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目ざめよ! 1972
目72 6/22 9–11ページ

親を敬う ― いつ,またどのように?

ホンコンの「目ざめよ!」通信員

親に対する態度は人によってたいへんちがいます。しかしほとんどあらゆる国で,親をあまり尊敬しない,また親のことをあまり心配しない傾向が強くなっています。たとえばアメリカでは,1年間に推定50万のティーンエージャーが家出をします。

しかし,多くの中国人の間では親は依然として独自の立場を占めており,死んだのちでも,子どもたちにあがめられています。多くの家には小さな仏壇があって,家族はその前で死んだ親族を拝みます。ですから,中国人にとってなぜチンミンが重要な祭りなのか理解できるわけです。このチンミンについて,1970年4月5日の「香港スタンダード」は次のように伝えていました。

「今日はチンミンの祭りであるが,多くの人々はきのう伝統的な墓掃除の儀式を始めた。香港中の墓地で人々は神々に燔祭をささげ,墓のそうじをし,先祖の墓石の上にくさぐさの美味を供えて礼拝した。……きょうは何万という人々が親族の墓のそうじをするので,ほとんどの墓地はおおぜいの人でにぎわうはずである」。

チンミンの祭りのあいだ,香港の駅という駅には,いなかにある先祖の墓まいりに行く人々で長い行列ができます。香や食物やそのほかの物を山ほどかかえて,家族連れで行くのです。この祭りは中国人が親に敬意を示すもう一つの機会です。

盛大に行なわれるこの祭りにはどんな習慣または儀式が関係しているでしょうか。死んだ親はこれから何か益を得るでしょうか。

チンミンの祝い方

地方によっていくぶん習慣は違いますが,この祭りのいちばん大きな特徴は墓そうじです。墓は風雨にさらされ,雑草に埋もれていることもあります。ですから生きている者が愛する故人の墓を整えたいという気持ちになるのは理解できます。しかしそれにはもっと多くの意味があるのです。

犠牲をささげるのも習慣です。人によってはまず地の神に犠牲をささげます。これらの犠牲は,地の神が墓を守ってくれることへの感謝のしるしとしてささげられます。こうして地の神に感謝したのち,先祖への犠牲がささげられます。

使われる犠牲の型にかんしては,厳重な規則はありません。何を供えるかは,個人の財政状態に左右されます。犠牲に使われるものは,ニワトリ,アヒル,魚,野菜,果物,菓子などです。供えられた犠牲は,地面に置き去りにされて腐敗するようなことはなく,家族が家に持ち帰って食べます。

古い風習を守る人々は一般に,まず墓前に犠牲を供えるやりかたをします。そして家長が故人に対する賛辞を読み上げ,次いで家族のほかの者たちが,先に男それから女という順で,ひとりひとり墓前にぬかずいて頭をさげます。そのあと金と銀の紙が燃やされて,供養は終わります。

昔は,余裕のある人たちは,これに音楽の伴奏を加えましたが,近ごろは一般に儀式はずっと簡単になっています。墓に向かって二,三回おじぎをするだけで去るのが普通です。

台湾省のようなところでは,墓参する人々は,墓から墓へみやげをねだって歩く子どもたちの群れに与えるお菓子を持っていなければなりません。もしその要求を満さないと,子どもたちは,墓参の人々が帰ったあとまたもどってきて墓を荒らすことがあります。このたちの悪いいたずらは,西洋のハロウィンの時の「くれなければいたずらをする」習慣を思い起こさせます。

親に益があるか

こうした儀式は先祖のためになると人々は信じています。たとえば,食物は死者がそれを楽しむという考えから墓に供えられます。金銀の紙は,それらがあの世で使える金銀に変わるという望みをもって燃やされるのです。また墓での礼拝は,そうすれば先祖たちが子孫に憶えられ敬われていることがわかる,という考えをもって行なわれます。台湾省では,家族のだれかが結婚するとか,子どもを生むとかすると,あるいは大学にはいる時でさえ,家族は3年つづけて墓参りをし,その祝福を得たことを先祖の霊に感謝します。

親に敬意を示すのは確かに立派なことです。感謝は美徳です。しかしこのような儀式は死んだ親のためになるでしょうか。死んだ先祖は供えられた食物をほんとうに食べることができますか。あるいは墓前の敬意のこもった礼拝を見ることができますか。何かの方法で生きている者を祝福することができますか。

