ロシアにおける迫害
共産主義者たちが用いる一つの迫害の手段は,治安警察署員によって開かれる集会です。数百人の町の人々が集められますが,その中に私たちの兄弟たちがいるわけです。それから,共産党の種々の協力機関の乾部たちは,1959年のコルホーズナヤ・プラウダ紙が伝えたように,「この宗派は,一つの地下政治組織で,ソビエト政府に対する破壊活動をつづけており,新しい戦争のことを公然と宣伝している」とエホバの証者を非難します。すると参会者は,自分たちの地域にいるエホバの証者がその活動を中止して信仰を捨てることを要求し,証者はそのことについて公衆の前で質問されます。信仰を捨てることを拒否する者を,その土地から排斥する宣言文が作成されます。証者たちは職場から追い出され,生活の手段を失います。
責任の地位にある兄弟は,方々で開かれたこの種の集会について報告を寄せていますが,さらにこうつけ加えています,「しかし彼らはまだ,大した成果をあげていません。エホバのあわれみにより,大多数の兄弟姉妹は,励ましを受けてしっかりとした態度を保っています。そして,むずかしい問題があるにもかかわらず,多くの小さなグループに分かれて集まり合い,命の食物を共に楽しみ,また主の他の羊を集めることに最善の努力を払っています」。―1961年のエホバの証者の年鑑より