『こうべを上げ』て救いを知らせる
エホバの証人の1969年度年鑑より
ベトナム
人口: 16,973,000人
伝道者最高数: 30人
比率: 565,767人に1人
何年ものあいだベトナムは戦争で苦しめられ,国民は絶えず混迷と不安にさいなまれてきました。これまで幾年ものあいだ,徐々に進歩を見せてきた神権活動はテト攻勢のため進展をはばまれました。ある人々はこの国を去ったため,伝道者数は減少しました。しかし最近,エホバの霊は,苦難に満ちたこの国を揺り動かしているように感じられます。「願ふところのもの」たちは,エホバの崇拝の家に集まり,まことの神の側に立っています。昨奉仕年度の終わる3か月ほど前のこと,7名の人が新しく伝道を始めました。そのほか,知人に証言している人が16名おり,彼らも御国の伝道者になるでしょう。
イエスは,ご自分の弟子たちは互いに愛しあうことによって見分けられるであろうと言われました。カオダイ宗の一帰依者は初めて御国会館を訪れ,集会に出席して深い感銘を受け,こう語りました。「出席者はみな互いにほんとうに深い関心を払っていることを知りました。バプテスマを受けた信者はたしかに,多数の真の兄弟姉妹を持つことになるのです」。この人も御国の伝道者になり,今では妻と二人の娘も伝道に携わりたいと願っています。
戦争によるさまざまな苦難にもめげず,真理を学んだ一家族がいます。父親は5年間新教の信者と聖書を研究しました。しかし,エホバの証人と家庭聖書研究を始め,ほどなくして真の崇拝と偽りの崇拝の違いを知りました。その後事情があってこの一家はサイゴンから数キロ離れた土地に移りました。テト攻勢とそれに続く攻撃のため,この人の家は3度も全焼し,彼と妻それに8人の子供はそのたびにかろうじて難をのがれたのです。その間彼は消息を断ちましたが,最近,宣教者の新しい家をさがしあてて会衆の監督に会えたとき,監督を抱いて声を上げて泣きました。それはほんとうに喜びの再会でした。彼はその間いつも近隣の人々と聖書研究を行なっていました。また,子供たちはパンフレットを学校に携えて行き,すべての先生に伝道しました。こうして,普通なら会えない多くの人々に良いたよりを伝えることができました。ある時,彼は教会に戻るよう牧師から誘われました。これに対しなんと答えたでしょうか。それはこうです。「いったいどうして教会に戻れるでしょう。あなた自身聖書に従っておられないではありませんか!」 この家族全員が御国の伝道者になるのもまもないことでしょう。孤立した所で,激しい攻勢に会っても,エホバはその強い御手でこの家族を霊肉ともに守られたのです。
西サモア
人口: 137,000人
伝道者最高数: 83人
比率: 1,651人に1人
あなたは日常,職場でどうふるまっていますか。クリスチャンにふさわしくふるまっていますか。ある時,ゴルフ場新設工事のため,アメリカの一土木技師が島に派遣され二,三日滞在しました。さて,その工事の測量の監督にあたっていたのはある若い兄弟でした。そこで二人はいっしょに仕事をしました。二人は毎日いろいろな話をしましたが,その兄弟は,御国やエホバの証人のことには直接触れず,長年,「目ざめよ!」誌をよく読み学んだ事柄に基づいて話をしました。土木技師はその若い証人の父親ほどの年配でしたが,この兄弟の考え方に心を引かれ,また兄弟のりっぱな態度にすっかり感心し,もう少し滞在して二人で楽しい仕事を続けることにしました。その技師はこの国の元首や地方の高官の賓客だったにもかかわらず,島での最後の夜はその兄弟の家で過ごしました。さて,兄弟が食前の祈りをしたのち,技師は,「お宅はクリスチャンの家庭だったのですね。わたしはたいへんうれしく思います」と述べました。「わたしたちがエホバの証人だと知ったら,あなたは驚かれるかもしれません」と兄弟が話したところ,技師は,「しかしあなたも驚かれることでしょう。というのはあなたにお会いし,あなたがわたしに話してくださったことを聞いて,わたしもエホバの証人になりたいと思っているのです」と答えました。さらに技師の語ったところによれば,アメリカに住むその実の兄弟たちもエホバの証人でした。しかし彼は土木事業の大きな会社を経営して多忙をきわめていたため,エホバの証人である肉身の兄弟たちの話を一度も真剣に聞いたことがなかったのです。しかし,まる1週間その兄弟といっしょに働くにつれ,それまで大切な事柄とみなしていなかったことが,今や理にかなった,当然のことと考えられるようになったのです。すっかり興奮した技師は,食事をとることさえできないほどでした。こうして話し合いはま夜中まで続きました。そして技師は「これは西サモアで得た最大の収穫です」と述べ,家に帰ったら家庭聖書研究をして,やがてはエホバの証人としてバプテスマを受けたいとの堅い決意を述べました。偶然の機会にわたしたちの接する人が,わたしたちのクリスチャンとしてのふるまいに感銘を受け,その心に長いあいだ宿っていた真理に対する愛が呼びさまされるとは,なんとすばらしいことでしょう!
