札幌の“雪だるま”
日本の「目ざめよ!」通信員
なんとおもしろいのだろう! 雪だるまを作るのは子どもの楽しみではないだろうか。しかし,札幌の雪だるまは特大級である。中には1,000トン以上もするのがあり,細部にわたって施されている芸術的なタッチには,思わず目を見張らされる。人間の形をしたものだけにかぎらず,雪の獣・鳥・魚・神々・妖精・汽車・ジャンボー-ジェット・農家・屋敷・五重の塔・城など,まさに雪の作りなした世界の観を呈している。しかし,それは,1月下旬から2月上旬にかけて,1年のうちわずか4日間しか存在しない,はかない世界なのである。4日間が過ぎると,すべてはこわされて,元の無形の雪に帰り,荷車で運び去られてしまう。
この雪祭りは,1950年ごろから始まったもので,北国の長い冬のつらい生活の日々に興を添えようと,子どもたちを集めて,遊びと運動を兼ねた,雪の工作をさせたことが起こりとなった。祭りが大きくなるにつれて,市の有力者たちは,札幌の観光宣伝にその祭りを利用できることに目を留め,1955年以来,市民総出で超大型の雪の展示品を製作するようになり,雪祭りは今日では,想像を絶するほど大がかりなものとなった。
大型の雪の展示品を作るには,地方の自衛隊が主体となり,それに何百人もの人々が力を借す。大きなビルを建設する場合と全く同様で,まず設計図を作り,実物の50分の1の模型を粘土で作る。それから,展示の始まる1か月前に,トラックが何千トンにも上る雪を近くの山から運んでくる。その後,労働者たちが川から大きな氷の固まりを切り出して,それもトラックで製作現場に運搬する。それが済むと,本格的な製作が始まる。水準儀・望遠鏡・スコップ・つるはし・かなづち・のみ・おの・のこぎり,それに,汗と労働が加わって,芸術作品が生み出されるのである。
各展示作品のため,堅固な雪の壇が作られ,その土台の中に木製の足場材料が打ち込まれる。それらは強固なものでなければならない。1,000トンもの雪と氷がくずれ落ちるようなことがあると,見物人にけがをさせるおそれがある。数年前,ノアの箱船の模型が建設の途中でつぶれてしまい,始めからやり直さなければならないことがあった。「天地創造」と題する映画の中に出てきた,想像上のひな型をまねたものであったが,その代わりに,聖書の創世記に示されている設計図に正確に従っていたなら,もっとがんじょうな箱船ができていたはずである。ともあれ,動物たちはみごとに,しかも正確に作られており,実物そっくりであった。
大型の雪の展示品を製作するには,角材を組み立てる。それらをビルを建設する時のように組んで,その中に,コンクリートではなく,雪を積み込み,足で踏んで,その雪を堅めるのである。それから,骨組をはずして,雪の外側に水をかける。そうすると,表面は凍って固まる。
1970年の展示には,古代史を物語る美しい“彫刻”品が一つ作られた。高さ約14㍍,幅約30㍍の大きさがあり,スーダン征服を記念して,エジプトのラメセス2世が建てたといわれる,アブー・シンベルの岩の神殿を写したものであった。パロや翼を持つライオンが配置されてあり,象形文字まで施されてあった。日本の文字が外国人に不可解であるのと同様,それら象形文字の意味は,日本人には皆目見当のつかないものであった。別の展示場では,雪の作品が現代史を映し出していた。そこで見物客は,月の噴火口の中に大きな“第一歩”を踏み入れることができた。といっても,見物客の足が踏みつけたのは,月面の土ではなく雪である。そばには,ふたりの宇宙飛行士の雪だるまと,それに加えて,雪で作った月着陸船とアポロ11号があって,実感をかもしだしていた。
しかし,“出し物”はおもに子どもを喜ばせるために作られる。何世紀もの間,子どもたちに繰り返し語りつがれてきた,日本や西欧の昔話が雪でつづられていた。その一つは,市の公園の幅をいっぱいに使って,「王子さまの住むまばゆいばかりのお城」に,新幹線で到着した白雪姫を描いたもので,小人たちがお供をしており,そのふたりは列車の中に腰かけたままであった。重さが2,000トンもあろうと思われる巨大なガリバーが,公園の中で長々と横たわっていた。その腰のあたりでは,冬期オリンピック競技に参加している子どもたちの雪の模型,また,“アポロ”そりに乗っている一団の子どもたちの模型もあり,ガリバーの足のあたりでは,色とりどりのベレー帽をかぶり,メリヤスのセーターを着た子どもたちが,写真をとってもらうために群らがっていた。そして,“ガリバー”の胸を横切る雪の峡谷には,そこを通り抜ける見物人の列が絶えなかった。
公園の次の一角には,日本の昔話からとられた,白髪・白面の浦島太郎がいた。100トンもするまっ白いカメに乗り,やはり雪でできた,長さ約15㍍の竹ざおを肩にしていた。カメの背に乗って,700年もるすにした郷里に帰ってきた時,浦島太郎はどんなに驚いたであろうか。大型の展示品の周囲には,たくさんの小型の作品が並べてあった。運動家・野球選手・北米インディアン・家畜・キツネ・タヌキ・クマなどである。そうした実物大の動物の氷の背中に登るのは,子どもたちにとってなんとうれしいことだろう。
