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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1995
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読者からの質問

ガラテア 6章8節によれば,「自分の肉のためにまいている者は自分の肉から腐敗を刈り取り,霊のためにまいている者は霊から永遠の命を刈り取ることにな(りま)す」。ここで言われている「霊」とは何のことですか。どうすれば,霊から命を刈り取ることができますか。

「霊」と訳されているヘブライ語とギリシャ語の言葉には,(1)神の活動する力,(2)人間や動物のうちにある生命力,(3)人を駆り立てる精神的な力,および(4)霊者もしくはみ使い,といった様々な意味があります。ガラテア 6章8節で言われている「霊」とは,これらのうちの最初のもの,つまり神の活動する力を意味しています。

背景的な情報については,ガラテア 3章2節に注目してください。ガラテア書の中で「霊」という言葉が最初に使われているのは,この聖句です。パウロはクリスチャンに対して,「あなた方は律法の業のゆえに霊を受けたのですか,それとも信仰によって聞いたからですか」と尋ねました。そのあと,ガラテア 3章5節でその「霊」を,強力な業を行なうことと結びつけました。ですから,パウロが言及していた「霊」とは聖霊,つまり神の見えない活動する力のことです。

その後パウロは,ガラテア 5章16節で霊と肉とを対照させました。こう書かれています。「わたしは言います。霊によって歩んでゆきなさい。そうすれば,肉の欲望を遂げることは決してありません」。パウロは罪深い人間の肉欲を指して,「肉の欲望」という言葉を用いました。ですから,パウロはガラテア 5章19節から23節で,「肉の業」を列挙して「霊の実」と対照させたのです。

したがって,ガラテア 6章8節の「自分の肉のためにまいている者」とは,罪深い人間の欲望の赴くまま「肉の業」にふける人のことに違いありません。そのような人はそうした行ないの退廃的な影響を被るかもしれず,その行ないを改めないなら,神の王国において,あるいはその王国のもとで命を得ることは決してありません。―コリント第一 6:9,10。

わたしたちは,敬虔なクリスチャンとして『神の霊のためにまく』ことを願うべきです。そのことには,聖霊がわたしたちの生活の中で自由に働き,霊の実を示す点でわたしたちの助けになるような生き方をすることが関係しています。わたしたちは何を読むか,あるいはどんなテレビ番組を見るかを決める際,そのことを思いに留めるべきです。会衆の集会で注意を払い,霊によって任命された長老たちの助言を当てはめるよう努力するとき,霊のためにまくことになります。―使徒 20:28。

興味深いことに,ガラテア 6章8節は,わたしたちが聖霊と調和してまくなら,「霊から永遠の命を刈り取る」ことになる,という保証の言葉で終わっています。そうです,神はキリストの贖いに基づき,聖霊の働きを通して,終わりのない命をお与えになるのです。―マタイ 19:29; 25:46。ヨハネ 3:14-16。ローマ 2:6,7。エフェソス 1:7。

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