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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 2009
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人生は運命づけられていますか

人が死ぬ日は宿命で決まっている,という見方があります。また,人が死ぬ日は神がお定めになる,という見方もあります。いずれの場合も,人生における大きな出来事は避けようがない,と考えられています。あなたもそう思われますか。

中には,こう考える人もいます。『もし本当に神や宿命によって結末が定められていて,自分で運命を変えることができないのなら,祈っても無意味ではないか。運命が決まっているのなら,身を守ろうとしても無駄ではないか。車に乗る時にシートベルトをしてもしなくても同じではないか。車を運転する前に飲酒を控える必要もないではないか』。

聖書は,そのような無謀な態度とは全く無縁です。昔のイスラエル人に,運命に身をゆだねるようにとではなく,安全を心がけるようにと命じていました。例えば,平らな屋根の周りに低い壁を設けるようにと指示していました。誤って屋根から落ちることのないためです。もし屋根から落ちて死ぬという運命があるのなら,どうして神はそうお命じになったのでしょうか。―申命記 22:8。

では,自分ではどうしようもない自然災害や悲惨な事故で亡くなる人の場合はどうですか。“死ぬ日”が定められていたのでしょうか。そうではありません。聖書の中でソロモン王は,「時と予見しえない出来事とは[わたしたち]すべてに臨む」と明言しています。(伝道の書 9:11)ですから,悲惨な出来事は,どれほど異常で起こりそうもない事であろうとも,運命づけられているわけではありません。

とはいえ,この聖句は同じソロモンが述べた別の言葉と食い違っている,と感じる人もいます。この言葉です。「何事にも定められた時がある。天の下のすべての事には時がある。誕生のための時があり,死ぬのに時がある」。(伝道の書 3:1,2)ここでソロモンは,運命論的な見方を唱えているのでしょうか。少し詳しく調べてみましょう。

ソロモンは,誕生や死が運命づけられているとは述べていません。誕生や死は人生における他の多くの事柄と同じく繰り返されてゆくものだ,と述べているのです。人生には多くの浮き沈みがあるのではないでしょうか。ソロモンの述べるとおり,『泣くのに時があり,笑うのに時があり』ます。そうした事柄の繰り返しや予見できない災いは,人生にも「天の下のすべての事」にも付き物である,とソロモンは指摘しています。(伝道の書 3:1-8; 9:11,12)そして結論として,日常的な事柄にすっかり気を奪われて創造者を忘れてはならない,と述べています。―伝道の書 12:1,13。

創造者である神は,命に対する権限を有しておられますが,運命を押しつけたりはなさいません。聖書によれば,わたしたちすべてに永遠の命の見込みを差し伸べておられます。それでも,無理強いしてはおられません。神の言葉である聖書はこう述べています。「だれでも望む者は命の水を価なくして受けなさい」。―啓示 22:17。

ですから,『命の水を受けたい』と願うことが大切です。わたしたちの将来は運命づけられてはいません。自分自身の決定,態度,行動によって大きく変わるのです。

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