命の道をさし示す雑誌
沼津に新築されたベテル・ホームと工場は,この世界的なベテルの取り決めの一部です。協会は,この「王国奉仕」を含め,みなさんのために多くのものを沼津で印刷しはじめています。しかし,現在のところ,沼津における主要な印刷作業は,みなさんの雑誌「ものみの塔」と「目ざめよ!」の生産です。雑誌を生産し,それらを諸会衆や予約者に発送するまでにどんな仕事が行なわれるか知りたいとは思われませんか。それはかなりの大仕事です。
東京では,4人の兄弟姉妹がその雑誌の割付けを作ることとそれを日本語に翻訳する仕事に従事しています。日本語の記事のタイトルのレタリングは,東京に住む開拓者の一兄弟が行ないます。最近の特集号の雑誌の表紙のレタリングはとてもよくできていると思いませんか。そのようにしてかかれた文字とさし絵は外部の会社で写真製版されます。それからあとの仕事は沼津支部に移されます。
沼津工場の二階では3人の兄弟が4台のモノタイプを操作しています。これらのモノタイプは溶けた鉛をそれぞれの大きさの活字に変えます。モノタイプのけん盤には3,249の文字が並んでいて,それらの位置を覚えなければならないのですが,兄弟たちはわずか2,3か月の間にこの機械の操作に上達しました。これらの兄弟たちの中のひとりは,「偉大な教え手」の本全体に見られるような小さなルビ活字を鋳造する鋳造機を操作します。その近くには6頭の“ウマ”がいます。といってもこれは生きた馬ではなく,モノタイプで鋳造できない種々の大きさの活字を入れた長いたなのことです。4人の兄弟たちがこの中から活字を拾い,さし絵と,モノタイプで作られた活字とをいっしょにしてページを作り上げる仕事を忙しく行なっています。それからこれら印刷されたページの校正には常時3人の兄弟が従事していて,すべての誤りを正すことに努力しています。兄弟たちは幾度も訂正し調べますが,それでも時々誤りが兄弟たちの目をくぐり抜けます。
この同じ二階でふたりの兄弟は,何台かの非常に精密な機械を扱い,輪転機用の半円筒形の鉛版ができます。
さてこんどは工場の一階に移ります。ここが40トンの輪転機の置かれているところです。ふたりの兄弟が約一日がかりでその12枚の鉛版を印刷機のローラーに取り付け,さらに調整を行ないます。雑誌全体が鮮明にむらなく印刷されるように,圧胴の表面の紙の下にむら取り用の紙を挿入するのですが,これには多くの時間がかかります。さて,印刷を始める用意はととのいました。大きな印刷機はしだいに速度を増してゆき,やがて1時間に2万1,000冊の雑誌を印刷し折りたたみます。折りたたみ装置からは毎秒5冊の雑誌が飛び出してくるので,ひとりの兄弟が小走りに行ったり来たりして,それを近くの場所にきちんと積み上げねばなりません。印刷機はわずか半時間で,385キログラムの巻き紙1個を食べてしまうので,別の巻き紙が取り付けられますが,これもすぐに輪転機の中に吸い込まれ,あっというまに,きれいに折りたたまれた,印刷された雑誌に変わります。この印刷機はわずか2日間で,23万冊という多数の雑誌を印刷します。
次に,4人の働き手がひとつのチームになって,2台ある中とじ機の1台に雑誌をかけます。どちらのとじ機も,もし働き手がその速度を持続できるなら,1時間に8,000冊の雑誌をとじることができます。毎日たいてい6人が,交替でこの仕事に携わります。ふたりの兄弟は断裁機を扱っています。この機械は三枚の鋭い刃で雑誌を所定のサイズにきちんと切りそろえます。そして強力な荷造り機が,断ち落とされたくず紙を圧縮してこりにします。それらのくず紙のこりは紙屋に売られます。一方,100部ずつに束ねられた,でき上がった雑誌は次に予約発送部門に送られます。そこでは4人の兄弟たちが忙しく働いていて,予約者に郵送するための個々の雑誌を毎週6万冊包装します。それと同時に,工場の二階にある発送部門のふたりの兄弟は,伝道者用の雑誌をカートンにつめてこん包し,諸会衆に発送する準備をします。別の兄弟はその雑誌をトラックで郵便局,日通,東京支部,関西地方などに運びます。
最終結果は,みなさんが会衆の雑誌のカウンターで求める,あるいは郵便受けから取り出す,きれいに印刷された雑誌です。しかし,みなさんの雑誌には多くの労力がつぎ込まれています。1冊の雑誌ができるまでには36人の兄弟姉妹が生産に従事し,予定通りに仕上げるためにはいく晩も残業をしなければなりません。兄弟たちは各号の雑誌ができ上がるたびに,次にはどこを改善すべきか,よく調べます。そうです,兄弟たちは一般の読者が気づかないような点にまで改善すべきところを見つけます。兄弟たちは雑誌をますます良いものにしていくことに努力を傾けています。確かにこれはかなりの大仕事です。
あなたもこの仕事に加わることができます。しかしどのようにしてでですか。これらの雑誌に載せられているすばらしい音信に心から感謝することによってです。これらは確かに命への道をさし示す雑誌です。1973年の「ものみの塔」運動と毎週の雑誌の日を,大きな成果のあるものにしましょう。沼津のベテルの兄弟たちが行なっているのはそれです。兄弟たちは週末に,近隣の富士,富士宮,御殿場,裾野,三島,沼津の各会衆の伝道者として奉仕します。