あなたは十分に訓練を受けた奉仕者ですか
1 無学で普通の人に過ぎなかったペテロとヨハネが大胆に語るのを見たユダヤ人たちは,『二人がいつもイエスと一緒にいたことに気づくように』なりました。(使徒 4:13)彼らは,師であるキリストから十分な訓練を受けた働き人となっていたのです。今日のエホバの証人も,有用な伝道者となるため,同様の訓練を受ける必要があります。
2 研究生を宣教の分野で訓練する: 新しい伝道者の場合,必要な教えと訓練は通常,聖書研究の司会者を通して与えられます。新しい奉仕者は,聖書の先例に基づく宣教のあらゆる分野に携わることの重要性とその方法を教えられる必要があります。さもないと,人は容易に雑誌活動や非公式の証言を行なうだけで満足し,教える業に携わることをしりごみするようになるかもしれません。
3 実際の奉仕において研究司会者は,定期的また組織的な訓練を意識した方法で一緒に働きます。新しい奉仕者が奉仕に定期性と喜びを見いだすことができるよう,奉仕の終わりに良い点を大いに褒め,改善点については親切な仕方で話し合い,次回の奉仕に期待を抱かせるようにします。
4 教える業については,「王国宣教」の再訪問の提案を共に分析し,双方の再訪問に参加したり,家庭聖書研究に伴ったりして教える業に対する新しい伝道者の参加意欲を高めることができます。
5 イエスはマタイ 28章19,20節で,人々を弟子とし,「命令した事柄すべてを守り行なうように教えなさい」と命じられました。それで,研究生がバプテスマを受けた後でも「崇拝」や「論じる」の本の内容に通じるよう司会者が援助してゆくなら,研究生は基礎的な知識を得て,学んだ事柄を効果的に他の人に伝えられるようになります。研究生が自分の子供である場合,司会者である親にはなおのことそうする責任があります。
6 援助の必要な他の人々を訓練する: パウロは,「この世のありさまは変わりつつある」と述べ,時代と共に人々の生活様式や社会生活に変化が生じることを指摘しました。(コリント第一 7:31)今日の宣教においても,区域の網羅が頻繁になるにつれ,人々の反応も変化してきますし,留守宅や自由な出入りを許さないマンションが増えることにより,電話による証言や街路伝道,時間帯を考慮した奉仕を取り入れるなど,会衆の奉仕活動を再調整することが必要となるかもしれません。
7 このように宣教に直接影響を及ぼす『世のありさまの変化』に首尾よく対処するため,長老たちには,野外奉仕のグループの中で援助の取り決めを設け,援助を必要とする人がより経験のある人と共に働いて訓練を受けることにより,やがて会衆内で訓練を施すことのできる資格ある奉仕者となるよう指導する責任があります。(テモテ第二 2:2を参照。)そのようにして,すべての奉仕者が宣教に真の喜びを見いだすことができます。
8 これらの援助の取り決めは,単に野外奉仕に参加する人を二人ずつ組み合わせるというものではありません。むしろ,「王国宣教」1992年8月号の折り込みにあるように,宣教上の特定の分野での訓練を目標とした明確な取り決めであるべきです。
9 加えて,ある奉仕者たちは霊的な側面からの援助を必要としています。個人研究を充実させたり,集会に出席することや注解や割り当てを準備したりする点で少しの後押しが与えられ,ひとたび霊的な勢いを得るなら,兄弟たちは円熟に向かって進歩してゆくことでしょう。―ヘブライ 6:1-3。
10 パウロは,「だれでもみ言葉を口頭で教えられている人は,そうした口頭の教えを与えている人と共にすべての良い事にあずかりなさい」と勧めました。(ガラテア 6:6)したがって組織内のすべての人が受ける訓練は一時的なものではなく,継続的なものであり,宣教や霊性のあらゆる分野を含むものでなければなりません。長老たちには,会衆の成員すべてが十分に訓練を受けた奉仕者となるよう見守る責任があるのです。