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目ざめよ! 1972
目72 12/8 5–8ページ

在学中も神を喜ばせる

学校制度はたいへんよいものです。学校は,広範囲にわたる科目にかんして,生徒たちに役だつ知識を与えます。また,種々の重要な技術を教えます。しかし,それと同時に,今日の学校は,聖書の正義の原則に従った生活をして神を喜ばせたい,と考えている若者たちにとっては,危険なところでもあります。

多くの学校で麻薬が横行しています。トイレでマリファナが吸われ,廊下でヘロインが売られています。性道徳もひどく乱れていて,今日では,妊娠している未婚の学生など珍しくないという学校もあります。クリスチャンの若者にとって,学校は,神のみまえにおける立場に不利な影響をおよぼしかねない他の危険が生ずるところでもあります。ですから生徒は,この世的な影響によって堕落させられることなく学校から益を受けたいと思うなら,よく注意しなければなりません。

正しい動機

人々が学校教育を望む理由はさまざまです。高給職業につく準備として大学卒業証書を得たいと考えている学生たちがいます。自分の社会的立場を良くするために教育を受けているような態度の学生もいます。しかし,創造者エホバ神を喜ばすことを目的とする若者はどうですか。

そのような若者は,一般の学校が提供するものよりもすぐれた知識,すぐれた技術があることを認識しています。それは,エホバとエホバの目的にかんする知識であり,その知識を他の人々に教える技術です。したがって,クリスチャンの若者が教育を望む動機は,ほとんどの学友とはかなり異なっています。この世の経済組織,または社会組織の中で出世しよう,というような野心はありません。むしろ,一生涯,神に献身的に奉仕するためのよりよい備えをするよう,教育を受けることを望みます。

利点と実際的な益

ですから,クリスチャンの若者たちは,在学中はまじめに勉強に打ち込まなければなりません。それをするひとつの利点は,問題を考え推理する能力が増大することです。また若い人々は,読み書きがよくできるのは一生の得であることに気づくでしょう。また,計算が正確に早くでき,人間に起こるいろいろな問題や,歴史,地理,科学などに関する一般的な知識があり,自国語以外のことばを知っているのも役にたつということを悟るでしょう。

確かに,良い基礎的な教育を受けることには,実際的な益があります。これによってクリスチャンの若者たちは,いろいろな場合に,理解をもって話し,奉仕することができます。(コリント前 9:19-23)使徒パウロがマースの丘の上で行なった話は,聖書の知識に,学んだ他の事柄を織りまぜて話したすぐれた例です。パウロは博識であったために,そのとき,神の目的について徹底的に証言することができました。―使行 17:22-31。

学校教育を受けるさいに,経済的に自活してゆくのに役だつ知識や技術を学ぶのは良いことです。それはパウロの模範にならうことです。「この手は我が必要に供へ,また我とともなる者に供へしことを汝らみづから知る」と彼は述べています。―使行 20:34。

ですから在学中に,なんらかの手仕事,または職業を学ぶのは良いことです。大工仕事,塗装,機械を扱う仕事,洋裁,料理,タイプなどを習う機会があるかもしれません。若いクリスチャンたちが,神のことばを他の人々に教えることにその主力を向けながら経済的に自活してゆけるような職業はいろいろありますから,そうした職を前もって身につけておくとよいでしょう。

警戒を怠ってはならない

学校から最大の益を得るよう努力する一方,危険に対しても絶え間なく警戒することがたいせつです。聖書ははっきりと警告しています。「なんぢら欺かるな,悪しき交際は善き風儀を害ふなり」。また,「聖徒たるに適ふごとく,淫行,もろもろの汚れ,またむさぼりを汝らの間にて称ふる事だにすな。また恥ずべき言・愚なる話・戯言を言ふな,これ宜しからぬ事なり,むしろ感謝せよ」とも述べています。―コリント前 15:33。エペソ 5:3-5。

同級の学生たちが,たとえ淫行者や麻薬常用者でなくても,それは,彼らが良い交際相手であるということを意味しません。彼らは卑わいな冗談や愚かしい話を口にしたり,ごまかすことをなんとも思わなかったり,他の面で不正直であったりするかもしれません。クリスチャンは,そういう人たちと親しくしなくても,礼儀や道義を重んずる人々との交わりを選ぶことができます。クリスチャンは,聖書の原則を破らせるような危険な交わりや活動を,常に警戒していなければなりません。

