ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 塔66 6/1 323–324ページ
  • 条件にあわなければ協力を惜しみますか

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 条件にあわなければ協力を惜しみますか
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1966
  • 関連する記事
  • 協力し合うことによって霊的に進歩する
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 2009
  • クリスチャンの一致に貢献する どのように?
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2016
  • 神の主権の下に置かれる,一つの世界,一つの政府
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1976
  • 目次
    目ざめよ! 2005
もっと見る
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1966
塔66 6/1 323–324ページ

条件にあわなければ協力を惜しみますか

人間が自由を愛するのは自然です。しかし気ままにすぎるのは賢明ではありません。わたしたちは互いを必要とするのですから,そこには協調というものがなければなりません。生活をいとなんでいくうえにおいては,すべての人の協力を必要とする事柄がたくさんあります。

1965年10月12日のニューヨーク・タイムスは,「スイスは家のことでもんちゃくを起こしたアメリカ人を追放」という見出しの記事をのせましたが,これなどは,協調の必要を示すよい例です。そのアメリ人が追放されたのは,自宅を建てるのに,法律で決められている高さより23センチ高くすると言い張るなどして,小さな事で地方当局と問題ばかり起こしていたからです。政府は彼を,土地の規則や物事の仕方に順応できない者,あるいは順応しようとしない厄介者とみたのです。彼は妻と4人の小さな子供を残して出て行きました。

小さな事をさわぎたてて,自分に災いを招いたり,他の人に迷惑をかけたりするのはなんと愚かなことでしょう。なにがそのアメリカ人にそのような振舞をさせたのでしょうか。それは気ままな精神です。明らかにその人には,相手の立場に立って考える態度が欠けていました。スイス当局の側から物事を見ることができなかったのです。何事も自分の思いどおりにしようとして,当局に協力することをこばみ,順応しなかったので,追放されました。これは極端な例ですが,人間が一般にもっている弱点をよく示しています。

人と協力することが知恵の道であることはたしかです。ずっと昔,ある賢明な王はこう言いました。「ふたりはひとりにまさる。彼らはその労苦によって良い報いを得るからである。すなわち彼らが倒れる時には,そのひとりがその友を助け起す……三つよりの綱はたやすく切れない」― 伝道 4:9-12。

動物は自分で選択するのではなく,本能に従って行動するので彼らの名誉にはなりませんが,それでもわたしたちに,協力することの賢明さを教えていると言えるでしょう。著名な生物学者ウイリアム・A・フィーラーは,自著「哲学的生物学」の中で,すべての生物に基本的に群居性がそなわっていることを指摘し,「生物はみな,少なくとも一時的にでも他の生物と接するので,これはすべての生物の特徴に違いないと述べています。このことは,「ライオン,ワシ,サメ,トラ,カブトムシ,クモなどのように独居性とおもわれている生物について」さえ言えることであって,「真に独居性の生物はいない」とも書いています。アメリカの指導的な人類学者アシュレイ・モンタギューによると,動物の間では,生存競争より協力のほうがはるかに目だち,また重要です。彼は自分自身徹底した進化論者でありながら,ダーウィンの適者生存説を,「ダーウィンの誤り」a と述べています。

動物は本能的に他の動物と協力しますが,人間は自分の意志で決定して他の人と協力することができます。それは人間のすぐれたところです。協力とは,「共通の目的にむかって他の人,もしくは人々と一緒に働くこと」と定義されています。したがって協力しなければならないことには,価値のある目標が含まれています。その目標を達成するためには,進んで譲歩,あるいは「与える」必要があります。別のことばで言えば,より大きな事柄のために小さな事柄を犠牲にすることです。

たとえば男と女は,楽しい家庭をつくるために結婚します。その目標を実現させるためには,双方とも相手のために進んで自分を犠牲にすることが必要です。どちらかが自分の考えを押しとおそうとしたり,自分に都合のわるいことには協力を惜しむようなことをすれば,その目的は達せられず,家族のしあわせは失われます。にもかかわらず,そのようなことをし,相手には協力せずに自分の意見だけ押しとおして,自分のしあわせと相手の幸福を台なしにする人が少なくありません。

たとえば妻が,自分の親族を訪問するように夫を説きつけます。しかしその親族をあまり好まなければ,夫はその訪問をほんとうに楽しいものにする努力をしようとしません。または夫が友だちを夕食に呼ぼうとしたり,特別の食事を作ってくれるように頼むかもしれません。しかし妻は,自分がその友だち,あるいは食事を好まなければ,心から協力することをせずに,それを無視していつもと同じようなものを作り,自分の気持ちを示すかも知れません。いずれのばあいもおよそ,自分にしてほしいと思うことを人にしているとは言えません。またそれは愚かしいことです。なぜなら,相手を喜ばせると自分もうれしくなるように,協力を拒否して相手をいやな気持ちにさせると,自分もいやな気持ちになるからです。―ルカ 6:31。

協力の問題は職場でも起きるでしょう。あることが自分に納得のいかない方法で行なわれているからといって,それはこちらが力をつくして自分の分を果たさなくてよい理由にはなりません。それが本当に効果的な方法でなければ,時が示すでしょう。その時までは,あらゆる手をつくしてそれが成功に終わるように努めなければなりません。使徒パウロは初期クリスチャンに,「何をするにも,人に対してではなく,〔エホバ〕に対してするように,心から働きなさい」と助言しました。―コロサイ 3:23,〔新世訳〕。

とくに自発的にする仕事のばあいは,協力ということが重要な問題になってきます。公益のためにお互いに努力し,各自が無償で奉仕したり物資を寄付するところでは,ともすると,自分を重要視しすぎて,物事が自分のおもいどおりに行なわれなかったり十分に重い役が自分に与えられないと,協力もいい加減にしておけばよいと考えがちになります。目的,グループあるいは組織に対する忠実さは,ここでためされると言えるでしょう。

他への協力を惜しむなら,多くの祝福を失います。正しい原則が守られるところには,自分の好みを主張せずに他の人あるいは公共の利益のために道を譲る喜びがいつもあります。知恵,良心,愛をもつゆえに,自分の意志によって他に協力できることは,人間にとって名誉なことです。それは真の意味で与えることであって,神の子イエス・キリストはそのことにつき,「受けるよりは与える方が,さいわいである」と言われました。それですから他の人への協力を惜しまないようにしましょう。お互いの福祉としあわせのために,自分の意図ばかりを主張しないようにしましょう。―使行 20:35。

[脚注]

a 「ダーウィン: 競争と協力」(1950年)

    日本語出版物(1954-2025)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする