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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1982
塔82 2/1 22–23ページ

聖書批評家は考えを改める

この20世紀には,より正確な聖書本文を確立する面で長足の進歩がみられました。初期の数多くの写本,とりわけチェスター・ビーティー・パピリとボードマー・パピリ,死海写本が発見されるに及び,多くの学者の期待をはるかに上回るほど,本文を原文に近付けることが可能になりました。聖書を書くのに用いられたヘブライ語とギリシャ語の理解が大幅に増すことによって,聖書を世界中の様々な言語に一層正確に訳せるようになりました。ですから,たとえ現在の進歩が過去200年間の業績に負うところが多いとしても,200年前の考えなどこうした進歩によってすっかり時代遅れのものになっているに違いないと思われることでしょう。

ですから,ヨハン・ヤコブ・グリースバッハ(1745-1812年)の見解が今日再び論議されているのを知るなら驚かれるでしょう。1976年にドイツ連邦共和国のミュンスターで,この学者の著作を集中的に討議する会議が開かれました。グリースバッハの研究が今日再び関心を呼んでいるのはなぜでしょうか。

23歳で修士号を得たグリースバッハはヨーロッパを旅行し,図書館を巡って,クリスチャン・ギリシャ語聖書の写本を調べました。こうした研究の成果は1774年と翌75年に公にされました。グリースバッハの手によるギリシャ語本文(後期の版)はニューカム大主教,アブネル・ニーランド,サミュエル・シャープ,エドガー・テーラー,ベンジャミン・ウィルソンを含めた多数の聖書翻訳者によって用いられました。(ウィルソンはこれをエンファティック・ダイアグロット訳に用いています。)

グリースバッハは初めて,1516年のエラスムスのギリシャ語本文に用いられている写本よりも古い写本の読み方を採用しました。この研究がいかに重要なものかは次の注解に示されています。「グリースバッハは多くの時間を費やして,新約聖書の様々な異文の中から最もふさわしい読み方を見いだそうと努めた。その研究は現代本文批評の基礎をすえるものであった。今日我々が手にしている新約聖書の信頼の置ける本文の確立はグリースバッハに負うところが少なくない」―「J・J・グリースバッハ: 共観福音書及び本文批評研究,1776-1976年」,11ページ。

1776年にグリースバッハは,マタイ,マルコ,ルカの各福音書にみられる並行記述の聖句を書き並べて比較しやすくした対観表を刊行しました。それ以来,これら3福音書は“共観”福音書と呼ばれています。これらの福音書には“共通の観点”がみられるからです。グリースバッハは,これらの福音書が書名にその名の付されている人物によって書かれ,マタイは自分の記述した事柄の目撃証人であったという確信を抱いていました。また,「使徒たちこそ,間違いを犯すおそれなしに,聖霊の導きによって教理を理解し,それを伝える最適の人物であった」とも考えていました。

グリースバッハは研究の結果,マタイによって最初の福音書が,ルカによって二番目の福音書が,マルコによって三番目の福音書が書かれたという結論に達しました。ところが,グリースバッハがまだ生きているうちに,マルコの福音書が最初に書かれた福音書であるとする考えがG・S・ストアによって提唱されました。以来,この説は,福音書の背後には“Q”と略称する,今では失われてしまった未知の文書があるとする考えと共に幅広い支持を得てきました。後に学者たちがこの説に様々な要素や史料源とされるものを付け加えました。その概要や詳細を論じる幾十冊もの書籍や幾千もの論文が書かれました。多くの神学者の間でこの説は非常に高く評価され,“信仰箇条”でもあるかのようにみなされました。その結果,グリースバッハの意見は退けられ,しばしば激しい批判を浴びせられました。

非常に長い間支配的であった“基礎文書”説は現在,批判を浴びています。多くの学者がそれまでの考えを改め,グリースバッハの見解を“再発見”しました。これを今日の状況に合わせて幾らか修正したものは,福音書に関するこれまでの問題をより満足のいく仕方で解決することが判明したのです。

“基礎文書”説は,聖書が神の霊感によるものであるという信仰を多くの人から奪い取ってしまいました。(テモテ第二 3:16,17)こうした傾向は今に始まったものではありません。使徒パウロはテモテに,「異なった教理を教えたり,作り話や系図に気を奪われたりしないようにと,ある人々に命じる」よう伝えているからです。「そうしたことは結局のところ何にもならず,調べるための問題を出す[「憶測を生み出す」,改訂標準訳]だけで,信仰に関連して神からのものを分かち与えることにはなりません」― テモテ第一 1:3,4。

興味深いことに,何年か前にはほとんどだれの支持も得られずに,マタイによる書が最初に書かれた福音書であると独り主張していたB・C・バトラー主教は,問題全体の本質を的確に指摘して,こう述べています。「真理を見いだそうと願って偏見のない態度で調べる人が共観福音書全体を繰り返し読むなら,それらの筆者が正直な人々であり,筆者たちが真実であるとまじめに信じていた事柄を記録したとの結論に達するであろう。そして,歴史的事実が正しくそこに記されている通りのものでなければ,福音書の筆者たちがそれを真実の事柄として受け入れたはずのないことを悟るであろう」―「調査研究」,85ページ。

マタイ,マルコ,ルカおよびヨハネによる各福音書の記述の基礎を成すような,霊感を受けていない失われた文書などはありません。彼らはエホバ神の聖霊に動かされてそれぞれの福音書を書いたのです。もちろん,人間の誤った説が長期にわたって有力視されることがあり,この場合にはそれが約200年続きました。その間に,神の言葉に対する大勢の人々の信仰が損なわれます。しかし,賢明な人は,聖書の信ぴょう性を裏付け,聖書が神の霊感によって書かれたことを示す,数を増す証拠すべてに注目します。批評家は幾度でも望むだけその考えを変えればよいでしょう。

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