しかしほかにも,クリスチャンの若者たちが警戒すべき危険があります。それらの危険も,師であるイエス・キリストが歩まれた道に反する道に彼らを引き込み,神のみまえにおける彼らの立場を危うくします。

この世の政治

イエスは,この世の政治には,どんな形であれ,全く関与しない道を歩まれました。イエスは,ご自分の真の追随者たちについてこう言われました。「我の世のものならぬごとく,彼らも世のものならぬに因りてなり」。イエスは,このことばにたがわず,わざわざ手段を講じて,政治的な地位にむりやりつけられることのないようにされました。―ヨハネ 17:16; 6:15。

しかし,今日の学校の状態はどうでしょうか。この世の政治に巻き込まれる同様の危険がありますか。ほとんどすべての学校で,学生たちは政治問題に巻き込まれつつあるようです。その結果,世界中の学校で,デモ,暴動,暴力行為が生ずるに至りました。学校における自治活動が,このように爆発的な性質のものであるにせよ,あるいは教室内で行なわれるもっと穏やかな形のものであるにせよ,クリスチャンは,それに関与させ,参加させようとする圧力のもとにあります。

クリスチャンの若者たちはどうするでしょうか。彼らは,神のことばである聖書の教えと,イエス・キリストの残された模範に従って行動したいと思うでしょう。彼らにとって最も重要な事は,ほかの生徒たちがどう思うか,先生がどう言うかということではなく,自分の創造者エホバ神がどう考え,どう言われるかということであるべきです。

たとえば,教室における役員や学級委員の選挙には,どんな目的がありますか。これは実際には,若い人々を,この世の政治の仕組みに関与させるのに役だつ訓練です。これは,クリスチャンの若者たちが望む訓練でしょうか。『わたしは世のものではない』と言われたイエス・キリストは,ご自分の真の追随者たちが,この世の政治に参加する訓練を受けることを望まれるでしょうか。

こうした問題において忠実な立場を取る若いクリスチャンたちは,教師にもまた生徒たちにも深い感銘を与え,彼らから尊敬をかちうる場合がしばしばあります。たとえば,旭川市で開かれたクリスチャンの大会で,ひとりの少年は自分の経験を次のように語りました。

「わたしは高校2年の時,学級委員の選挙のさい,委員のひとりに選ばれました。それで,エホバの証人はクリスチャンとして世の政治に参加しないので,学級委員の選挙でも,選んだり,選ばれたりしないことを説明しました。クラスの生徒はいろいろ反対しましたが,委員を辞退するわたしの意向をついに認めました。

「その後まもなく担任の先生がわたしを呼び,わたしの信仰について聞きたいと言われました。その先生は物理の先生で,神の存在は人間の生活になんら関係がなく,神に信仰を置くのは弱い人間のすることで現代人のすることではない,と話されました。しかし,わたしはエホバにより頼んでその先生に徹底的に証言したところ,先生は,『君の信仰について詳しく知りたい』と言って,聖書を説明した本を快くお求めになりました」。

歌と国旗敬礼

ある学校では,人々,機関,あるいは国家をたたえる歌がよく歌われ,またなんらかの国家の象徴に対して敬礼が行なわれます。クリスチャンは,エホバ神を賛美する歌を歌うことや他の活動に参加することを楽しみます。しかし,人間や,国家や,機関をたたえることはどうでしょうか。

真のクリスチャンは,シャデラク,メシャク,アベデネゴと名づけられた,3人の忠実なヘブル人の神のしもべの模範から学ぶことができます。古代バビロンの支配者ネブカデネザルは,大きな金の像を立てました。そしてその落成式に臨んだすべての者に対して,次の命令が発せられました。「角笛,横笛,琴,三角琴,立琴,風笛などの,もろもろの楽器の音を聞く時は,ひれ伏してネブカデネザル王の立てた金の像を拝まなければならない。だれでもひれ伏して拝まない者は,ただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる」― ダニエル 3:5,6,口語。

その3人のヘブル人は,国がすべての者に賛美することを要求したその像,もしくは象徴物を拝もうとはしませんでした。彼らは反抗的な若者だったわけではありません。ただ,すべての誉れと賛美はエホバ神に帰すもの,と信じていたにすぎません。

今日,世界中で国家主義が高まりつつあるために,多くの若いクリスチャンたちが,同様の状況に遭遇することでしょう。もし,聖書によって訓練された良心が,象徴物に敬礼することや,国とか母校をたたえる歌を歌うことを許さないなら,どうすればよいでしょうか。

