ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 目73 7/8 3–4ページ
  • ソ連では宗教はどうなっていますか

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • ソ連では宗教はどうなっていますか
  • 目ざめよ! 1973
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 食い違う報道
  • 宗教の強力な支配
  • 無気味な風向きの変化
  • ソビエトによる対宗教攻撃
    目ざめよ! 2001
  • 今日のソ連における宗教にはどれほどの力がありますか
    目ざめよ! 1973
  • 宗教はどのようにして生き残ったか
    目ざめよ! 2001
  • ソ連の宗教撲滅運動
    目ざめよ! 1973
もっと見る
目ざめよ! 1973
目73 7/8 3–4ページ

ソ連では宗教はどうなっていますか

過去55年ほどの間,ソ連という国は,外国人にとっては不可解なところの多い国でした。その間,「鉄のカーテン」の背後の人びとの生活については,あまり知ることができませんでした。

しかし,近年になって,ソ連はしだいに多くの外国人の訪問者を受け入れるようになりました。それらの訪問者は,国内を広く見て回ることや,あらゆる種類の人びとと話すことを許され,同国の政治,経済,科学および文化の状態は徐々に明らかになってきました。

しかし,今ひとつはっきり知ることが困難なソ連の生活の一面は宗教です。ソ連では宗教はどうなっているのでしょうか。共産主義者が50年にわたって支配してきた現在でも,宗教はまだ生きているのでしょうか。もしかしたら栄えているでしょうか。それとも絶えつつあるでしょうか。ソ連の宗教の将来の見込みはどんなものでしょうか。

食い違う報道

近年になって,外国の新聞は,ソ連内の宗教について報道しましたが,その内容は一致していません。一部の報道は,額面通りに受け取ると,ソ連内で宗教の「リバイバル」が生じていることを示唆しています。

たとえば,ニューヨーク・タイムズ紙は,「ソ連に宗教復興の空気」という見出しを掲げました。また,1972年の「ブリタニカ年鑑」は,「国内のほとんどあらゆる大都市で宗教礼拝はつづけられており,一部の若い人びとも,宗教に心を向けつつある」と述べています。

ドイツの雑誌「シュテルン」は,ノブゴロド市の当局者が博物館に変えたある大寺院について述べています。それによると,その博物館を訪れる人びとは,十字を切り,祈りをささげ,宗教音楽を聞きます。そのことが,宗教への関心の高まっている証拠と見られたわけです。

こうした報道から,人は,なるほどソ連では宗教熱が高まっていると結論するかもしれません。

しかしながら,他の目撃者たちの話をも含めてさらに広く証拠を調べるならば,また違った印象がわいてきます。これら他の報告は,一歴史家とほぼ同じ結論を下しています。その歴史家は率直に,ソ連では,「局地的に見られる熱意や献身は別として,組織された宗教は死につつあるようだ」と述べています。

したがって,裏面をさぐってみる必要があります。今日のソ連における宗教の実情を知るには,多くの事柄を考慮しなければなりません。すべての要素を検討したときにはじめて明確な結論を下すことができます。その結論のひとつは,非常に驚くべきものであるかもしれません。

この研究に役だつのは,ソ連における教会と国家との関係の歴史を調べてみることです。これを調べると,なぜある事柄が起きたのか,現在はどんな傾向にあるかをよりよく理解することができます。

宗教の強力な支配

ソ連における宗教の歴史を調べるには,ロシア正教会の足跡をたどらなければなりません。ロシア正教会は,同国内の最大の教派です。

同教会が始まったのは西暦988年で,キエフの大公ウラジミルがバプテスマを受けて,キリスト教世界の一教派である東方正教会に帰依した時でした。彼が異教から改宗したのは,その妻アンナを得るためであったと言われています。アンナは,当時優勢であった東ローマ帝国の皇帝の妹でした。同帝国の首都は,東方正教会の本拠であったコンスタンチノープルでした。

ウラジミルはその臣民に,ひとり残らず正教会のクリスチャンとしてバプテスマを受けることを命令しました。そうしない者はみな国家の敵と考えられました。したがって,ロシア教会は発足当初から,世俗の権力に支援されていたと言えます。1453年に東ローマ帝国が滅亡したとき,ロシア正教会はコンスタンチノープルの支配からの独立を宣言しました。その後,モスクワの教長は,コンスタンチノープルの総大主教と同等の総大主教とされました。しかし,1692年にはピョートル大帝が総大主教の地位を廃して自ら教会を支配しました。そして1721年に,ロシア正教会は正式に国教会とされました。

時がたつにつれ,教会は,ツアー(王または皇帝。ラテン語のカエサルからきている)たちの圧政と,ますます密接な関係を持つようになりました。ツアーたちは,ロシア正教会に従うことを民衆に要求し,別の宗教への改宗を違法としました。無慈悲なツアーと利己的な教会とは協力して,民衆を無知と貧困に閉じ込めました。

しかし,1917年の3月,自由思想を持つ政治グループが革命を起こし,ツアーを追放しました。ツアーなきあと,ロシア正教会は,国家の支配から独立する機会を得ました。そして新しい臨事政府はその努力を奨励しました。その記憶すべき年の8月に総大主教の地位は回復され,新しい総大主教ティホンと新しい自由とを得た教会は,以前にもまして強力になるかもしれないという予想さえありました。

無気味な風向きの変化

しかし,そうなる前に,政治上の大暴風がロシア全土を吹きまくりました。1917年の11月には別の革命が起こり,これによってボルシェビキ派(のちほど共産党と呼ばれるようになった)が勢力を得ました。彼らは臨時政府も含めて,存在していた秩序を一掃しました。

数年のうちに,共産主義はレーニンの指導のもとで,ロシアとその周辺の地域でその地歩を堅め,そして1922年の12月30日に,ソビエト社会主義共和国連邦(U.S.S.R.)の成立が宣言されました。最後には,最大の共和国ロシアを含め,15共和国がソビエト連邦を形成するに至りました。今日ソ連は,どの国よりも広大な地域を有しており,その総人口は2億5,000万に近く,中国,インドに次いで世界第三位を占めています。

100余の国家群の上に政権を取った共産主義の支配者たちは,種々の宗教的信仰を持つ人びとに直面しました。むろん,ロシア正教会は最大の宗教ですが,他にもたくさんの宗教ありました。近年,共産主義者の支配下にはいった地域はとくにそうでした。

それらの宗教はすべて,新しい政府との関係において自分たちの地位はどうなるのだろう,と考えていました。それはやがてわかりました。それらの宗教はすべて,1917年の11月に吹きはじめた変革の大暴風に思いきりたたきつけられました。

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする