コロサイ
注釈 4章
会衆の一員ではない人: キリストの真の弟子全てを結び合わせる兄弟関係に入っていない人のこと。(マタ 23:8。コ一 5:12と比較。)そのような会衆外の人は,クリスチャンの兄弟姉妹が自分たちの教える基準に沿って生活しているかを観察する傾向があったので,パウロはクリスチャンに,賢く行動するよう勧めている。
時間を有効に使って: 直訳,「定められた時を買い取って」。または,「良い時を買い取って」。パウロはエフ 5:16(注釈を参照)で同じ表現を使っている。この手紙とエフェソスの手紙を同じ頃に書いたので,どちらの場合も同様の点に注意を向けているようだ。(エフ 6:21,22。コロ 4:7-9)
塩で味付けされた: 塩はギリシャ語聖書に何度か出ていて,文字通りの意味でも比喩的な意味でも使われている。そうした出例は,パウロが伝えたいことを理解するのに役立つ。(マタ 5:13,マル 9:50の注釈を参照。)パウロは,塩には食べ物の味を引き立て,風味を加える働きや,保存作用があることを言っていたようだ。それで,聞く人の命を保つのに役立つメッセージを伝える時,受け入れやすいように「味付けされた」言葉を使うようクリスチャンに勧めている。
快い: ギリシャ語カリスは聖書中で,たいてい神の惜しみない親切を表すために使われているが,幅広い意味がある。ここでパウロがこの語を使って伝えているのは,ためになり,親切で,魅力的で,さらには心を明るくする言葉という考え。(エフ 4:29と比較。そこではカリスが「ためになる」と訳されている。)同じ語がルカ 4:22で,イエスが郷里のナザレで話した言葉について,「魅力ある」と訳されている。(詩 45:2 [44:3,LXX] と比較。その節のセプトゥアギンタ訳で,メシアである王の快い言葉を表現するのにカリスが使われている。)クリスチャンは自分の言葉が,ためになり,親切で,魅力的で,さらには心を明るくするものとなるように心掛けるべき。つまり,快い言葉は誰か特定の人や特別な機会のために取っておくものではなく,いつもクリスチャンが語るべきものであることをパウロは示している。
テキコ: アジア州出身のクリスチャンの奉仕者で,その奉仕はパウロから高く評価されていた。(使徒 20:2-4)パウロは,コロサイの手紙,コロサイ会衆のフィレモンへの手紙,エフェソスの手紙を届ける任務をテキコに託した。テキコはただ手紙を運んだだけではなかった。その任務には,恐らくパウロの拘禁や健康状態や必要なものに関することなど,パウロが「どうしているかについて……詳しく」会衆に伝えることも含まれていた。そうする際,「愛する兄弟」で「忠実な奉仕者」であるテキコが,聞く人の心を慰め,聖なる力によるパウロの手紙にある大切な教えへの認識を深めてくれるとパウロは分かっていた。(コロ 4:8,9。エフ 6:21,22も参照。)パウロは拘禁を解かれた後,テキコをクレタに遣わすことを考えた。(テト 3:12)そしてローマで2度目に拘禁されていた時,テキコをエフェソスに遣わした。(テモ二 4:12)
オネシモ: パウロがフィレモンに書いた手紙の中で主に取り上げているオネシモと同一人物。オネシモは,コロサイのクリスチャンであるフィレモンの奴隷で,逃亡した。ローマに逃げる前に主人から盗みを働いた可能性がある。(フィレ 18)ローマにいる間にクリスチャンになり,使徒パウロにとって愛する子のような存在になった。(フィレ 10)パウロはオネシモに,コロサイにいる主人のもとに戻るように勧め,パウロによるエフェソスの手紙とコロサイの手紙を届けるテキコに同行させた。(エフ 6:21,22。コロ 4:7,8)フィレモンへの手紙はオネシモが届けたのかもしれない。オネシモは,逃亡奴隷に目を光らせるローマ当局に捕まらないようにするために,コロサイへの長旅をテキコと一緒にしたのかもしれない。パウロは会衆に,オネシモを「愛する忠実な兄弟」として迎えるよう頼んでいる。
バルナバのいとこ: ここでパウロはマルコが「バルナバのいとこ」であると述べており,使徒 15:37-39に書かれている意見の対立は親族関係があったことで激化したのかもしれない。(この節のマルコに関する注釈を参照。)ギリシャ語聖書で,「いとこ」(アネプシオス)という語が出てくるのはここだけ。この語の主な意味は「いとこ」だが,広い意味では,さらに遠い親戚も指せる。
マルコ: 使徒 12:12,25; 13:5,13でヨハネとも呼ばれている。(マル 書名,使徒 12:12の注釈を参照。)パウロの2回目の宣教旅行(西暦49-52年ごろ)にマルコを連れていくかどうかで,パウロとバルナバは意見が対立し,「怒りが激しくぶつかって」別れることになった。(使徒 15:37-39)しかしパウロはコ一 9:6でバルナバについて前向きな仕方で述べているので,コロサイの手紙が書かれた時,2人は既に和解していたと思われる。パウロのこのローマでの最初の拘禁中,マルコが一緒にいたことからも分かるように,パウロはマルコを評価するようになっていた。マルコが「私をとても慰めてくれています」とさえ言っている。(コロ 4:11の注釈を参照。)マルコは,ローマにいるパウロのもとを訪れていた間に,マルコの福音書を書いたのかもしれない。「マルコの紹介」も参照。
