やわらかな舌は骨をくだく
― 1963年エホバの証者の年鑑から ―
◇ アフリカのナイアサランドの経験。兄弟たちを妥協させようとして乱暴な手段にうったえる者があります。土地の政治運動に参加しないということが原因で,暴徒たちに自分の畑を荒された兄弟がかなりありました。多くの場合この種の仕うちは夜の間に行なわれ,朝になってみると,成長した作物がみな根元から切り倒されています。この土地の兄弟の多くは農業を営んでおり,食物が足りなくなって困りました。しかし,こうした他人の資産の破壊行為はすべて警察署に届けられ,判決のあったある事件では,20人の暴徒が有罪になりました。兄弟たちのいつもかわらぬ誠実な態度が良い証言にもなりました。法廷における3人の兄弟の様子は主任判事の記録の中にもあらわれています。「私はこの人たちから強い感銘を受けた。3人とも真理を証言するという態度を一歩もゆずらず,実に信頼できる人たちだ」。畑をあらされた人たちを他の兄弟が助け,進んでトウモロコシやナンキンマメを供出しました。周囲の人たちは,今,エホバの証者がお互いを愛し合っており,実際に仲の良い家族のように皆が一致している事を知りました。
◇ パラガイでの経験。特別開拓者の夫婦が新しい任命地につき,伝道を始めて間もなく,その土地の牧師(スペイン人)は,自分の牧場に出没する二ひきの「いなご」の活動を気にするようになりました。おどしの手段を用い,一人の善意者をしばらく留置するような処置をとらせました。特別開拓者は割当てられた区域での伝道の仕事をそれまで通り続けるかたわら,問題が大きくなった場合にそなえていました。ある日,警察署の近くを伝道していた時,牧師が警察署の中に駆け込むのを兄弟は見ました。予期した通り,それから数分後には,警察署で牧師とエホバの証者とが顔を合わせることになりました。警察署の主だった人がいる前で,牧師は口ばやにエホバの証者に対する様々な非難の言葉を並べましたが,兄弟は適当な聖句を選び,おだやかな調子で答えました。その結果,牧師は,エホバの証者の宗教は一番古い宗教であり,エホバの証者が人々に教えているのは聖書の教であり,道徳的な面でもエホバの証者は社会の模範であるということを黙って認めざるを得ませんでした。コミサリオ(署長)はグァラニ語(土地の言葉)で,兄弟の勇気をほめ,町の人々の家をたずねて聖書を教える権利を守るためにとった兄弟の態度を誇りにさえ感じており,町の秩序を乱したり,物を盗んだりして警察をわずらわす者の中にはエホバの証者がいたことはない,と言いました。牧師が反対するのは,エホバの証者が聖書を持って家から家にたずね伝道するのを止めさせるためです,と兄弟が言うと,署長は笑いながら,「エホバの証者が1日中家にいて,なにもしないでいることを望んでいるのではないだろうか。私にまかせておいて下さい。もう,みなさんをわずらわせるようなことはないから,と言いました。この時以来,町の人たちで,エホバの証者の群れに集まる者が多くなり,数ヵ月後には会衆も組織され,今では11人の伝道者を数えています。聖書の述べる通り,柔和な言葉には骨をもくだくほどの力があり,この経験でも,エホバの力にたよりつつ,恐れなく,しかし,柔和な態度で対処することによって,固い反対もくだかれました。―箴言 25:5。