神の目的とエホバの証者(その48)
「『あなたがたは私の証者です』とエホバは言われる」― イザヤ 43:10,新世訳
トム: 法廷における公正な聴問の権利に対するこの恐ろしい打撃をうけて後に,エホバの証者と協会は戦いを断念しましたか。
ジョン: いいえ,彼らはだんことして断念しませんでした。協会の弁護士は,他の多くの件における妨害物を取りのぞこうとつとめました。その中の二つの件では,エホバの証者は列の終りに行って,就任局の役人と爪先立ったことがありました。南カロライナ州のスミスとペンシルバニア州のエステップの二人の証者は就任することを拒絶しました。彼らは告訴されて,二つの別々の控訴院が弁護を認めぬと述べたため,その後の処罰は確認されました。この二つの件は,それから最高裁判所に提出されましたが,その間に,戦争は終了しました。1946年2月4日,最高裁判所はエホバの証者に有利な判決をくだしました。最高裁判所は次のように裁定しました。すなわちエホバの証者に公正な聴問の権利を拒絶し,証者たちが弁論する前に中立を妥協して,まず軍隊にはいらねばならぬと裁定したアメリカ合衆国の下級連邦判所は間ちがっていたというのです。最高裁判所は次のようにも論じました。すなわち徴兵委員会は条例と規定に違反行為をなし,事実に反して奉仕者の類別を否定したのであるから,証者たちは徴兵委員会の無効なることを示し得るとのことです。a
その年の終り頃(1946年12月23日)最高裁判所は法律を拡大して,良心にもとづく戦争反対者で,収容所に行かなかったエホバの証者,あるいは出頭後も収容所に残らなかったエホバの証者たちが法廷で弁明することを許しました。これは,ギブリンとドデスの件でした。b
ロイス: 最高裁判所がそのような件における法律を明確にし,弁論を否定した下級の連邦裁判所の態度を矯正して後,戦時中に投獄され罰金刑を受けた4300名の証者たちに対してはなんらかの処置がなされましたか。
ジョン: ちょっと前にお話したように,唯一の残された方法はアメリカ合衆国の大統領に請願することでした。エホバの証者を代表した委員会は1946年のクリーブランドの大会決議にもとづいてそのことをしたのです。前にもお話ししましたが,大統領と恩赦委員会は,約136名だけエホバの証者に恩赦を与えて,残りの他の者全部に差別をつけるという処置を取り,事態をごまかしたのです。c
ロイス: 刑務所に入れられた4300人はどうなりましたか。
ジョン: ほんとうに大ぜいのエホバの証者が刑務所に入れられていました。しかし,彼らの行動は模範的だったので,刑務所の看手がてこずることはありませんでした。多数のエホバの証者が刑務所に入れられたため,連邦の刑務所施設を拡大することが必要でした。そして,多くの場合,全く新しい施設がつくられました。投獄された証者は,刑務所の仕事に忙しくない閑なときでも,時間を浪費しませんでした。それどころか,彼らには聖書や協会の他の出版物の研究をすることが許されたのです。彼らは余暇を良く利用して自分たちの教養を高めたのです。定期的に協会本部からの特別な奉仕者が彼らを訪問して霊的な面で彼らに奉仕しました。これらの人々が忠実を守ったことは,公式の記録になっています。彼らが絶対の中立の原則をしっかり擁護するだけの勇気を持ったことは,徴兵法にかからなかった多数の兄弟たちを強めるのに役立ちました。d
トムさん,ロイスの牧師がエホバの証者について語った疑問の解答が得られましたか。
トム: ええ,全部ではありませんが,しかしちょっと別のことが疑問になっています。エホバの証者が奉仕者であるという主張は通るようになりましたか。
ジョン: いいえ! エホバの証者が奉仕者としての資格を持っているかどうかについての長期間にわたる戦いは始まったばかりでした。もちろん,聴問の権利を確立するための,数年にわたるこの戦いは,エホバの証者に有利に判決されることが必要でした。しかし,1941年から1946年まで刑務所に入れられた4300名が奉仕者としての格づけを受けるにはおそすぎたのです。第二世界大戦終了と共に,徴兵委員会はなくなり,それと共に裁判所もなくなりました。しかし,徴兵の法律は終了しませんでした。1948年,国会は1948年選抜徴兵法が通過したとき,徴兵法は再施行されました。後になって,1951年には,それにはユニバーサル軍事訓練奉仕条令という名前がつけられました。1948年から今日にいたるまで,連邦法廷においてエホバの証者と徴兵委員会,選抜軍役システム,および法務省のあいだにはアメリカ全土において合法の戦いがなされました。それは,エホバの証者が奉仕者としての類別の資格を持つ者かどうか,もしそうなら,彼らの中のだれがその資格を持つ者かどうかについての戦いです。
