『すべての国の人々を弟子とする』
エホバの証人の1970年度年鑑より
ナイジェリア
人口: 55,620,286人
伝道者最高数: 54,179人
比率: 1,027人に1人
戦争があろうとなかろうと,ナイジェリア支部管轄下の区域では,「王国のこの良いたよりが宣べ伝えられ」てゆきます。
戦争に際し,中立の立場を取ることは,兄弟たちにとって大きな守りとなってきました。敵味方双方の多数の当局者たちは,エホバの証人が紛争になんら関係していないことを認めるようになりました。たいていの場合,中立の立場のゆえに,兄弟たちが公に迫害されることはありませんが,兵役に服させようとする試みがあるため,姉妹や若い兄弟たちの中には,忠誠を試みる火のような試練を受けた人もいます。
何トンもの食糧や衣料の救援物資が,戦闘地域で困っている兄弟たちに送られました。内戦のために荒廃した地域にある,「難民収容所」に現在入れられている兄弟たちを訪問して,勇気づけるため,協会はベテル家族の成員を派遣することができました。こうして訪問した兄弟たちは,国内の他の地方の兄弟たちから寄せられた救援物資を配給することができました。ポート・ハートコートに近いある収容所から届いた手紙にしたためられているとおり,そうした訪問によって,兄弟たちは,「待望の王国をすでに相続したかのように,深い感銘を受け,元気づけられ喜びを得ました」。
オバヘミで最近起きたできごとに示されているとおり,税金を納めることをはじめ,クリスチャンの示す正しい服従が見過ごされることはありません。納税問題で土地の人々が暴動を起こし,そのため数人の死者が出,騒ぎを鎮圧するため,軍隊が出動しました。兄弟たちは,毎週行なう聖書研究の集会を開いていたので,兵士たちがはいって来て,何の集会か説明するようにと求めました。それがエホバの証人の,聖書研究の集会であることがわかると,兵士たちを率いていた将校は,「エホバの証人は税金で騒動を起こす人たちではない」と言って,兵士たちを去らせました。
兄弟たちは,正直だったのでいくつかのすぐれた経験をしました,次の経験は,エホバの証人のりっぱな模範は激しい反対者をさえ変化させるものであることを示しています。多くの妻を持ち(ナイジェリアでは珍しくない),熱心な教会員であった,ある男の人は,兄弟たちの訪問を受けるたびに,兄弟たちをにせ予言者と呼んで,玄関払いをしてきました。ある日,彼は,仕事からの帰途,多額のお金のはいった封筒を落としました。たまたま,再訪問のわざを終えて帰る,ひとりの開拓者と,ふたりの伝道者がその封筒を拾いました。封筒にはその男の人の名前が書いてありました。翌日,それら奉仕者たちは,その封筒を届けるため,その人の家に行きました。彼は,玄関に立っている伝道者たちを見るなり,以前と同様に大声を上げてののしりはじめましたが,例の封筒が差し出されると,ひとことも言えなくなってしまいました。封筒を調べ,中のお金がそっくりそのままであることを知った彼は,態度を一変させたのです。彼は文書を求め,家庭聖書研究が取り決められました。次にその人は,妻たちと子どもたちを呼び,「神のまことの子ら」に会いなさい,と言いました。まもなく,その人は教会に通うのをやめ,それから家族全員を呼んで,「重婚関係の妻たち」が他の人と結婚するよう取り決めました。彼は現在,エホバの活発な証人として働いています。このすべては,正直な行ないがもたらした結果です。
戦争のために災害をこうむった東ナイジェリアの会衆および孤立した群れは,14の巡回区に組織され,巡回区の活動がなされており,巡回のしもべたちは果敢な指導を行なっています。それら進んで働く,円熟した,巡回のしもべたちは,会衆や孤立した群れを,引き続き恐れることなく訪問し,奉仕しています。
兄弟たちは毎日曜日,公開講演に出席していますが,「ものみの塔」誌が十分入手できないので,日曜日の聖書研究には,これまでに2回研究した,「御心が地になるように」と題する本が用いられています。奉仕会は,海外から見本として送られている新しい「御国奉仕」はもとより,古い「御国奉仕」の資料をもとにして行なわれています。多くの兄弟たちは今なお,「エホバの証人の1967年度年鑑」を使っています。兄弟たちすべてが入手した年鑑はそれが最後のものだからです。その他の集会も,たいへんよく支持されています。苦難の時期にあって種々の圧力を受けているにもかかわらず,兄弟たちは引き続き王国のわざを行なっており,その熱意はいよいよ高まっています。