変化をもたせるため,別の一角には透き通った氷で作られた小さな模型がいっぱいに展示されていた。その中で特にきわだっているのは七重の塔で,夜には,そのつららのような模型に色電球がともされ,輝くようになっていた。その近くには,氷の固まりを,のみで彫って作った,精巧な農具や家畜小屋,また家畜の様型が陳列されており,宝船のほかに,雪でうずまった花壇の回りには,本物そっくりの動物たちが配置してあった。カエル・ペンギン・ラクダ・コブラ・白鳥・“黒”ネコ・クマ(危害を加えないようさくにつながれている)・カニ・カメ・北極犬などに交じって,おすもうさんがひとりいた。動物たちの中に,なぜ,おすもうさんがいるのかは説明されていなかった。
そのアイス・ショーには,自然のままの,ありとあらゆる色彩の生花が,あざやかに陳列してあった。形と新鮮さをそこなわないよう,透き通った氷に包み込まれた生け花というわけである。北海道の海や川からとれた魚や甲殻類を凍らせて陳列した“水族館”もあり,興を添えていた。
札幌の本通り公園はすべての展示品を陳列するには狭くなったため,市の郊外にあたる真駒内の広い一区域が,さらに大型の“出し物”のために指定された。が,それはまさに広大な展示場となった。そこには,日本の昔話に出てくる他の巨人や神々,盛装を凝らした,そびえたつように大きい新郎新婦,2階建てホテル,能役者,あらしに荒れ狂う海と戦う漁夫,それに大きい犬や他の動物など,実物そっくりの雪の作品が展示されていた。
日本は仏教の国であるから,本通り公園には,高さ10㍍余の菩薩半跏仏陀の巨大な模型が,ひときわ目だつように陳列してあった。しかし,外面にいかに絶妙な彫刻が施されていようが,“仏陀”といえども,中味は,人間が作った他の像と全く変わるところがない。ただ,札幌だと,他の場所よりも冷たいぐらいのことであろう。その雪の仏陀は,たいていの悪天候なら耐えられるよう,がんじょうに作られてはいたが,祭りの最中にふぶきがあり,仏陀を見にきた人たちはつらい思いをした。粉雪が仏陀の目や耳にたまった場合,ホースで水をかけて取り去れるよう,消防車とはしごが用意してあった。冷たい日中と,燈明に照らし出された夜間,4日4晩,雪の仏陀は仲間の陳列品とともに,展示場一帯に君臨したかっこうになった。
展示品は,4日間のはかない光栄に浴した後,すべてこわされる。自然に崩報するのを待つのは,子どもたちや,付近を通る通行人にとって危険である。祭りの終わった翌朝,仏陀の指が1本すでになくなっていた。ほどなくして,労働者の一行が,つるはしとスコップをせっせと使いながら,雪の仏陀と仲間の展示品を頭から段々とくずしていく。それら“神々”の模型は時として,別れの杯を受ける。氷りついた歯の間に酒が注がれる。そうすると,つるはしやスコップをぶつけられても,ぐらつかないのである。
雪の“仏陀”をこわすその仕事は,ある意味で,札幌に住む,考え深い人々の多くが現在行なっていることを表わしている。当市,いな,雪におおわれる北海道全域は,日本における王国の証言のわざが最も豊かに実を結んでいる畑の一つなのである。エホバの証人が,この地に住む謙遜な人々に伝道するにつれ,いかに美しい彫刻が施されていようと,雪の“仏陀”はやはり偶像にすぎず,「偶像の世になき者なる」ことを悟ってきている。(コリント前 8:4。詩 115:4-8)。それらの人々は,雪祭りの神々を労働者が完全にこわしてしまうのと同様に,“仏陀”に対する考えを,その心臓の中で粉砕しているのである。
ものみの塔協会の宣教者が札幌で伝道を開始してから今や13年になる。彼らはすぐれたわざをその地で続けている。その短い期間に,北海道の伝道者の数は,ゼロから出発して,今では500人以上に達している。そのうちの110名余は,昨年の真冬の1月に全時間の開拓奉仕に忙しく携わった。札幌市にある三つの会衆は,驚くべき増加を示している。一つの会衆では,一般の伝道者よりも,全時間の開拓奉仕者のほうが多い月さえあった。現在の世の体制の過ぎ行くはかない事柄に関心をいだく代わりに,そうしたクリスチャンたちは,神がご自分の子を通して備えられた永遠の命に実際にあずかるという目標を目ざして,いっしょうけんめいに働いているのである。彼らばかりでなく,彼らを通して聖書の真理を学んでいる大ぜいの人々は,そうすることによって,地上に存在する,エホバの美しい全創造物を永遠に楽しむことになるのである。
1971年の雪の祭典は,再び,印象的で優美な芸術作品を,きっと数多く生み出すことであろう。しかし,それらは人間の手になるものであり,わずか数日しか存続しない。そのうちの一つとして,冬の訪れるたびに,エホバがこの地方に織りなす雪景色の美しさに比較しうるものがあろうか。しかも,エホバはそのわざを何千年もわたって繰り返されてきたのである。雪の展示品は,その中のある物によって表わされる神々のように,作られては,こわされるものである。しかし,エホバの設けられた,地上の驚嘆すべき自然の周期は永遠に続き,ご自分を愛する人々に快い喜びをもたらす。遠い昔,ノアの時代に約束されたとおりである。「地のあらん限りは播種時,収穫時,寒熱夏冬および日と夜息ことあらじ」― 創世 8:22。