死者にかんする事実

そこで,死者はほんとうにどこかで生きているかどうか,という疑問が生じます。人は愛する親の遺体が墓に収められるのを見るかもしれません。しかし,生き残って「あの世」に行って住む霊的な部分がその親にありますか。どうすればそれがわかりますか。

いわゆる「あの世」へ行ってもどってきて,あの世のことを話した人はひとりもいません。また科学者や外科医も,肉体の死後生き残る,意識を持った生きた部分が人間に存在する証拠を発見できないでいます。人間に不滅の霊があるということが何千年間も普通に教えられてきたのは事実です。しかし,先祖崇拝の基礎となっているこの信仰は真理でしょうか。それには裏付けとなる証拠がありますか。

孔子,釈迦その他の有名な教師の時代よりもずっと古くからあるのが,聖書の大部分を構成するヘブル語聖典です。これらの書物は,人間が死後全く無意識であることをはっきり示しており,ある箇所でこう述べています。「生者はその死なんことを知る 然れど死ぬる者は何事をも知らず」。(伝道 9:5)肉体の死を生き残って生き続ける霊の部分,すなわち魂がないことを示して,全能の神ご自身が次のように言われたことが聖書に記録されています。「それすべてのたましひは我に属す……罪を犯せるたましひは死べし」― エゼキエル 18:4。

死者に意識はなく,どこかに生き残っているのでもありませんから,供えられた食物を食べることもできなければ,何かの方法で子孫を助けることもできません。聖書は正しくこう述べています。「汝の往かんところの陰府には工作も計謀も知識も知恵もあることなければなり」。少なくとも一時の間,死んだ愛する者たちはどこにも生きていないのです。―伝道 9:10。

いつどのように親を敬うか

死ぬと無意識になる以上,親が死んでから食べられもしない食物を供え,意識することのできない敬意を示すよりは,生きているときに愛を示すほうがずっとまさってはいませんか。たしかに,親を敬うべきときは,親が生きていて,そうしたことを喜ぶことができるときです。しかしどのようにしてそれをしますか。

親は子どもを養育するのに多くのことを行ないます。ですから子どもが親に大きな恩を受けていることは,だれも否定することはできません。聖書は子どもがどのように親を正しく敬うべきかを示してこう述べています。「子たる者よ,なんぢら主にありて両親に順へ,これ正しきことなり」― エペソ 6:1。

心から親を愛する,礼儀正しい従順な子どもを持つことは,親にとって祝福ではないでしょうか。これこそ子どもが親を敬う正しい方法ではありませんか。成人して自分の家庭をもったときでも,親を敬い愛し,親と常に連絡を保ち,親が年老いたとき必要ならば世話を見るのは正しいことです。―テモテ前 5:4。

天の父を敬う

若い人々が,自分の人間の親を敬意をもって扱うべきであるとすれば,わたしたちの天の父に対してはどうですか。天の父は,わたしたちの地上の父親のように生命をわたしたちに伝えただけのかたではなく,まさに命の源です。太陽,雨,呼吸するための空気,食物などを含め,わたしたちが必要とするものを供給することによって,わたしたちの生命を支えておられるのです。わたしたちはこの父にむしろより大きな愛と尊敬を示すべきではないでしょうか。

もし人が自分自身の親を敬わないなら,その人は恩知らずと考えられます。しかしわたしたちは命の授与者が天におられるのを認めるでしょうか。その授与者を知ること,そして崇拝することを望むでしょうか。もし人が自分の親の名前を知らないなら,それは妙なことと考えられませんか。しかし今日はたしてどれだけの人が,人間を創造した天の父の名前を知っているでしょうか。あなたはその名前をご存じですか。神は聖書の中でその名前はエホバであると告げておられます。―詩 83:18。

わたしたちの天の父エホバは,地上のどの親よりも多くのことをわたしたちのためにすることができ,またしてくださいました。1,900年前エホバは,ご自分の愛する御子イエス・キリストを地に送って,罪と死の宣告から人類を解放するあがないとしてその完全な人間の命を与えられました。近い将来における,エホバの御目的は,正義の新しい事物の体制を招来することです。その時人類はもはや受け継いだ罪の影響で苦しんだり死んだりすることはありません。そして死んだ愛する者たちでさえ復活させられて再び生きるのです。(ペテロ後 3:13。ヨハネ 5:28,29)エホバ神のこのようなご配慮は,わたしたちにエホバ神を敬う気持ちを起こさせないでしょうか。エホバを敬うにはまず,エホバがご自分について,またご自分の目的について,そのみことばである聖書の中で何と述べておられるか学ばねばなりません。

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