ロイス: ぜひそのことをお話し下さい。
ジョン: 多数の事件において,遂にエホバの証者は成功をおさめ,法廷は彼らが奉仕者であって,兵役免除の資格を持つむね裁決しました。しかしこの成功は一夜にして難なく得られたのではありません。
トム: というと,証者は,以前,裁判の権利を確立した時と同様,またもや国中の法廷でこの問題のために戦わなければならなかったという事ですか。
ジョン: そうです。国中の全時間開拓奉仕者や会衆の僕の場合,徴兵委員会が事実に反する類別を決定し,奉仕者としての資格を認めないために起訴されたならば,協会はその弁護を引き受ける方針をとりました。エホバの証者の弁護士はその方針をつらぬいたのです。この論点を支持する判決が,前に一度ありました。それはシカゴの上告裁判所で争われた事件で,法廷は次のことを述べました。
……この事に関しては徴兵委員会あるいは法廷,あるいは他のだれかが,彼らについてどう考えるかは余り大切ではない。選抜徴兵局によって彼らが宗教団体と認められ,他の如何なる宗教団体の成員とも同じ待遇を受ける資格を持つことは事実である…
…委員会が4-Dの類別を拒否したことが正当かどうかについては,重大な疑いがある。この点に関する,委員会の当初の考えが何であったにしても,提出された証拠に照らしてみるとき,この者がかかる類別に入れられる資格を持つことは明らかである。e
トム: それは当然のことのように思えますが,他の法廷が同じ判決を下さなかったのはなぜですか。
ジョン: 会衆国各地においてどの事件の場合にも,政府の検事は,ハルの意見にもかかわらず,全時間開拓者が固定した会衆を持たないとの理由で,免除を受ける資格がないと論じました。また会衆の僕は一般信徒の会衆を持たず,エホバの証者から成る会衆を主宰しているとの理由で免除を受ける資格に欠けると論じたのです。この論法は,1953年11月30日,ディッキンソン事件に対する最高裁判所の判決が下されてから,はじめて克服され,論破されました。ディッキンソンは会衆の僕で開拓者でした。彼は毎週5時間,世俗の仕事をして生計を立て,宣教に従事していたのです。最高裁判所は,宣教がディッキンソンの職であり,一般信徒から成る固定した会衆を持つ必要はないとの裁定を下しました。また説教壇に立つかわりに,家から家の伝道および野外,人々の家における宣教に大部分の時間を費やしていても,免除を受ける資格があると述べました。また奉仕者の会衆を主宰するとの理由で,奉仕者の免除を拒否されることはない旨が,明らかにされたのです。
次は発表された意見の中で興味のある部分です。
ディッキンソンの主張は法令の規準にかなうものと,我々は考える。同人はその属する宗派の定めに従って任命され,かつ提出された証拠に照らして見るとき,職として定期的にその宗派の原則を伝道し,教えると共に,その宗教の伝統に従って公の崇拝を行なっていることは,全く明らかである。その宗派の用いる任命方法,教義,伝道の方法が,正統派の伝統的なそれと異なっていても,それは我々の関心事ではない。もちろん,法の目的は,ある宗派が正統派のものかどうかを調べることではない。f
ロイス: では最高裁判所は,このように長い年月を経た後に,とうとうエホバの証者の一人を奉仕者と認めたわけですね! それはとうにそうあるべきもので,大きな勝利だと思います。
ジョン: その通りです。この判決によって,徴兵委員会,法務省,法廷がエホバの証者に対して抱いていた偏見は,おおかた打ちくずされてしまいました。その後,下級の連邦裁判所は,この判決を認め,またその原則を適用して,最高裁判所の決定に同調し始めました。
オルヴェラ事件では,ニューオーリーンズ上告裁判所のハッチンソン主席判事が,エホバの証者の弁護士の弁論に同意し,こう述べています ― その一部をお読みしましょう。
言うべき事が言われ,なされるべき事がなされたとき,これらの事件,また類似の事件における問題点は,法律と自由とを一致させることである。法の支配と人間の支配との相違はここにある。従って選抜訓練および徴兵法を良心的参戦拒否者の事件に適用し,解釈するにあたっては,次の事柄を留意しなければならぬ。(1)問題の法律は,宗教の自由に関する法律である。(2)殉教者の血は教会の種子である。(3)自由と法律は両立しなければならず,いずれが他方の範囲を越えてもならない。g
