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目ざめよ! 1974
目74 7/8 24–25ページ

二つの大陸を結ぶ橋

トルコの「目ざめよ!」通信員

ヨーロッパとアジアを隔てる有名なボスポラス海峡を,今では自動車に乗って二分足らずで渡ることができます。これは,昨年の10月31日に,ここイスタンブールにおいて美しい“ボスポラス橋”が開通したためです。ボスポラス橋は,二つの大陸を結ぶ初めての恒久的な橋梁です。

以前にも,両大陸が橋で一時的に結ばれたことがありました。それは西暦前6世紀のことでした。ペルシャのダリウス大王は,船をつなぎ合わせて作った浮き橋をこの付近にかけ,配下の軍勢をアジアからヨーロッパに進ませました。

それ以来,ここにより恒久的な橋をかける計画が数多く立てられてきました。今から200年ほど前に,フランスは,この付近に石造りのアーチ状の橋をかけることを提案しました。次いで1860年には同じくフランスが,それぞれの頂に回教寺院を設けた四本の大支柱で支える橋の設計図を製作しました。1905年には,ドイツが橋の建設を申し出ました。1930年代になると,ヨーロッパのある技術グループが橋の建設計画を作成しました。また1953年には,トルコ政府が同様の建設計画を作りました。しかし,こうした計画はいずれも実現しませんでした。

しかし橋をかけることにそれほどの関心が集まったのはなぜでしょうか。それは,イスタンブール市の拡大と同市の地理上の特色とに関係があります。

イスタンブールはボスポラス海峡をまたいで広がっており,二つの大陸にまたがる都市として世界唯一のものです。西洋と東洋の行き交う戦略的にも重要な位置にあるこの町は,西暦前6世紀に建設されて以来広く知られてきました。当時それはビザンチウムと呼ばれていました。約800年後に,同市はコンスタンチヌス帝によってコンスタンチノープルと改名され,世界で最も裕福な都市となりました。1453年に,同市はトルコ人の手中に落ち,回教寺院や回教式の宮殿で美しく飾られるようになりました。トルコ人は同市の名をイスタンブールと改めました。

市の主要部分はヨーロッパ側にあります。最近まで,同市のアジア側に住んでいる人は比較的わずかでした。しかし,今その数は急速に増加し,200万を超える同市の人口の約25%がアジア側に住んでいます。

毎朝,多数の人がアジア側からヨーロッパ側に働きに行き,夕方になるとまた戻って来ます。しかし天候が悪いと,フェリーは遅れることがあります。また,この新しい橋が開通する前には,交通量の増加にともなって,フェリー業務に非常な無理がかかっていました。一時間あるいはそれ以上待つことも珍しくありませんでした。ボスポラス橋は,イスタンブール市を取り巻く環状道路の一部を成し,全長約21㌔の高速道路の中央のつなぎの役を果たしています。

巨大な事業

ヨーロッパとアジアの二つの大陸をつなぐには,アメリカにあるものを別にして,世界で最も長い一支間式つり橋を造ることが必要でした。海峡をひとまたぎにするこの橋の中央支間は1,080㍍もあります。中央支間がこれより長いつり橋は,ニューヨークのヴェラザノ・ナローズ(1,298㍍),サンフランシスコのゴールデン・ゲート(1,280㍍),ミシガン州のマキナック(1,158㍍)の三つだけです。

ボスポラス橋は1970年2月に起工され,1,345日の作業で完成しました。建設に要したおよそ4,000万㌦(約120億円)の費用はほとんどが外国からの援助でまかなわれました。しかし,そうした借入れ金は今後四年以内に全額返済できるものとみられています。

乗用車の通行料は10トルコ・リラ(日本円で約210円)です。他の車は重量と大きさに基づいたそれぞれの料金を支払います。1日に2万台から2万2,000台の交通量が見込まれており,この橋からやがてかなりの年収が上げられると思われます。借款を返済した後,通行料として得られる収入はイスタンブール市の財源に加えられることになっています。

建設上の特徴

最初に行なった仕事の一つは,二つの橋門の建築でした。やがて海峡の両側に,55階建のビルに相当する,高さ約165㍍の塔が出現しました。橋門の脚部の地上から約45㍍のところに幅約10㍍の横桁が取り付けられました。現在,道路はこの桁の上に載っており,水面から十分の高さがあるため,その下を大型の船舶が自由に航行しています。別の桁が高さ100㍍のところに,そして三番めの桁が頂上に近い高さ150㍍のところにそれぞれ取り付けられています。

橋門を成す合計四本の柱は実に大きく,基部で幅が7㍍,奥行きが5㍍もあります。しかも,柱の中はくり抜かれているのです! その中には,一度に優に20人を道路の高さまで運ぶ大型エレベーターが取り付けられています。また,道路から橋門の最上部にまで保守整備員を運ぶ小型のエレベーターも付いています。

橋門ができあがった後,長さ約四千万㍍の鋼線を用いて2本の巨大な主ケーブルが張られました。それぞれのケーブルは19本のより索からできています。そしてより索はそれぞれ550本の鋼線でできています。実際,鋼線が海峡の上を550回も渡されて一本のより索が作り上げられているのです。

19本のより索から成る完成した各ケーブルは,重さが2,700㌧,直径が60㌢もあります。これら二本の主ケーブルにはつりケーブルが接続されています。このつりケーブルにやがて道路が取り付けられました。道路を取り付ける作業は非常に興味深いものでした。

この六車線の道路には,長さ18㍍幅33㍍の箱型の鋼材が60個使用されています。一つの鋼材だけで約150㌧の重さがあります。海峡の中ほどに浮かぶはしけから最初の鋼材が高々と持ち上げられたのは1972年12月7日のことでした。鋼材が次々と所定の位置に置かれ,溶接されるにつれて,道路が急速にでき上がっていきました。そして1973年3月26日に,ついに最後の鋼材が持ち上げられ,祝賀の式典が行なわれる中でケーブルに取り付けられました。

しかし完成までにはまだなされなければならない仕事がありました。道路の表面をアスファルトで舗装する必要がありましたし,主ケーブルを塗装することも必要でした。また,エレベーターも取り付けなければなりませんでした。橋と接続する道路はまだ建設途上であり,舗装する必要がありました。

現在ではこうした作業がすべて終わり,車が行き交っています。すでに,わずか一日だけで2万8,000台の車が橋を渡ったこともあります。トルコは今や発展途上にある国です。橋のそばに立ち,首を長く伸ばして橋門を見上げるこの国の多くの人にとって,このボスポラス橋は,テレビその他の現代の驚異と同じく,驚異の目を見張るものとなっています。

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