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  • 神はなぜこのような迫害を許しておられるのですか
  • 目ざめよ! 1973
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目ざめよ! 1973
目73 2/22 24–26ページ

神はなぜこのような迫害を許しておられるのですか

ブランタイア地方のチロモニでは,エホバの証人を襲った人びとは証人たちにこう言いました。「もし神がいるなら,エホバの証人に起きていることを神に見てもらい,神に答えてもらえ。神は見ているはずじゃないか」。

チャルンダでは42人の証人たちが党の地方の支部長E・Y・ゼネンゲヤのもとに連行され,その命令で,証人たちは青年同盟の会員たちの手で殴打されました。それらの会員のひとりであるチモンボは言いました。「神に救ってもらえ。もし神がいるなら,神に爆弾を投げてもらって,おれを殺してもらおうじゃないか」。

こうした発言に接して,中には次のような疑問をいだく人がいるかもしれません。『神はなぜご自分の崇拝者がゆゆしい残虐行為に苦しむのを許しておられるのだろうか』。

迫害が起きる理由

神はご自分のみ子が反対者たちの手にかかって侮辱され,苦しめられ,そして死を遂げるままにされたのと同じ理由で,今日そうした迫害を許しておられることを,神のみことば聖書は示しています。キリスト・イエスは捕えられ,打たれ,あざけられ,笑いものにされました。イエスは杭に釘づけにされて死に面したとき,人びとから次のように言われて冷笑され,愚ろうされました。「他人を救ったが,自分自身を救うことができない,あれがイスラエルの王なのだ。いま〔刑柱〕からおりてみよ。そうしたら信じよう。彼は神にたよっているが,神のおぼしめしがあれば,今,救ってもらうがよい。自分は神の子だと言っていたのだから」。(マタイ 27:39-44,口語〔新〕)しかし,神は即座に嘲笑者を打ち殺したりはしませんでした。なぜそうしなかったのですか。

それは,天と地のあらゆる被造物が関係している重大な論争のためでした。それは宇宙に対する神の至上の支配権の正当性にかかわる論争です。聖書は,その支配権の正当性が神の敵対者によって挑戦されてきたことを示しています。ヘブル語聖書中のこの「敵対者」というヘブル語はサタンですから,この主要な敵対者は「サタン」と呼ばれています。この敵対者が幾千年もの昔にエデンで引き起こした論争は,力に関するものではありませんでした。というのは,全能の神はご自分の支配に対するどんな反対をも,砕こうと思えば一瞬のうちに,いとも容易に打ち砕くことができるからです。(民数 16:45)引き起こされたのは,むしろ,倫理上の論争でした。そのために,神の律法や明示された神の意志に忠実に従うことによって実証される,神の支配に対する全被造物の献身と忠節が疑われたのです。―創世 3:1-5。ヨブ 1:6-12。

エホバ神はこの宇宙的な論争に決着をつけるため時間の猶予を与えてきました。神は,地上の人間が神の支配を受け入れて支持するかどうかを実際に示せるようにしています。義を愛する人は,試練のもとで忠実と忠節を十分に実証する機会を持っています。

ですから,神の敵対者の目的は,神をまさしく崇拝している人たちの忠実性を破ることにあります。そのような人たちが神に対する忠誠を守るなら,サタンは彼らの死を図ったところで,得るところはほとんどありません。そのようなわけで,神のみ子は死に面していながらも,ご自分の弟子たちと過ごした最後の晩に,弟子たちに向かって,「我すでに世に勝てり」と言いえたのです。(ヨハネ 16:33)その父の敵対者は,イエスを忠誠の道から引き離そうとしましたが,その努力はすべて水泡に帰しました。神に忠実を保って刑柱の上で死ぬことにより,キリスト・イエスはサタンの挑戦に対してこの上ない答えを提供し,いかなる苦しみも,ご自分の父に対する愛や,神の主権に対するご自分の忠節を破らせるほどに大きなものではないことを示しました。

それより何千年も前のこと,中東にいたヨブという名の義人は同様の試練を耐えました。歴史上の記録によれば,ヨブは神の敵対者の手にかかって子どもたちと資産を失いました。ヨブの家畜を盗み,その家畜の世話をしていた男たちを殺した略奪者たちは心の中で,神は無頓着だと考え,次のように言ったかもしれません。『いったいエホバは今どこにいるのか。彼はどうして剣か火を送ってわれわれを殺さないのか』。しかし,たとえ神がその時彼らを滅ぼさなかったとはいえ,彼らを差し向けた見えないその敵対者は完全な敗北を喫しました。それはどうしてですか。サタンとその手先を敗北させるものとなったのは,『この事においてヨブは全く罪を犯さず神にむかいて愚なることを言わざりき』という事実です。ヨブは神に対する信仰を守り,忠誠をもって試練に耐えました。―ヨブ 1:22。

