『すべての国の民への証言』
エホバの証人の1968年度年鑑より
マラガシイ共和国
人口: 6,562,041
伝道者最高数: 263
比率: 24,951人に1人
マラガシイ共和国の一人の宣教者は次のような手紙を寄せています。「最近,一人の子供の伝道者が町の病院で姉妹の治療を待っているあいだに興味深い経験をしました。その病院で,セブンスデイ教会の説教師が教義を説明していましたが,それに耳を傾けてから,この若い伝道者は丁寧に話をさえぎってこう言ったのです。『すみませんが,あなたの言われることは聖書のどこにありますか』。もちろん,その説教師は自分の教えを支持する聖句を示すことができず,仕方なくこの若い伝道者の聖書からの説明を聞きました。その場所に居合わせた人々はとても感心して,次のことを尋ね始めました。『こんな小さな子供がこれらの事を知っており,しかもおじけないで聖書について話せるのはどういうわけなのか』。ある人は,『この少年は,T町で聖書を教えている新しい宣教者の「助手」なのだ』と言いました。この伝道者がエホバの証人であることを聞いて,病院の医者が,聖書にエホバの証人の事が出ているかどうかと尋ねました。そこでこの若い伝道者は,説教師の聖書を使いながら,イザヤ書 43章10-12節をエホバの証人に適用して立派な証言をしたのです。深い感銘を受けた医者は,『こんな若者が,しかもまだほんの子供がこのように聖書を説明でき,自分の信仰を表明できるなんて,考えてもみたまえ』と述べ,それから若いエホバの証人に向き直って,『ここにまた来て,君が学んでいることについてもっと話してくれないか』と頼んだのでした」。
他の宣教者も次のような手紙を寄せています。「あらゆる機会に聖書の真理を話すならしばしばすばらしい結果が得られます。ある日,白の長い着物を着てひげをはやした70歳の老人が,つえを突きながら,宣教者の家を訪れ,宣教者が教会を建てる土地をいくらか売りたいと申し出ました。しかし,宣教者は,自分たちがそこにいるのは,教会を建てるためではなく,聖書を理解するよう人々を助けるためであると説明し,そして,御国について話したあとで,次の日曜日の『ものみの塔』研究に招待しました。この老人はちゃんと来ましたが,聖書について知るべき事は何でも知っている,といった態度をとっていました。それでも,集会のあとで聖書を学びたいかどうかを尋ねられたとき,『もちろんです。私だけではなく,家族全部もお願いします』と答えたのです。研究がとりきめられ,その翌日,彼の家には20人の人が待っていました。1か月後にその老人は定期的に集会に出席するようになりました。御国会館から相当遠い所に住み,しかもつえを突きながら歩いてくるので,会館に着くには2時間もかかります。しかし,研究にとても早く進歩し,大変謙遜になって学ぶべき事がまだまだあることを認識してきました。そして,伝道したいとしきりに願いましたが,まだ研究を始めたばかりなので,少なくとも『正義の新しい世を待ち望んで生活する』の小冊子を勉強し終えるまでさし控えた方がよいと思われました。巡回の僕がその会衆を訪問したとき,その老人はこう言いました。『― さん,宣教者はひどいですよ。私はまだ伝道に行くことができないと言うんですもの』。しばらくして,もし彼がヒゲをそり,髪を切り,例の長い衣を着ないで他のものを着るならよいでしょうとの説明がなされました。そのうえ,もし神のことばである聖書の真理に同意するなら,その真理を他の人に教えるため宣教者と一緒に行ってもよいと説明されました。それを聞いて老人はとても喜びましたが,貧乏のため例の衣以外に何も着るものがないと言いました。そこで宣教者たちがズボンとシャツを1着ずつ与えたところ,野外奉仕に初めて参加した日には,彼は別人のようでした。最初の月に70時間伝道してたくさんの雑誌を配布し,100以上の再訪問を行ないました。次の月はもっと熱心な伝道奉仕をして,エホバの御心を行なうことに全生活をささげました。2,3か月経つうちに彼は杖を捨ててしまいましたが,その理由を尋ねられたときに彼はこう答えたのです。『エホバは私に新しい人生を与えてくださり,私は20年間伝道できるようにお願いしました。それで,御国についてすべての人に語ることができるのです』。人生の真の目的を見いだしたことが本当の理由でした。伝道しはじめてから3か月目,彼は巡回大会でバプテスマを受けました」。