クリスチャンの信仰
神に受け入れていただくためには,今やイエス・キリストに信仰を働かせることが必要です。そうすれば神のみ前における義にかなった立場が得られます。(ガラテア 2:16)そのような信仰がない人は,エホバから退けられます。―ヨハネ 3:36。ヘブライ 11:6と比較。
信仰は神の霊の実の一つなので,すべての人が持っているものではありません。(テサロニケ第二 3:2。ガラテア 5:22)それに,クリスチャンの信仰は静止しているものではなく,成長します。(テサロニケ第二 1:3)したがって,イエスの弟子たちが,「わたしたちにさらに信仰をお与えください」と言って願い求めたのは極めて適切なことでしたし,イエスは確かに信仰を増し加えるための土台となるものを彼らにお与えになりました。イエスは彼らの信仰の根拠となる一層大きな証拠と理解をお与えになったのです。―ルカ 17:5。
実際,クリスチャンの生き方全体は信仰によって律されており,クリスチャンは神への奉仕を妨げる山のような障害物を信仰によって克服することができます。(コリント第二 5:7。マタイ 21:21,22)その上,信仰と調和した,信仰の表明となる業がなければなりませんが,モーセの律法の業は求められていません。(ヤコブ 2:21-26。ローマ 3:20)試練は信仰を強めることができます。信仰はクリスチャンの霊的な福祉を守る盾の役割を果たし,悪魔に打ち勝って世を征服する者となるようクリスチャンを助けます。―ペテロ第一 1:6,7。エフェソス 6:16。ペテロ第一 5:9。ヨハネ第一 5:4。
しかし,信仰を当たり前のものとみなすことはできません。信仰の欠如は「容易に絡みつく罪」だからです。確固とした信仰を保つには,信仰のための厳しい戦いをし,人を不道徳行為に陥らせる者たちに抵抗し,肉の業と闘い,物質主義のわなを避け,信仰を打ち壊す哲学や人間の伝統を避け,何よりも「わたしたちの信仰の主要な代理者また完成者であるイエスを一心に」見つめることが必要です。―ヘブライ 12:1,2。ユダ 3,4。ガラテア 5:19-21。テモテ第一 6:9,10。コロサイ 2:8。