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目ざめよ! 1971
目71 3/8 13–17ページ

着ようか,それとも着まいか

場面: 欧米のほとんどどこにでも見られる,町の紳士服店。

登場人物: 今はやりの服装をした店員と,新しい服を買いたいと思っている男。

「背広をお求めで?」と店員が尋ねます。

「当店にはいろいろの品がございますので,生地にいたしましても,スタイルや色にいたしましても,お好きなものを自由にお選びいただけます。つい最近まで,背広といえば,茶色,グレー,紺といったところでございましたが,今では,色がたいへん豊富になりまして,どんな色のものでもございます」。

「私どもの店の品は,一番新しい傾向のもの,つまり,からだにぴったり合うシルエットになっておりまして,ウェストの線がよく出ております。えりの折り返しとポケットのふたの幅が広いのでよく調和がとれ,いっそうひきたって見えます。生地のほうは,チェック,しま地,ハウンズツース,幾何学模様などございますが,どういうものをお好みですか」。

「まあ,背広のほうは考えておくとして,ワイシャツはどんなものがありますか」

「最新のスタイルのワインャツをお目にかけましょうか。近ごろは,大胆な模様のものとか,明るい黄色,緑,赤,ブルーなど,濃い色のものを好んでお召しになるかたがふえております。パステル風の淡い色合いのものをお好みのかたもございます。白いワイシャツも置いてはおりますが,このところ,人気が落ちておりますね」。

「こんなワイシャツに合うネクタイがありますか」。

「ございますとも。これも最新流行のもので,幅が広く,色彩に富んでいます。アスコットやスカーフもございますよ。ネクタイのかわりにこれをお召しになるかたが多いもんですからね。チューニック,とっくりくびのセーター,フリルのついたワイシャツなどお召しになって,ネクタイをおつけにならないかたもあります。もしアクセサリーをお望みでしたら,くさり,ペンダント,ネックレスなどもございます。近ごろは占星術に関心のあるかたがたくさんいらっしゃいますので,当店の紳士用アクセサリーには,十二宮の種々のサインのはいったものがございます。

「ついでに,どうぞオーバーコートのほうもごらんください。鉛灰色の起毛したウール地のラップアラウンド・コート,これはえりが広く,結びベルトがついておりますが,こういったスタイルのものもございます。マキシコートもお求めいただけます。これはうんと丈の長いコートで,ウェストがしまり,すそにフレアがついております。こちらはミンクのコートです。上えりが大きくて,折返しとベルトは幅が広く,打ち合わせはダブルになっております。ブラジル産のヒョウの毛皮のコート,これにマッチする半ズボンなどもございます」。

そうです,男子服のスタイルも,まったく変化に富んでいます。ほんの二,三年前まではまず考えられなかったような,色と型とデザインを組み合わせたものがあります。イーストン・エクスプレス紙が評したとおりです。「今日の男子服は,過去100年のどの時期よりも種類に富んでいる。…三つボタンのシングルの背広がすたれたわけではない。それもちゃんとある。しかし,男子が着用して,りっぱな服装をしている,と言えるものは,それだけではない。一つボタンから,六つボタン(ダブルの背広であれば)までなんでも着られる。10年前ならまず考えられない組み合わせであるが,柄物のワイシャツに柄物のネクタイをつけることもできる」。

そこで問題は,着ようか,それとも,着まいか,ということです。

新しい流行をつくり出すもの

つい何年か前なら,物笑いになるか,正気のほどを疑われるか,あれでも男か,と言われたであろうような色やスタイルが爆発的と言えるほどにふえたのはなぜでしょうか。また,そうした傾向はいったい,いつごろから生じたのでしょうか。

1970年の「ブリタニカ年鑑」は,ニューファッションの歴史を特集していますが,それによると,いわゆる「くじゃく」革命は,1957年,ロンドンのカーナビー街で始まっています。最初のうち,カーナビー街のおもなお客はモッズ,つまり,たいへんおしゃれで,りっぱな服や,ハイカラな服を好んで着用する若者たちでした。モッズのおもなねらいのひとつは,年配者とは全く異なった服装をすることでした。そこで彼らは,たとえば,パステル風の淡い色合いのワイシャツ,ズボンのすそに折返しのない,仕立てのよい背広上下と,先のまんまるなスリップォン・シューズを選びました。

それから1960年代になって,一般の男子服産業はいま一度カーナビー街に目をはせ,懐疑心を振り捨てて,「いっせいにニューファッションの製作に狂奔」しました。保守的な商店でさえ,景気のよいニューファションにくら替えしました。やがて英国では,ビートルズのような人気芸能人と同じスタイルの若者向きの服を売る店が,ほとんどの町に見られるようになりました。

