「彼らは一致の中に伝道する」
― 1961年のエホバの証者の年鑑より ―
韓国
人口: 22,250,000人
伝道者最高数: 3,844人
比率: 5,788人に1人
10年前に,韓国で動乱があり,61人の伝道者は方々に散らばってしまいました。宣教師は国外へ出され,韓国のエホバの証者のこの若い制度は,非常な試錬に会いました。それから10年たった現在では,10年前に伝道していた61人のひとりひとりに,別の62人が加わりました。今日では3844人のエホバの証者が良いおとずれを伝えています。これは世界中のエホバの証者にとって喜びとなります。なぜなら神の御言葉が成就され,すべての国々,種族,そして言語の者たちがエホバの御名をほめたたえるために,エホバの家に行くのをみるからです。終りの日に大いなる群集がエホバの家にくるという神の約束どおり,新しい世の社会は諸国民を慰めるためによろこんで神の御心を行なっています。韓国でわざが現在どのように行なわれているかについて,支部の僕は興味深い経験をいくつかしらせてきました。
韓国語で「目ざめよ!」が出されてから満1年になりますが,会衆の伝道者の雑誌配布は33パーセント増加しました。私たちは目標に達するために今後も一生懸命に働かなくてはなりません。しかしこのようなよい雑誌が備えられ,野外で使うことができて感謝しています。1人の若い開拓者の兄弟は,2ヵ月にわたり仁川の地区にある多くの島々へ行き,毎月300冊以上の雑誌を配布しました。またある姉妹は「目ざめよ!」を配布したところを再訪問し,最初の再訪問で研究を取りきめました。研究中にちょっとしたことから,その婦人が「エホバの証者はなぜタバコを避けるか」という記事を読んだその日に,タバコをやめたということを知りました。
ヘンシェル兄弟の時を得た韓国訪問は,昨年中の他のすべてのできごとを背後に押しやってしまったというような感を与えます。4月に平和を追い求める全国大会の取り極めをしていた時,5月に行なわれることになっていた大統領選挙のことを考えにいれ,野外集会が禁止される可能性があるのではないかと思いました。それで大きな野外のスタジアムより小さくても屋内の講堂の方がよいということになりました。契約が済んでから選挙が3月になったということを知り,大きい方のスタジアムの方にすればよかったと思いました。ところが韓国の人々は選挙の結果にふんがいして,デモを行なったため,結局は政府が一切の野外集会を禁じるということになりました。それで私たちが屋内のスタジアムに決めたこと,また李政権を倒す暴動が,私たちの大会が成功裡に終ったその翌日まで主都ではおこらなかったということに感謝しました。
ヘンシェル兄弟の話には4007名が出席し,講堂は一杯になり立錐の余地もなく,今まで証者たちがこのような大群集をここで集めたことはありませんでした。
11年間仏教徒の人々の間で働いてきましたが,霊的に無感覚な状態に人々をとじこめておくこの偽りの信仰から,人々が自由になるのを見るのは今もって私たちの心を湧きたたせます。巡回の僕は60才になる婦人の経験を述べています。彼女はキリスト教国の宗派に真の宗教を求めようとしたのですが,あまり物質的でだめだと思いました。それで仏教の方に転じて,数年間,熱心にその原則に従おうとしましたが,自ら正しいとするその教えもまただめだということに気がつきました。その土地の伝道者から御国の音信を始めてきいた時,あまりよすぎて本当とは思えないと思って,気にもとめませんでした。でもその伝道者のねばりづよさが実を結んで,研究が始められました。そして遂には地域大会に出席することになりました。そこで彼女は眼鏡をなくし,盗まれたのだろうと思いました。案内人が紛失係りから眼鏡を見つけてきて,彼女に渡した時に,エホバの証者は自分の宗教の教え通りに生活しているのだということを,認め始めました。今では彼女も良いおとずれを伝道しています。
若い多くの兄弟たちは,中立を保つために今でも投獄されています。大邱の1人の死刑囚は,彼の棟のいわば世話役でした。彼の命令ですべての囚人は,食物が運ばれてきた時,床に頭をつけておじぎをしなくてはなりませんでした。エホバの証者のひとりが頭をさげることを拒絶した時,この囚人は即座に彼をぶとうとしました。この若い証者は巧みに答え,その結果,この死刑囚と研究することになりました。遂にこの人は献身して洗礼を受け,偉大な審判者であるエホバに頼りました。彼の静かな希望と深い信仰は,看守を始め,同僚の囚人や彼の家族の者を驚かせました。彼が気にかけていたことはただ,ひとつ,母親が勉強して真理を学んでくれればよい,ということでした。彼は最後まで落着いており冷静でした。必要が大きい場所はまだたくさんあります。革命についできた経済的不況のために,生活の問題はかつてない程深刻になりました。しかし,家族の不信者のものとでさえもはかれば何かを考えだすことができるものです。ひとりの姉妹の夫は,半島を旅行してまわる職業を持っています。毎月1日あるいは2日間だけ,妻や子供に会います。それで彼女がほかの場所に移っても,彼女の主人は同じように容易に自分と子供に会うことができるのだと彼女は考えたのです。それで伝道者が全然いない町へ行きました。最初のうち彼女は淋しく感じました。でも隣の町に特別開拓者の姉妹がいてはげましてくれたので,元気づけられました。彼女は休暇開拓を始めました。5ヵ月間続けてから今度は正規開拓者になりました。1ヵ年が経過し,彼女の始めた小さい群れは会衆になりました。自分たちの御国会館もあり,約20人が定期的に出席しています。そこは農村なので,お金の寄付を受けることはほとんどなく,品物や食物を受けます。彼女の主人はそこにいくことを別にいやだと思っていません。実際のところ以前住んでいた釜山よりもそこの方が中心部にあるので,好都合なくらいです。彼女は今では落胆するどころか,よろこびに満ちあふれて自分の経験を語っています。