割礼を受けている人たち: つまり,割礼を受けたユダヤ人のクリスチャンたち。パウロがここで名前を挙げた兄弟たちは,パウロを助けに来ていた。(この節のとても慰めてに関する注釈を参照。)ユダヤ人でない背景を持つクリスチャンとの交友をためらわなかったと思われる。パウロと一緒に,ユダヤ人でない人に喜んで伝道したに違いない。(ロマ 11:13。ガラ 1:16; 2:11-14)
とても慰めて: または,「力づけ,助けて」。パウロはこれまでの数節で,ローマでの拘禁中に助けになってくれた何人かの兄弟たちについて述べている。(コロ 4:7-11)そして,兄弟たちが「とても慰めて」くれたと述べている。そう訳されているギリシャ語は,古代の文献や碑文でよく使われていたが,ギリシャ語聖書ではここにしか出ていない。この語とその関連語は,ある参考文献によると,病気の症状を和らげるという意味で医学用語として特に使われていた。同じ文献はさらに,「恐らくこの用法のためか,一般的にこの語の主な考えは,安らぎ,慰めである」と述べている。パウロの場合,前で述べた兄弟たちが基本的で実際的な援助をするとともに,慰めや励ましの言葉を掛けてくれたと思われる。(格 17:17)
いつも熱烈に……ています: ここで使われているギリシャ語動詞アゴーニゾマイはギリシャ語名詞アゴーンと関連があり,その名詞は運動競技を指してよく使われた。(ルカ 13:24,コ一 9:25の注釈を参照。)古代の競技会で運動選手がゴールに達するよう全力を尽くしたように,エパフラスはコロサイの兄弟姉妹のために真剣に一心に祈っていた。恐らく,エパフラスは以前そこの会衆の設立を助けたので,その地域の仲間に何が必要かをよく知っていた。(コロ 1:7; 4:13)エパフラスもパウロも,兄弟姉妹がしっかり立つ,つまり十分に成長したクリスチャンであり続けることと,希望をしっかり持ち続けることを願っていた。(コロ 1:5; 2:6-10)
皆に愛されている医者: ルカの職業について直接述べているのはこの節だけ。パウロは活力にあふれた人だったが,病気と無縁だったわけではない。(ガラ 4:13)それで,ルカが一緒にいてくれていっそう安心だったかもしれない。コロサイのクリスチャンにとって医者という職業は身近なものだったと思われる。その地域には医学校が幾つかあった。
ルカ: ルカはギリシャ語聖書に3回名前が出ていて,いずれもパウロが述べている。(テモ二 4:11。フィレ 24)恐らくギリシャ語を話すユダヤ人で,西暦33年のペンテコステより後にクリスチャンになったと思われる。ルカの福音書を記し,その後「使徒の活動」を書いた。(ルカ 書名の注釈を参照。)使徒パウロの2回目と3回目の宣教旅行の時,行動を共にした。パウロがカエサレアで2年間拘禁されていた時にも一緒にいて,共にローマに向かった。パウロはそこで最初の拘禁を経験し,その時にコロサイの手紙を書いた。ルカは最後の拘禁の時も一緒にいた。その拘禁はパウロの殉教につながったと思われる。(テモ二 4:11)
デマス: パウロは,共に働くこの仲間についてフィレモンへの手紙でも述べている。(フィレ 24)しかし,パウロはわずか数年後にローマで2度目の拘禁を経験し,そこで「デマスは今の体制を愛して私を見捨て」たと書いている。デマスは故郷と思われるテサロニケに帰ってしまった。(テモ二 4:10)
彼女の家に集まる会衆: コ一 16:19の注釈を参照。
ラオデキアから回ってくる手紙を……読む: パウロはここで,ラオデキア会衆に書いた手紙のことを言っている。それは今日存在していない。(コ一 5:9の注釈と比較。)この手紙への言及は,聖書の一部になったもの以外にもパウロが手紙を書いたことを示している。この手紙には,正典である手紙で十分に扱われているのと同じような点が書かれていたのかもしれない。いずれにしても,このパウロの言葉から明らかなように,パウロの手紙など重要な手紙は1世紀の会衆の間で回覧され,朗読された。(テサ一 5:27)パウロからラオデキアの人たちへの手紙と称する外典が存在しているが,それは西暦4世紀ごろに書かれたと思われ,古代の会衆によって正典と見なされたことは一度もない。用語集の「正典(聖書正典)」参照。
アルキポ: パウロがフィレモンへの手紙で「私たちと共に戦う兵士」と呼んでいるアルキポと同一人物と思われる。パウロはその短い手紙を「フィレモン……,私たちの姉妹アフィアと……アルキポ」およびフィレモンの家に集まる会衆に宛てて書いている。(フィレ 1,2)この3人のクリスチャンが同じ家に住む家族だったのではないかと考える聖書学者は少なくない。証明はできないが,その見方は妥当だと思われる。聖書はアルキポについて,奉仕する務めを受け入れたということ以外ほとんど述べていない。パウロは,「奉仕する務めに注意を払」うようにと言った時,必ずしもアルキポを正していたわけではない。パウロは,全てのクリスチャンが奉仕する務めを大切にし,それを果たすことを願っていた。コ二 4:7の注釈と比較。
私……のあいさつを自分の手でここに記します: パウロは結びのあいさつを自分の手で記している。この手紙の信ぴょう性を確かなものとするためだったようだ。パウロは他の幾つかの手紙の最後に同じようなあいさつを含めている。手紙を書くためにたびたび秘書を使ったのだろう。(コ一 16:21。テサ二 3:17)