ついで,多くの若者は麻薬を用いるようになりました。そして彼らは,「社会に対する全面的な戦いを反映する,以前生じたこととは何のつながりもない,実際のところ,彼らの思いと同じほどにとっぴな服を着ることを望み」ました。

ニューファッションに拍車をかけた,もうひとつのできごとは,デザイナーたちが男子服の製作に熱を入れるようになったことです。デザイナーたちは,一般の目にもあまり極端に見えないように,ニューファッションのデザインを加減する仕事にとりかかりました。彼らは自分たちの名前を被服製造業者に売り込み,自分たちのデザインによる服を一般大衆が着用できるようにしました。その結果,1960年代の終わりごろには,男性は自分に似合うと思えるものならほとんどなんでも着るようになりました。

ニューファッションを一般大衆に売り込む彼らの能力に別の要素が含まれていることはデザイナー自身知っています。ライフ誌が伝えるとおり,彼らのほとんどは,「心臓さえあれば,どんな奇妙な服でも人前で着られるものだ,ということを証明するだけで,ひどいバンカラのヒッピーたちをハイカラ好みにもどすことができると考えて」います。

また,若さが強調されることも,とりどりの色物が流行するゆえんです。若い人々は,色,騒音,明るい照明,幻覚的な芸術などに慣れていますから,その環境に合った服装をします。ところが,今では,年配の人たちにも,同じようなスタイルをとり入れている人が少なくありません。

また,見のがせないのは,カラーテレビが大衆におよぼす影響です。ニュース記者ですら,派手ないでたちで現われます。もうひとつは,女性の好みと,女性が及ぼす巧みな感化です。自分のボーイフレンドや夫に,自分と同じように派手な服装をさせたがる女性は少なくありません。

たしかに男性の服装のファッションにはさまざまなものがあって,その中から選ぶのですから,着ようか,それとも,着まいか,が絶えず問題になります。この問題の解決を助けるのは何でしょうか。

服装は品性の反映

服装には道徳という問題が関係しています。現代の男性ファッンョンの一流専門家である,ロンドンのジョン・テーランは,ある極端なスタイルは,そうしたスタイルを好む世代のものの見方と品性を反映する,という意見をもっています。彼はこう説明します。「ファッションの型は,すでに存在する,ものの見方から生まれる」。また,「服装と生活習慣とのあいだには密接な関係がある」とも述べています。

急速にたい廃していく,現在の事物の体制の道徳は周知のとおりです。ご存じのとおり,いたるところで道徳が低下し,不謹慎,不品行,淫行,姦淫,同性愛行為などがはびこっています。たとえば,ある地域では,一見して同性愛者とわかるような服装をしている人がいます。身につけているもの一つ一つは悪くはなくても,彼らと同じような服装をしたとすれば,あなたの道徳水準が疑われることは必定です。同じく,からだにぴったりしすぎて,からだの線がそのままあらわれる,肉感的なものを強調するズボンが,高い道徳基準にそわないことに気づくならば,もっと余裕のある,ゆったりした衣服をさがすべきでしょう。最近の男子服には非常にタイトなものがあって,そのスタイルのものを着る人は,ハンドバッグに類するものを持ち歩いて,ポケットの不足を補っているくらいです。

したがって,着ようか,それとも,着まいか,の問題には道徳問題が関係していることがわかります。とりわけ,クリスチャンは,自分が実際にいだいてはいない物の見方を反映するような衣服,または,道徳上の拘束をかなぐり捨てた人々と同列に見られるような衣服を選ぶべきではありません。クリスチャンであることを認めてもらいたい人は,不道徳な考えを現実に反映させている服装をした人々に見習うわけにはいきません。

慎みと節度

もしあなたが極端な服装,または,自分の体面を傷つけるような服装をほんとうに避けたいと思うならば,物事の指針となる,聖書の原則をよく考えてください。クリスチャンの使徒パウロは,婦人の正しい服装について述べるにさいし,女は「慎みて宜しきに合ふ」衣服でおのれを装うべきである,と言いました。(テモテ前 2:9,10)この原則はクリスチャンの男子にもあてはまります。この原則に従うのは賢明です。霊感のもとにしるされた箴言が,「知恵は,慎み深い者たちとともにある」と述べているとおりです。―箴言 11:2,新。

また聖書は,クリスチャンの監督に対する要求の一部として,習慣に節度を保ち,健全な思いを持つべきことをあげています。(テモテ前 3:2)監督は,クリスチャンの仲間とは異なる,目立った存在になろうとして,極端に走るようなことをすべきではありません。したがって,衣服を買うときにも,慎みや節度にかんする原則を考慮にいれる必要があります。

