覚えていますか
「ものみの塔」誌の最近号を楽しくお読みになりましたか。では,以下の点を興味深く思い起こされることでしょう。
□ 宗教上の真理は見いだせますか。
イエス・キリストは,あなた方は「真理を知り,真理はあなた方を自由にするでしょう」と言われました。(ヨハネ 8:32)イエスは,真理を見いだすことは可能であることを指摘しただけでなく,神の崇拝においては真理を見いだすことが要求されると教えておられます。イエスはサマリア人の女に,「真の崇拝者が霊と真理をもって父を崇拝する時が来ようとしています」と言われました。(ヨハネ 4:23)―4月15日号,5ページ。
□ ロベール・エティエンヌとはだれですか。彼はどのように強い影響を残しましたか。
ロベール・エティエンヌは16世紀の印刷業者です。彼はその生涯を聖書の出版にささげ,書き記された当初の聖書の語句を明らかにするために懸命に努力しました。聖書本文を章節の番号で分ける彼の方法は,現在全世界で用いられています。―4月15日号,10,14ページ。
□ 聖書を毎日読むことからどんな益が得られますか。
わたしたちにとって,聖書は常に新たな意味を帯びる本です。終わりの日に関する預言は,わたしたちが見聞きしたり個人的に経験したりした事柄に照らして考える時,もっと感慨の深いものになります。人生経験を積み,様々な問題に対処していくにつれて,聖書の助言の価値を深く認識するようになります。(箴言 4:18)―5月1日号,15ページ。
□ どうすれば聖句を覚えることができるでしょうか。
聖書を読みながら,自分が覚えたいと思う聖句を選んで印を付けてください。あるいは,その聖句をカードに書き写して,それを毎日目につく所に貼ってください。聖句を記憶するようにしながら,それを黙想し,活用してください。一度に余り多くの聖句を記憶しようとしてはなりません。1週間に一つか二つでよいでしょう。―5月1日号,16,17ページ。
□ ルカの福音書には,他の福音書筆者たちが提供した情報に加えて,どんな情報が含まれていますか。
ルカによって記録された内容の多くはマタイの記述に類似していますが,59%は異なっています。ルカは彼の書にしか出てこない奇跡を六つ記録し,他の福音書筆者が言及していないイエスの例えをその数の2倍以上記録しています。―5月15日号,12ページ。
□ 1935年に,どんな顕著な真理の光のきらめきが明らかになりましたか。
その年にエホバの民は,啓示 7章9節と14節で言及されている大群衆が二次的な天的クラスではなく,地的な希望を抱く人々であることを理解するようになりました。(ヨハネ 10:16)―5月15日号,20ページ。
□ 家族を亡くした人を慰めるどんな実際的な方法がありますか。
よく聴いてあげなさい。安心させてあげてください。いつでも力になれるようにしなさい。適宜,率先して行動しなさい。慰めの手紙かカードを書きなさい。一緒に祈りなさい。(ヤコブ 5:16)援助を続けなさい。―6月1日号,13,14ページ。
□ 霊的な兄弟姉妹は,宗教上分裂した家族の中で生活している人たちが忍耐するよう,どのように援助できますか。
そのような人々に,励みになる積極的な慰めの言葉をいつもかけるようにしてください。(テサロニケ第一 5:14)それは彼らの心身にさわやかさを与えるものとなります。実際的で,ふさわしい場合には,そのような人をあなたの神権的な活動や社交的な活動に含めてください。そのような人たちのことを祈りに含めてください。(ローマ 1:9。エフェソス 1:16)―6月1日号,29ページ。
□ 野外宣教に携わっているときに辛抱強くあるなら,どんな報いがあるでしょうか。
辛抱強さは,王国伝道者がどんな無関心や反対に直面しても忍耐する助けになります。辛抱強い奉仕者は,いきり立った家の人と議論するのではなく,温和な態度で答えて,あるいは静かにその場を立ち去って平安や喜びを保つことができます。(マタイ 10:12,13)さらに,羊のような人々は王国の音信に引き寄せられます。―6月15日号,9ページ。
□ 聖書の真理を知ることは,なぜ非常に価値のあることなのでしょうか。
真理を知るなら,うそや間違った信念や迷信から自由にされます。真理に従って生きるとき,真理によって様々な苦難に耐えられるよう強められます。また希望を持つことができ,元気づけられるので,試練に遭っても耐え抜くことができます。―7月1日号,8ページ。
□ 油そそがれたクリスチャン会衆は,生来のイスラエルからどんな主要な責任を引き継ぎましたか。
エホバの偉大さについて諸国家の間で証しする特権です。(イザヤ 43:21。ペテロ第一 2:9)―7月1日号,19ページ。
□ 夫は妻に『誉れを配する』ようにという使徒ペテロの言葉には,どんな意味が含まれているでしょうか。(ペテロ第一 3:7)
妻に誉れを与える夫は,妻に恥ずかしい思いをさせたり,妻を傷つけたりはしません。むしろ,妻を高く評価していることを,私的にも公にも,言葉と行動をもってはっきり示します。(箴言 31:10-31)―7月15日号,19ページ。
□ 悔い改めない悪行者をクリスチャン会衆から排斥するのはなぜ愛のあることだと言えるのでしょうか。
排斥はエホバとその道に対する愛の表現であるからです。(詩編 97:10)排斥は義の道を追い求める人々への愛の表われです。なぜなら,悪い影響を及ぼしかねない人を,義の道を追い求める人々の中から除くことになるからです。また,排斥は会衆の浄さを守ります。(コリント第一 5:1-13)―7月15日号,25ページ。
□ イエスがマタイ 24章45節から47節で言及している「忠実で思慮深い奴隷」を,今日どのように見分けることができるでしょうか。
その人々は,特に,聖書に基づく出版物を供給したり,『王国の良いたより』を宣べ伝えまた教えたりするその業により,また神の言葉聖書にしっかり付き従っていることで見分けがつきます。(マタイ 24:14; 28:19,20)―8月1日号,16ページ。