トム: 徴兵法の中に,宗教的兵役拒否者の権利を守る条項があるとは驚きました。
ジョン: そうです。各地における多数の他の判決も,それを証明しています。法廷は,エホバの証者も,有名な大きい宗教組織の牧師と同じ待遇を受ける権利があることを,何回も明らかにしてきました。このような判決文の写しをここに沢山持っています。また連邦下級および上告裁判所が述べた,エホバの証者に有利な30以上の意見を表にしたものもあります。これはこの宣教上の問題に関連して私が集めました。その全部は,部分時間の世俗の仕事をして生計を立てているとの理由で,全時間開拓奉仕者の兵役免除を拒否できないことを述べています。
ある上告裁判所は,エホバの証者が兵役免除の特典を与えられるに足りる教育を受けていないとの,偽りの告訴に次のように答えています,
……この法令は,奉仕者の教育程度をためすものではない。イエス・キリストの使徒を含めて,最も偉大な宗教家の中には無学の人もいた。h
合衆国第5巡回区上告裁判所は,徴兵委員会のあるものの間違いを,次のように指摘しました。
……彼らはエホバの証者の開拓奉仕者を,正統派教会の奉仕者の型に無理にはめ込もうとした。しかし事実を言えば,正統派教会の僧服をエホバの証者の開拓奉仕者に着せることは,不可能なのである……
同じ上告裁判所は,1958年11月26日,ワギンズ事件に判決を下しています。ワギンズは全時間開拓奉仕者ではなく,会衆の書籍研究の司会者で,世俗の仕事をして生計を立てていました。彼は,奉仕者としてではなく良心的兵役拒否者と認められて後,命ぜられた軍属の仕事の遂行を拒否したため,アラバマ州南部地区の合衆国地方裁判所において有罪の判決を受けました。上訴を受けた上告裁判所は,「ワギンズの事件を一見証拠の十分な事件と見ることには無理があり,委員会が奉仕者としての免除を拒否する根拠はない」として,有罪の判決をくつがえしました。合衆国主席検事は,上告裁判所の判決を再考のうえ,取消すように最高裁判所に申し立てましたが,最高裁判所はこれを却下して,ワギンズが奉仕者であるとの判決は確定しました。
ロイス: あなたの証拠によれば,エホバの証者は私の教会の牧師とは違っても,法律の下では同じ権利があるという訳ですね,ジョンさん。
ジョン: 全くその通りです。全部をあげることはできませんでしたが,何しろ徴兵法によって有罪とされた証者を無実とした連邦裁判所の判決は,150に余ります。エホバの証者は兵役のがれだと非難している牧師の攻撃に答えてもらいたいと,あなたに言われて以来,沢山の資料を集めました。他にも沢山の事件があって,新聞,法律関係の出版物,他の書物を見ても,牧師の非難は根拠のないものです。それとは反対に,先ほど読んだオルヴェラ事件の判決文の中でハッチェソン判事が述べているように,エホバの証者は殉教者の血潮に燃えていることを表わし示したのです。そのうえ不利な判決を受けて公正な裁判の権利を与えられず,何年にもわたる刑を宣告されながらも,長年のあいだ固い立場をとることができたのは,エホバの御霊の力です。遂に証者はエホバの力によって,その正しいことを立証され,法廷で日の目を見る権利を与えられたのです。今ではアメリカ合衆国内で大勢の奉仕者が兵役を免除されています。
ロイス: これで,アメリカの徴兵法に関連した事件の報告は終わりですか。
ジョン: ほとんど終わりましたが,1955年3月14日に,最高裁判所は三つの重要な事件で,エホバの証者に有利な判決を下しました。そのひとつはこのような事件です。法務省では,あるエホバの証者の良心的な兵役拒否者としての主張を認めないようにと勧告していました。それはこの証者が,他のすべての証者と同じく,聖書にしるされた神権的な戦いを正しいものと考え,自己防衛を正当と考えているとの理由に基づくものです。最高裁判所はその勧告を不法なものと認め,それに由来する命令に基づいて下された有罪の判決は取消されました。その日に決定を見た他の件では,長いあいだ確立されてきた選抜徴兵局と法務省との諸規定が無効と宣告されました。公平な聴問を受ける,良心的兵役拒否者の権利を認めなかったのが,その理由でした。その結果,多数の係争中の事件が却下されました。
エホバの証者は長年のあいだ,激しい悪口を浴びせられてきました。その組織の中心は,国際的な本部の所在するこの国において,反政府の烙印を押され,アメリカ各地のエホバの証者は,第二次世界大戦中とその後において,第一次世界大戦中と同じく,徴兵法によって有罪とされた事件が広く報道されたために,非難を浴びることになりました。エホバの証者に対する偏見と差別待遇が一般化するにつれて,正直な心を持つ多くの人々も,良いたよりに耳を傾けなくなったのです。しかし証者は初期クリスチャンと同じく,聖書に基づいた絶対中立の立場を固く守り,そのかたわら良いたよりの伝道に励みました。
