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  • 塔研20 11月号 30–31ページ
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  • 「エホバは私のことを忘れずにいてくださいました」
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2020
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2020
塔研20 11月号 30–31ページ
マーク・ハーマンが車椅子に座っている。

ライフ・ストーリー

「エホバは私のことを忘れずにいてくださいました」

マーク・ハーマンの語った経験

私は南米のガイアナにある人口約2000人の村,オレアラに住んでいます。孤立した村なので,小型機かボートでしか来ることができません。

私は1983年に生まれました。小さい頃は健康だったのですが,10歳の時,全身に激しい痛みを感じるようになりました。2年後のある朝,目を覚ますと体を動かせませんでした。どんなに脚を動かそうとしても力が入りませんでした。その日以来,全く歩けなくなってしまいました。病気のせいで体の成長が止まったため,今でも体格は子供の時のままです。

病気になってから数カ月間,家から出られませんでした。そんな時,2人のエホバの証人がやって来ました。いつもなら誰かが来ると隠れていましたが,その日は話してみようと思いました。女性たちがパラダイスについて話してくれた時,5歳くらいの頃に聞いた話を思い出しました。その当時,スリナムに住んでいたジェスロという宣教者の兄弟が,月に1回村に来て,父に聖書を教えてくれていました。ジェスロは私をとてもかわいがってくれました。私もジェスロが大好きでした。また,祖父母は,村で開かれていたエホバの証人の集会に出席していたので,時々私を連れて行ってくれていました。それで,訪ねてきた女性の1人であるフローレンスから,もっと知りたいですかと聞かれた時,「はい」と答えました。

フローレンスは夫のジャスタスと再び訪問してくれ,聖書レッスンが始まりました。2人は私が字を読めないことに気付き,読み方を教えてくれました。おかげで,字が読めるようになりました。ところがある日,2人から,スリナムで奉仕することになったと言われました。残念ながら,オレアラには聖書レッスンを続けてくれる人がいなくなってしまいました。でも,エホバは私のことを忘れませんでした。

その後間もなく,オレアラにフロイドという開拓者の兄弟がやって来ました。兄弟は小屋から小屋に伝道している時に,私の家にも来ました。兄弟が聖書レッスンについて話したので,私はにっこり笑いました。「どうして笑っているんですか」と尋ねられたので,すでに「神はわたしたちに何を求めていますか」の冊子を学び終えたこと,また,「永遠の命に導く知識」a の本を途中まで学んでいたことを伝えました。レッスンが中断した理由も話しました。それでフロイドは「知識」の本の続きから教えてくれましたが,その後,兄弟も別の場所での奉仕に割り当てられました。またしても,聖書を教えてくれる人がいなくなってしまいました。

しかし,2004年にグランビルとジョシュアという特別開拓者の兄弟たちがオレアラに割り当てられました。兄弟たちは小屋から小屋に伝道している時に,私を見つけてくれました。聖書を学びたいか尋ねられたので,私はにっこり笑いました。そして,「知識」の本を最初から学びたいと言いました。これまでの兄弟たちと同じことを教えてくれるかを確かめたかったんです。グランビルは村で集会が開かれていることを教えてくれました。家から出なくなって10年ほどたっていましたが,行ってみたいと思いました。それで,グランビルが迎えに来て,私を車椅子に乗せて王国会館に連れて行ってくれました。

しばらくして,グランビルから神権宣教学校に入るよう励まされました。兄弟はこう言ってくれたんです。「障害はあるけど,話せるよね。いつか公開講演ができるようになる。きっとそうなるよ」。この言葉を聞いて自信がつきました。

文書カートの横で車椅子に座ったマーク・ハーマンが男性に伝道している。

グランビルと一緒に伝道に行くようになりました。でも,村の道の多くは舗装されておらず,でこぼこしていたので,車椅子で進むのは大変でした。それでグランビルに,私を手押し車に乗せて奉仕に連れて行ってくれるよう頼みました。この方法はうまくいきました。2005年4月,私はバプテスマを受けました。その後すぐに,兄弟たちは会衆の文書や王国会館の音響の仕事ができるように訓練してくれました。

2007年,悲しいことに,父がボートの事故で亡くなりました。私たち家族は大きなショックを受けました。グランビルは一緒に祈り,慰めになる聖句を読んでくれました。さらに2年後,別の悲しい出来事に打ちのめされました。今度はグランビルがボートの事故で亡くなったのです。

私たちの小さな会衆は唯一の長老を失い,悲しみに包まれました。援助奉仕者も1人しかいませんでした。私は親友を亡くし,つらくてたまりませんでした。グランビルはいつも,エホバを身近に感じられるように私を助け,いろいろな面でサポートしてくれていました。グランビルが亡くなった直後の集会で,「ものみの塔」研究の朗読の割り当てがありました。最初の2節は何とか読めましたが,その後泣き出してしまい,涙が止まりませんでした。それで演壇を降りなければなりませんでした。

別の会衆の兄弟たちがオレアラに援助に来てくれたので,ちょっとずつ元気が出てきました。また,支部事務所はコジョという特別開拓者の兄弟を派遣してくれました。うれしいことに,母と弟の1人が聖書を学び始め,バプテスマを受けました。そして,2015年3月,私は援助奉仕者に任命されました。しばらくして,初めての公開講演をしました。その日,私は何年も前にグランビルが言ってくれた,「いつか公開講演ができるようになる。きっとそうなるよ」という言葉を思い出してうれしくなり,感謝の涙があふれました。

JW Broadcastingで,私と同じような状況にある仲間が頑張っていることを知りました。兄弟姉妹は障害があっても,充実した幸せな生活を送っています。私にも,まだまだ行えることがあります。エホバのためにできることを何でもしたいと思ったので,開拓奉仕を始めました。2019年9月,驚くような知らせがありました。40人ほどの伝道者がいる今の会衆で,長老として奉仕するよう任命されたのです。

私が聖書を学び,エホバに仕えられるようになったのは,愛する兄弟姉妹たちのおかげです。一番感謝していることとして,エホバは私のことを忘れずにいてくださいました。

a 発行: エホバの証人。現在は絶版。

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