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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1975
塔75 3/15 191–192ページ

読者からの質問

● この世の知人や親族の結婚式に出席することをエホバの証人はどうみなしますか。

出席を考えているのが未成年者の場合,最終的な決定は親にかかっています。その他の場合に,それは個人的に決定すべき問題であり,クリスチャンは各自自分の責任を進んで負わねばなりません。しかし,考慮すべき聖書の種々の原則や多種多様な事情があります。

結婚の儀式は宗教建造物の中で僧職者によって執り行なわれるかもしれません。そうなると,それは純粋に民事上の儀式とはかなり異なってきます。真のクリスチャンは,聖書の教えに反するものであることを承知の上で,そのような性質の祈りや礼拝に加わったり,あずかったりすることは良心上行なえません。また,一線を越えずどれほど背教行為に近づけるかを知りたいなどとも考えません。クリスチャンには聖書の次のような命令に留意する義務があります。「不つりあいにも不信者とくびきを共にしてはなりません。義と不法になんの交友があるでしょうか。……また,忠実な人が不信者とどんな分を共に持つのでしょうか。……『それゆえ,彼らの中から出て,離れよ』とエホバは言われる。『そして汚れた物に触れるのをやめよ』」― コリント第二 6:14-17。

この世の親族や知人の結婚式に出席するよう招待された人が,時としてかなりの問題に直面する場合があるのはもっともなことです。例えば,クリスチャンの妻とその不信者の夫に招待が差し伸べられており,夫は夫婦そろって結婚式に出席すべきだと考えるかもしれません。ところが,妻はそのことで心配し,もし教会での結婚式に出席すれば,周囲からの感情的な圧力に負けて間違ったことをする恐れがあると考える場合もあるでしょう。一方,夫の希望を考慮して,妻はいかなる宗教的な行為にもあずかるまいとの決意をいだいて,単に丁重な傍観者として夫に同伴できると結論するかもしれません。

妻がこの問題をどう見るにしても,自分の立場を夫に説明しておくのは妻にとって有益なことです。夫は妻の説明を聞いて,妻が同席すると恐らく自分にとって不愉快な事態が生じるかもしれないと結論すれば,独りで行くことにするかもしれません。あるいは,それでもなお夫は,妻を黙って傍観する者として同伴したいと考えるかもしれません。その場合には妻は同行するかどうかを自分で決めなければなりません。

考慮に価する事柄がありますが,それは,宗教建造物内での結婚式に出席する場合,その行為が仲間の信者に与え得る影響です。その行為はある人たちの良心を傷つけはしませんか。現実の偶像崇拝行為に対する彼らの抵抗力は,あなたのそのような行為によって弱められはしませんか。この点でかかわりを持つのは聖書の次のような原則です。『より重要な事柄を見きわめなさい。……こうして,キリストの日に至るまできずなく,他の人をつまずかせることのないためです』― フィリピ 1:10。コリント第一 8:9-13をも見てください。

時には結婚式への招待を受けると,新郎新婦の近親者の一行の一人として積極的なかかわりを持たねばならなくなる場合もあります。そのために特定の宗教的行為にあずかることが要求される場合はどうですか。神を喜ばせたいと考える人が,偽りの宗教の要求する行為にあずかれないのは明らかです。それは神のみことばと一致した行為をしなければならないからです。しかし,クリスチャンは自分がいったいどう感じているかを説明し,気まずい思いをさせるような事態を引き起こしかねない事をして結婚式の日の喜びを台なしにさせるようなことはしたくない旨指摘できるでしょう。

このような性質の問題では,クリスチャンは関係している要素すべてを注意深く考察しなければなりません。ある状況のもとでは,静かに傍観する者として出席するのなら問題は起きまいと結論するかもしれません。一方,クリスチャンが事情を考察したところ,そのようなこの世の人の結婚式に参加すると,自分の良心や他の人のそれを傷つける恐れがあり,その害は出席して得られる益をしのぐように思われる場合もあるでしょう。事情はどんなものであるにせよ,クリスチャンは自分の決定が神と人の前で明らかな良心を保つのに妨げとならないものであることを確かめねばなりません。

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