エホバの証者が兵役のがれのぺてん師でないことは,アメリカの上級裁判所もやむなく認めるに至りました。これはエホバの力によるのです。彼らは神の奉仕者であって,正義の新しい世の到来を全地で熱心に宣べ伝えてきました。大勢の牧師や他の著名な人々は,証者が徴兵法のために困難に陥つたことを,ひそかに喜んでいました。彼らは証者たちを兵役のがれのずるい者呼ばわりをして,迫害の火に油をそそぐことをしたのです。ゼカリヤの時代にも同様なことをした者がいました。(ゼカリヤ 1:15)世間から非難され,不名誉を着せられたこと,それが徴兵委員会あるいは「隣人」をもって任ずる人々からであろうと,尊敬されている連邦裁判所のほとんどすべての判事は言うに及ばず政府の高官,大統領からのものであろうと,エホバの証者は,政府から妨げられずに伝道するため,戦うことを断念しませんでした。そのために,法廷自身が彼らに加えられた悪名を取り除いたのです。最高裁判所がおそまきながら,ディッキンソン事件に対して下した判決は,i連鎖反応をひき起こし,その結果,奉仕者としてエホバの証者から兵役を免除することを定めた有利な判決が数多く下されました。またそのために,世間一般の人々の間でも,制度に浴びせられた不名誉な非難がおおかた取り除かれました。奉仕者から成るエホバの新世社会は,今でもある人々が偽りにも非難しているような不法の,邪悪な宗教団体としてではなく,アメリカ合衆国憲法の下において,正統派の宗教と同じく高い法的な立場を持つ団体として,この困難な事態から浮かびあがったのです。その個々の奉仕者は,徴兵法の下において正統派の牧師と同じく,保護と免除を得られることが立証されました。
合衆国の外における事態はまた異なつています。ヨーロッパ及び他の国々の献身した兄弟たちは,クリスチャン奉仕者として兵役から免除されるべきことを主張しましたが,それらの国々には,宗教の奉仕者を兵役から免除する法の規定がないのです。従って兄弟たちは任命された奉仕者として,最高の神に対しての責務に反する行いを拒絶したため,苦しみを受けました。たとえばスウエーデンのことを考えてみましょう。そこでこの世に対するクリスチャンの中立の立場をとる奉仕者は,刑務所に行き,刑期をつとめなければなりません。出所すると,その奉仕者は再び活発な宣教を始め,再び徴集されます。またしても妥協することなくキリストにならう中立を固く守るため,再び刑を宣告されて刑務所に送られます。出所すると,5回,6回,7回あるいはそれ以上も,同じ事をくり返すのです。できることと言えば,国家当局の前で何回でも自分の立場を述べ,不当な宣告を黙って受けるだけなのです。
ですからお分かりのように,ここアメリカ合衆国では,法によって任命された奉仕者と認められた人々に対しては法律の規定があり,エホバの証者が兵役の免除に値する真実の任命された奉仕者であることを聖書的に,また法律の定めに照らして証明したのは,全く正当なことでした。
トム: 合衆国以外の国で証者がどんなに大変な目にあったかは,今まで知りませんでした,全くここよりも悪かったのですね。たしかにこの問題で,指導者イエスのようにクリスチャンの忠実を守るには,信仰と神への献身が必要だったと思います。
[脚注]
a (ソ)327U・S・114,66
b (ツ)329U・S・338,67S,Ct
c (ネ)「目ざめよ!」(英文)29巻,1948年3月8日,9-12頁。また「良心の徴兵,スプラ」(英文)(脚注a)392,396,397,500,508頁。「連邦レジスター」第12巻,8731頁
d (ナ)「信仰に歩く」(英文)マクミラン著(エングルウッド・クリノス,ニュージャーシイ州,1957年,プレンティスーホール法人)187-191頁。
e (ラ)U・S・exrel,ハル対スタルター,151F,2d633,637,638-639(第7巡回区,1945年)
f (ム)346U・S・389,395,74S,Ct,152,157,98L,Ed,132(1953年)1954年3月22日号「目ざめよ!」(英文)35巻,5-15頁を見よ。
g (ウ)オルヴェラ対合衆国,223F,2d880,883(第5巡回区,1955年)
h (ヰ)合衆国対ハート,244F,2d46,52(第3巡回区1957年)
i (ノ)脚注(ム)を見よ。