レユニオン島
人口: 432,718人
伝道者最高数: 350人
比率: 1,236人に1人
幅48キロ,長さ64キロの島に住みながら,海を見たことのない人がいるというのは信じがたいことですが,これはレユニオン島では珍しいことではありません。山々は谷の底から700ないし900メートル余にそびえたつ壁のある野外大演技場を形成しています。この野外大演技場はシルケとも言われており,おもなものは三つありますが,そのうちのマファットと呼ばれているのは非常に近づきにくい所にあります。道はありませんから,川底に沿って歩いていかねばならず,それも雨の降らない時期にかぎられています。マファット生まれで50代のある兄弟は,親族に証言するためマフアットに旅することにしました。もちろん往復の途中で会った人すべてにも証言することにしました。かれの妻と67歳と15歳になる二人の姉妹もこの1週間にわたる山岳地帯への宣教旅行に加わりました。背中にリュックサック,片手にスーツケース,もう一方の手には出版物のぎっしりはいったカバンといういで立ちで,川底に沿って10キロ登り,14回も川を歩いて渡りながら,途中,数少ない人家で伝道しました。「その夜はエホバのはからいで,この地方でたった1軒の店の主人が感嘆しながら私たちを迎え,寝台と台所の整った二間の家を自由に使わせてくれました。翌日,隣の村を目ざして出発しましたが,高さ1370メートルの山の尾根を越えなければなりませんでした。この日は16キロの道のりを行き,道すがら伝道し,私の両親の旧友の家に着き,そこで親切にもてなされました」。
この兄弟の話はさらに続きます。「うれしいことに,ここで荷物を少し預ってもらうことにして,次の日,『良いたより』を1度も聞いたことのない謙そんな村人に伝道しました。この日伝道の途中で食べたものは,やぶから取った果物,バンジロウばかりでした。夕方の6時,やっといとこの家にたどりつき,そこでいとこはさっそくにわとりをほふって食事の用意にとりかかりました。そして,十分に証言をしたのち,午後11時になって,おいしい食事をいただきました。木曜日またバンジロウを食べながら,この広大な自然の野外演技場の周囲を少しずつ道をかきわけるようにして進み,見つけた民家を全部訪問しました,ある山小屋で男の人にコーヒーをすすめられ一息つくことができました。この人は私たちの証言を喜んで聞いたのち,1キロ半以内にあるすべての人家を一諸に訪問することに決めました。道すがら,かれはハーモニカを吹いてくれたりしたので幾分か疲れがいやされました。こののち,前に荷物を預けた所に戻り,そこで1泊しました。翌日,壮大な山々をあとにして,8時間ほど歩き,海岸の平野部にある家に帰ってきました。一行は肉体的には疲れましたが,霊的には元気づけられました。私たちの会った謙そんな村人のもてなしと,道中必要なものをエホバが豊かに備えられたことは決して忘れることができません。この旅行で私たちは約160キロの道のりを歩き,約62家族を訪問し,書籍6冊,雑誌98冊を配布しました」。