そういう状況の起こりそうなことが前もってわかったなら,自分の信仰について,あらかじめ,担任の先生かまたは校長先生に話しておくのが順当です。生徒が自分のことばで事情を説明すれば,先生の受ける印象は強いでしょう。個人の良心を尊重する,道理をわきまえた先生なら,生徒がそのような式典に出席しなくてもすむように計らってくださるでしょう。札幌に住むある若いクリスチャンの経験は,そういう事態に面したときどう対処するかを示すひとつの例です。

「中学2年のとき,体育祭がありましたが,その式典には国旗掲揚が含まれていました。このことを前もって知ったわたしは,さっそく放課後,職員室に行き,担任の先生に会って自分の立場を説明し,国旗掲揚の式典には参加できないことを話しました。先生はびっくりした様子で,これは国旗を拝むことではなく,体育祭を始めるにさいして単に国旗に敬意を表わすにすぎないのだから,かまわないではないか,と言われました。

「しかし,エホバのみを崇拝するクリスチャンは,国旗に敬礼したり,国旗に向かって脱帽したりすることができない,とわたしは説明しました。そして,しばらく話し合ったあとで,先生はわたしの願いを認めてくださいました。体育祭の当日,わたしは国旗掲揚式には参加せず,競技にだけ参加しました。そして後日,わたしはその式典に参加しなかった理由についてクラスの友だちに聖書から証言することができました。先生がわたしの立場を認めてくださったことをほんとうにうれしく思っています」。

体育

スポーツは身体の発育に役だちます。しかし,思いを訓練し,霊的な事がらに対して認識を深めることは,それよりもはるかに重要です。聖書はこう述べています。『からだの修行もいささかは益あれど,敬けんは今の生命と後の生命との約束を保ちてすべての事に益あり』― テモテ前 4:8。

しかしながら,学校が,剣道,柔道,ボクシング,または他の武道を必修科目にするとすれば,クリスチャンはどうすべきですか。その場合クリスチャンは,聖書によって訓練された良心に従うことを望むでしょう。高校卒業後,全時間伝道奉仕をする開拓者になった福井市のある若い人の次の経験は,それを行なう人々に祝福が臨むことを示しています。

「柔道については前もって体育の先生に会い,クリスチャンは互いに戦うことをしないので,柔道の時間には見学させてほしいと話しました。しかし,先生は許してくださいませんでした。そこでわたしは,『主のしもべは争ふべからず,すべての人に優しくよく教へ忍ぶことをなし』とある,テモテ後書 2章24節のことばや,『たたかひのことを再びまなばざるべし』というイザヤ書 2章4節のことばを説明しましたが,理解してもらえませんでした。そして先生は,柔道に参加しなければ,集団行動の規律を乱すことになり,卒業できなくなるかもしれない,と言われました。

「わたしは妥協してはならないと思い,もう一度,自分の立場を説明しました。またその後,1964年9月15日号『ものみの塔』誌の,『若い人たち,在学中も忠実を保ちなさい』という記事を先生にお見せしたところ,わたしが反抗的な気持ちから柔道をしないというのではないことを知って,先生は,ご自分でもいろいろと調べてくださいました。そしてついに,『柔道はしないでもよい,しかし柔道着だけは着なさい』と,言われました。しかし,それではある程度妥協することになると思い,柔道着を着ることも拒みました。先生はしばらくのあいだ,柔道着を着ることを主張されましたが,わたしの強固な態度を見て,それ以上は何もおっしゃいませんでした。体育の成績は非常に悪くなりましたが,そのために卒業がはばまれることはありませんでした」。

永遠の将来のために備える

若いクリスチャンたちが,在学中も神を喜ばすためには,自分の歩みによく注意しなければなりません。(詩 16:8)もしそうするなら,普通教育は,彼らが創造者エホバ神をさんびすることに自分の命を用いるさいの貴重な助けとなります。普通教育と,さらに重要な聖書教育とのバランスをうまく保つことによって,若い人々は,今日,聖書中の若きテモテのように,「己のために善き基を蓄へ,未来の備をなして真の生命を捉ふること」をすることができます。―テモテ前 6:19。

70年か80年の寿命しかない不完全な人間は,知識の片りんに触れうるにすぎません。しかし,永遠に続く「真の命」を得る人々は,その中に教育の機会が無限にあることを知るでしょう。したがって,現在,普通教育だけでなく,とこしえの命に導く神の目的に関する知識と理解を求めることは,十分価値のあることなのです。―ヨハネ 17:3。

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