あなたは欺まんの犠牲者ですか
イエスには名前があるのですから,その父にも名前があるのではありませんか
今日,世界には宗教に対してきわめて懐疑的な人が大勢います。しかしそのような人たちも,神ご自身がほとんどの宗教を不快に思っておられると知ると驚くことでしょう。神がそう思われる理由はたくさんありますが,その一つとして,いわゆるキリスト教の諸教会が犯してきた歴史上最も重大な欺まんの一つを挙げることができます。その欺まんは,神の根本的な啓示,その実体に関するものです。
キリスト教世界の教会員のほとんどは,創造者を「神」,「主」,「全能者」として,また,それと類似した名称で知っています。しかし,至高者には名前がないのでしょうか。イスラエル人をエジプトの隷属状態から解放する前に,この全能の神は,「[ご自分の]名を全地に宣明させる」意図のあることを明らかにされました。(出エジプト記 9:16)したがって,神には確かに名前があります。そして,預言者モーセを通して十戒が与えられた時,(この雑誌の表紙に描かれているように)ご自分の臨在によってシナイ山で驚くべき光景を出現させ,その山を震えさせた方は,決して名前のない神ではありませんでした。その時イスラエル人は,他の事柄に加えて,次のように告げられました。「あなたの神エホバの名をいたずらに取り上げてはならない」。(出エジプト記 19:16-20:18)そのような命令が,名前を持たない神から出されるはずはありません。
クリスチャンと称する人々はその神の名を知っているはずです。もっとも,彼らは神のみ子の名を使いはしますが,その父の固有の名を口にすることはめったにありません。しかし,イエス・キリストは地上にいたとき,ご自分の天の父への祈りの中で次のように言われました。「わたしはみ名を[わたしの追随者たち]に知らせました。またこれからも知らせます」― ヨハネ 17:26。
以上の事柄やイエスの模範的な祈りから,神が実際に名前を持っておられることは明らかです。イエスはご自分の追随者たちに,天の父のお名前が「神聖なもの」とされるように,すなわち聖なるものとして扱われるように祈りなさいと教えることさえしました。(マタイ 6:9)では,なぜキリスト教世界の教会ではそのみ名が使われないのでしょうか。また,そのみ名が現代のほとんどの翻訳聖書の中に出てこないのはなぜでしょうか。
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父
全能者
至高者
主
神