,新口。

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