イエスの場合とは異なって,ヨブはその試練にさいして殺されなかったことに注目してください。ヨブはその苦難を切り抜けて生き残り,しあわせな生活を送り,長寿を全うしました。同様に,マラウィの証人たちの大多数は苦難を切り抜けてきました。こうしてヨブや,マラウィの証人たちの大多数が生き残ったということは,彼らは迫害のもとで死んだ人たち以上に神から特別に恵まれたことを意味していますか。そうでないことは明らかです。エホバ神はご自分のみ子が殺されるのをさえ許されたからです。しかし,ある人びとが死ぬというまぎれもない事実は,死そのものも,またその脅威も神の真のしもべたちを神のみことば聖書とその義の原則にそむかせるものでないことを示す確かな証拠となります。

昔の時代と全く同様,今日でも神のしもべたちは実にさまざまの試練に会います。また,そうした試練に会うことにより,サタンの挑戦に対して,忠節と忍耐のさまざまな面のどれ一つとして見落とされることのない十全の答えを供するのです。記録によれば,昔の神のしもべたちの中には,『さらにまさりたる復活を得んために』拷問を受けて死んだ人たちもいれば,『嘲笑と鞭と,またなわめと牢獄との試練を受け…石にて打たれ,試みられ,のこぎりにてひかれ,剣にて殺され,羊・山羊の皮をまといて経あるき,乏しくなり,悩まされ,苦しめられ』た人びともいます。(ヘブル 11:35-37)しかし,彼らは神に対する忠実を保ち,神の恵みを受けました。彼らはやがて神の新秩序で命の報いを刈り取るでしょう。なぜなら,神はご自分を『求むる者に報い給う』かただからです。―ヘブル 11:6。

現代の忠実な女性の中には,ゆゆしい侮辱的扱い,ぞっとするような忌まわしい非人道的な取り扱いに耐えねばならなかった人びとがいます。しかし,それに耐えることによって ― 強姦を含め ― どんな苦しみも,神の証人たちの忠誠を破れるものではないことを示す証拠をさらに提供しています。残忍な仕打ちは,からだに傷跡を残す場合があり,性的に犯されたり,わが子が目の前で打たれて殺されたりする場合には,精神的また感情的傷跡が残るかもしれません。

それでも,エホバ神はご自分のみ子の王国の支配のもとで,そうした傷跡をことごとく拭い去るでしょう。昔の神の民,イスラエルの場合と同様,神の約束はそうした苦しみについてもあてはまります。こうしるされています。『人さきのものを記念することなく これをその心におもいいずることなし』。(イザヤ 65:17-19)振り返って見るとき,そうした試みや試練はすべて,使徒パウロがみなしたように,自分の得た永遠のすばらしい報いと比べれば,『しばらくの軽い』悩みとなってしまうでしょう。―コリント後 4:17,18。

それ以外に成し遂げられる事がら

神が迫害を許すことによって成し遂げられる事がらはほかにもあります。その一つは,迫害者自身に関係する事がらです。

迫害者の中には,キリストの弟子たちに対して『おびやかしと殺害との気をみたし』た,タルソのサウロのような人がいるかもしれません。事実,サウロは,ある人たちを殺すことに賛成し,またそれに加担する一方,パレスチナの各地で他の人びとを追跡しました。(使行 9:1; 7:58–8:3)ところが,サウロはそれらの人たちの真実の見方に照らして物事を考えるようになったのち,彼はキリストの非常に熱心な使徒たちのひとりになり,次いで,迫害のもとでみずからの忠実さを実証しました。そして,彼は,神が大いなる忍耐と過分の親切を示してくださったゆえに誤った道から離れられたことを神に深く感謝しました。―コリント前 15:9,10。

ですから,今日,苦しみに会うクリスチャンも,神の忍耐ゆえに,迫害者の中には身を転じて神の新秩序で永遠の命を得られるような人が出ることを大いに喜べます。また,今起きている事がらを見たり,あるいはそれに関する報告を読んだりする他の大勢の人びとが,真の論争をはっきりと認め,神の側に立てるようになるかもしれません。

もちろん,ほかにも成し遂げられる事がらがあります。神が迫害を許しておられるため,神に敵対し,みずからを改めようとしない,ほんとうに強情な者たちはやがて暴露されます。クリスチャンが潔白であることを示す証拠を前にしながらも,執ようにそうしたクリスチャンを攻撃する人びとは,自分自身を故意に,また意識的に神に逆らう反対者として罪に定めることになるでしょう。そうなれば,神は,この全地にまたがる不義の凶悪な事物の体制にまもなく終わりをもたらす時,それらの人たちを滅びにふさわしい者として裁く十分の理由を持つことになります。―テサロニケ後 1:6-9。

昔,使徒ペテロは仲間のクリスチャンにあてて,『愛する者たちよ。あなたがたを試みるために降りかかって来る火のような試練を,何か思いがけないことが起こったかのように驚きあやしむ』ことがないようにしなさい,と書きました。(ペテロ前 4:12,口語)今日,マラウィでも,また世界のどこでもエホバの証人は,起きている事がらを驚きあやしんではいません。証人たちは,神が迫害を許しておられる理由を知っていますし,最終結果は神に誉れをもたらし,自分たちにとっては永遠の祝福となることを確信しています。

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