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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1993
塔93 2/15 31ページ

エホバは偉大な教訓者

創造者であられるエホバ神はご自分の僕たちの偉大な教訓者,もしくは教え手です。(列王第一 8:36。詩編 27:11; 86:11; 119:102。イザヤ 30:20; 54:13)創造の業それ自体も全知の神が存在することを教えると共に,調査と観察の対象とされていますが,その分野に関してはこれまで,ほんの一部に手が付けられたにすぎません。(ヨブ 12:7-9)その上,エホバ神はご自分のみ名や目的や律法を特別な啓示によって人間に教えてこられました。(出エジプト記 4:12,15; 24:12; 34:5-7と比較してください。)そのような啓示は神の言葉聖書に収められており,神のご意志に関する正しい教えの基盤となっています。(ローマ 15:4。テモテ第二 3:14-17)また,神の霊も教え手の役目をします。―ヨハネ 14:26。

ユダヤ教の宗教指導者たちはイエスに話しかけたとき,誠実な態度で「師もしくは教師[ギリシャ語,ディダスカロス]」と呼んだわけではなかったようですが,イエス・キリストは信者からも不信者からもそのような方として認められていました。(マタイ 8:19; 9:11; 12:38; 19:16; 22:16,24,36。ヨハネ 3:2)イエスを捕縛するために遣わされた下役たちは,イエスの教えに深い感銘を受けたため,むなし手で戻って来て,「あのように話した人はいまだかつてありません」と言いました。(ヨハネ 7:46)イエスは「権威のある人のように」教えておられ,「書士たちのようではなかった」のです。(マタイ 7:29)イエスの教えの源は神でした。(ヨハネ 7:16; 8:28)イエスは簡潔さ,反ばくし難い論理,考えを刺激する質問,印象的な修辞的表現,および聴衆のよく知っている物事から取った意義深い例えを駆使して情報を伝えました。(マタイ 6:25-30; 7:3-5,24-27)イエスはまた,ある時,互いに仕え合うべきであることを教えるため,ご自分の弟子たちの足を洗って,実物教育をも行なわれました。―ヨハネ 13:2-16。

イエスは地上に来る前から,ご自分の父なる神と親密な関係を持っておられたので,イエスの知識には一層深いものがありました。ですから,イエスは他のどんな人間よりも神についてよく知っておられ,それゆえにみ父に関して権威のある教え方をすることができました。イエスご自身が言われたとおりです。「父をほかにすればだれも子を十分には知らず,また,子と子がすすんで啓示する者をほかにすれば,だれも父を十分には知りません」― マタイ 11:27。ヨハネ 1:18。

イエスはまた,書き記された神の言葉に十分通じておられました。律法の中でどれが最大のおきてかについて尋ねられた時,イエスはためらうことなく,申命記 6章5節とレビ記 19章18節を引用して,律法全体を二つのおきてに要約されました。(マタイ 22:36-40)イエスは宣教に携わっておられた間,ヘブライ語聖書全巻の約半数の書の中の章句に類似した考えを引き合いに出したり,言い表わしたりしたことで知られています。

その上,イエスは完全な模範を示されたので,イエスの教えられた事柄には真の説得力がありました。(ヨハネ 13:15)彼は書士やパリサイ人のようではありませんでした。それらの人々に関して,イエスはこう言われました。「彼らがあなた方に告げることはみな行ない,また守りなさい。しかし,その行ないに倣ってはなりません。彼らは言いはしますが,実行しないからです」― マタイ 23:3。

イエスの教えを権威のある,効果的なものにした要素の別の面は,人間を理解しておられたことと他の人々に愛ある関心を抱いておられたことです。イエスは他の人々の背景や考え方を奇跡的に察知することができたので,その識別力には一層鋭いものがありました。(マタイ 12:25。ルカ 6:8。ヨハネ 1:48; 4:18; 6:61,64; 13:11)「人の内に何があるかを,ご自身が知っておられた」のです。(ヨハネ 2:25)イエスは必要な休息を犠牲にして人々を教えるほど人々に同情心を抱いておられました。ある時,イエスと弟子たちは舟を出し,少し休むために離れた場所へ向かいました。こう記されています。「ところが,人々は彼らが行くのを見,また多くの者がこのことを知った。それですべての都市から人々が徒歩でそこに駆けつけ,彼らより先に着いてしまった。そこで,外に出た時,イエスは大群衆をご覧になったが,彼らを哀れに思われた。彼らが羊飼いのいない羊のようであったからである。そして,彼らに多くのことを教え始められた」― マルコ 6:31-34。

イエスはご自分の聴衆をよく理解して扱われました。ご自分の弟子たちが例えの要点を把握しかねていると,イエスはその要点を弟子たちに辛抱強く説明なさいました。(マタイ 13:10-23)また,弟子たちの限界をご存じでしたから,あまり多くの情報はお与えになりませんでした。(ヨハネ 16:4,12)必要な時には,イエスはほとんど同一の情報を繰り返しお与えになりました。(マルコ 9:35; 10:43,44)質問に答える際には,イエスはよく例えや実物教育によってご自分の答えを強化し,そうすることにより聴衆の脳裏に深い印象を与え,人々の思考力を喚起なさいました。―マタイ 18:1-5,21-35。ルカ 10:29-37。

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