流行を気にしすぎると,慎みがしだいに失われていく傾向があります。同時に,名利の追求をこととする,現在の事物の体制にややもするとならおうとする傾向が現われます。そのような人は,いつでもこの世にならおうとする気持ちをつちかうようになるかもしれません。そうなると,服装のみならず,生活の他の分野においても問題を招くおそれがあります。聖書はつぎのような賢明な助言を与えています。「この事物の体制に合わせて形づくられるのをやめなさい」― ロマ 12:2,新。

他の人々はあなたをどう見るか

もしあなたがクリスチャンであるならば,衣服,とくに,やや改まった時のための服を選ぶさいに,もうひとつ考慮すべきことがあります。それは,あなたの着ているものが,あなたの携わっている,クリスチャンとしての奉仕に対する他の人の態度におよぼす影響です。使徒パウロは,クリスチャンたちにこう助言しています。「さらば食ふにも飲むにも何事をなすにも,すべて神の栄光を顕すやうに為よ」,(コリント前 10:31)そしてまた,つぎのようにも書いています。「我らこの職の謗られぬ為に何事にも人を躓かせず,反ってすべての事において神の役者のごとく己をあらはす」― コリント後 6:3,4。

そこで,『私の服装は人を驚かしているだろうか』ということを真剣に考えてみる必要があります。もし円熟したクリスチャンの口から驚いたようなことばが飛び出すのであれば,その服装は考えもので,もう一度吟味しなおすべきでしょう。あなたの服装のスタイルに仲間のクリスチャンが驚くくらいなら,あなたが伝道する人たちはどんなふうに考えるでしょうか。

もうひとつ自問すべきことは,『私が選ぶ服は,極端なものでなくても,人々から反抗的な,もしくは暴力をこととする人々のグループのひとりと見られるのではなかろうか』という点です。真のクリスチャンは社会に反抗するものではなく,かえって,「支配者としての諸政府や権威に……従順で」す。(テトス 3:1,新)それで,自分がそうした真のクリスチャスであると唱える人は,反抗的な態度とされるものを服装によって示すべきではありません。そうした態度は,クリスチャンとしてのあなたの奉仕を賞賛に値するものとはしません。

スタイルは大陸により,国によって異なりますから,衣服の選択に規則をもうけることはできません。ある国では許されていても,ほかの国へ行けば,刑務所にほうり込まれる原因となるものさえあるでしょう。一国の中でも,ひとつのスタイルが,ある地域では受け入れられ,他の地域では受け入れられないかもしれません。しかし,どこに住もうと,聖書の原則を導きにすれば,個性的であると同時に,円熟したクリスチャンの目にもかなう服装を選ぶことができます。

個性にあった服装

ほんとうは自分の容姿をひきたてるスタイルや色を選ぶほうがずっとよいのに,見た目によいとか,色の組み合わせがおもしろいとかというような理由で服を選ぶ場合が多いことも,忘れてならない点です。

頭髪や目の色,顔の形,体格,顔の色などは,服を選ぶさいの目安になります。

近ごろは男子服も色が豊富ですから,頭髪や顔の色によく合う色を選ぶことは,そうむずかしくありません。色を選ぶときには,布地を顔の近くにもってきて見ます。もし,あまり感心できないならば,同系統の別の色合いのほうが,もっとよく合うかもしれません。タングステンの電灯ならば,色が実際よりも薄く見えますから,太陽の光にも当てて,ためしてみます。

服を選ぶさいに,対照の通則を念頭において選ぶのは賢明です。黒い髪の人や濃い栗色の頭髪の人は,普通,薄い色の服が似合い,反対に,ブロンドの人は濃い色のものが似合います。

着ごこちがよく,身分相応の値段で,趣味のよいのが理想的な服です。最初,少しくらいお金がかっても,生地の良い服を買っておくほうが徳だということは,たいていの人が知っています。上等の服はながもちします。手入れがよければ,安くて生地の悪い服よりも,ずっと長く使えます。

決定を下す

ニューファッションをまっ先に取りいれたりそれに固執したりしない人は,思慮のある人と言えます。それに,世界の多くの地方の今日のファッションは,それほど押しつけがましいものではありません。ですから,流行そのものの見地からしても,慎みのある,感じのよい服装をするのは人の自由です。

着ようか,それとも着まいか? これは自分の好き嫌いだけで決めるのではなく,清い標準とも合わせて決めるべき問題です。服のスタイルを選ぶ際には,つぎのこと自問してごらんなさい。『慎みのあるスタイルだろうか。これを身につければ,慎みという原則にもとらないだろうか。極端ではないだろうか。望ましくないグループの一員とみなされるおそれはないだろうか』。クリスチャンであることを証明したいと思うならば,あなたは,道徳的に退廃した社会が認めるものにあなたの選択を左右させてはならないことを銘記すべきでしょう。むしろ,あなたの選択を左右するのは,神に喜ばれたい,という願いでなければなりません。

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