輸血をしないでする大手術
ほんのしばらく前まで,輸血は大きな手術のさいに当然必要なものとみなされていました。ほとんどすべての医師が,輸血はどうしてもしなければならないもの,と感じていました。
しかし,今日ではそうではありません。輸血をしなくてもりっぱに手術ができるということを認める医師が多くなっています。医師たちは,そのための新しい手法を開発しました。その新しい方法は,しだいに増える,輸血を望まない患者たちに大いに感謝されています。
また,医師たちは,そうした新しい方法が幾つかの重要な点で従来の方法に勝っていることを見いだしています。そのため,今では,医師のほうから患者に対してこうした新しい手法を推薦する場合も少なくありません。
なぜこうした傾向が進んでいるか
輸血なしの手術を求める傾向が進んでいるのはなぜでしょうか。AP通信の伝えた次のニュースの中にその理由の幾つかが述べられています。「輸血なしの手術を求めることの目標は二つある。肝臓病の伝染など輸血に伴ういろいろな危険を避けることと,供血者の必要を減らすことである」。
輸血に伴う危険は今や広く認められています。1974年9月8日号「目ざめよ!」が伝えたとおり,毎年輸血のために幾千人もの人が死に,幾万もの人が身に危害を受けています。これは,血液の運ぶ汚染物,病気(主に肝炎),技術上の誤り(血液の不適合など),アレルギー反応などのためです。この分野の専門家も,既知の検査方法ではこの種の危険を完全には除去しえないことを率直に認めています。米国フィラデルフィア病院の外科部長スタンレー・デドリック博士が,「われわれはなんでもかでも輸血をするということはもはやしない」と述べているのはこうした理由によります。
しかし,輸血をしないで手術をする方法が特に開発されたことの背後にはもう一つの理由があります。カリフォルニア州パロアルトのタイムズ紙は次のように述べました。「輸血の要らない手術法の開発が求められたのは,一つには,普通の手術法に対し加えられた,エホバの証人の信仰上の制約のためである。彼らの宗教上の信念は,外部からの血液の注入を非としている」。
エホバの証人は輸血を受けません。彼らがその種の療法を受け入れないのは,神のことばである聖書が,「血を避けるよう(に)」クリスチャンに求めているからです。(使徒 15:20)そのため彼らは,何かの手術が必要な場合,輸血に代わる処置を講じてくれる医師を探します。
初めのうち,エホバの証人でない医師はほとんどみな,血を使用しない手術に応じませんでした。その種の手術のためにはより高度の技術が求められました。しかし徐々に,手を尽くしてエホバの証人を助けねばならないという点を理解する医師たちが増え,そうした医師たちが輸血なしで手術する方法を見いだすという挑戦を受け入れました。そして,新しい手法が成功するにつれ,それを採用する医師も多くなりました。
そうした医師の中には,それぞれの地域社会で広く知られた人々も多くいます。米国の場合,ニューヨーク市ブルックリンにあるエホバの証人の本部事務所には,そうした医師たちの名が多く記録されています。そこに名が控えられているということはその医師に関する保証ではありませんが,その名簿は,手術が必要でありながら,輸血なしでそれを行なってくれる医師を知らない人たちの便宜のために保たれています。
その新しい手法はどんな手術にも使うことができますか。できます。重要な器官の関係したきわめて複雑な難しい手術もその中に含まれています。
輸血なしの心臓切開手術
かつて医師たちは,輸血の許されない心臓切開手術などとうてい考えられないとみなしていました。したがって,輸血なしの心臓手術が多年にわたってどのように開発されてきたかを見るのは興味深いことです。
この分野の開拓者の中に,テキサス州ヒューストンの医師グループがあります。その医師たちは,エホバの証人に対する手術をただ拒否するのはあまり分別のあることではないという点を認めました。ある場合,その拒否は,自動的な死の宣告と等しい結果になるからです。
こうして,1962年,上記医師グループは,他の医師たちが拒否したエホバの証人の患者を扱う方法を工夫しはじめました。そうした手術に関する初期の報告のあるものが,「アメリカ心臓学ジャーナル」の1964年6月号に掲載されました。「エホバの証人と心臓切開手術」と題する記事の中で,博士号を持つ医師たち,つまり,デントン・A・クーリー,E・スタンレー・クロフォード,ジェームズ・F・ホウエル,アーサー・C・ビール(ジュニア)の四人は,血液を使用しない手術法について幾つかの点を説明しました。
心臓切開手術のためには,心臓の動きをしばらくの間実質的に止めてしまうことが必要です。その間のポンプの働きは人工心肺装置によってなされます。これは,血液の流れを持続させて重要な酸素を体のすべての部分に供給する装置です。この装置を患者の体と接続させるに先だち,そのポンプおよび付属の管や血液槽を満たすため,約1.5㍑の血液を使用するのが普通のやり方でした。前述の医師たちは代わりに何を使用しましたか。彼らはこう報告しました。
「われわれの診療所で開発した手法の場合,この体外装置の“呼び水”として,血液の代わりに,蒸溜水に溶かした5%のデキストロース[単糖類の一種であるぶどう糖]液を用いれば十分であった。酸化装置内での繊維素の沈澱を防ぐため,この溶液には,1,000㍉㍑につき25㍉㍑のヘパリンを加えた。呼び水として入れるこのデキストロース液の量は,体重1㌔につき20ないし30㍉㍑[体重60㌔の人で約1.7㍑]である。
また,手術の間にも血液を用いることができませんでしたから,外科医たちは細心の注意を払い,止血のために普通以上の配慮をすることが求められました。つまりこれは,切断された血管からの血液の流出をくい止めることです。この必要に答えて新たに多くの手法が開発され,今では広く用いられるようになっています。
特にエホバの証人に対して繰り返し行なった経験を通して,これら初期の開拓者たちは,輸血なしで手術を行なうことに対する確信を強めました。その後,血液を使用しない心臓切開手術を十年近く続けたこれらヒューストンの医師グループの活動に関する報告が,「アメリカ心臓学ジャーナル」の1972年2月号に発表されました。それは特に,ヒューストンのセント・リューク・テキサス小児病院付属のテキサス心臓研究所でなされた手術の結果を伝えるものでした。ジョン・R・ザオルスキー,グラディー・L・ホールマン,デントン・A・クーリーなどの医師たちによって書かれたその報告は一部次のように述べていました。
「1962年以来,当研究所では,[心肺装置の]始動に血液以外のものを用いる手術が5,000例以上行なわれ,優れた結果を見てきた。そのうち数百例は,エホバの証人ではない患者に対し,その随意選択のもとに輸血なしで行なったものである。……
「この一連の手術において,エホバの証人の患者は他のすべての患者と同じ処置を受けたが,ただ違う点として,エホバの証人の患者たちは,手術の前後に注射によって鉄分を補い,また,自分たちのため血液銀行に血液を予備的に取って置くということをしなかった。彼らが取り入れた液体は,始動用の溶液と,希薄食塩水もしくは乳酸ナトリウムリンゲル液に溶かしたぶどう糖液だけであった。後者は静脈を通して施された」。
この報告によると,上記の全期間を通じ,「貧血のために」死んだとされるエホバの証人はただ一人だけです。それは手術後三日めの死でした。
この報告の全体的な結論は以下のとおりです。「わたしたちの経験は,エホバの証人に対する心臓切開手術の実行可能性を証明し,また,他のすべての患者についても,輸血による死や罹病を減らすために輸血をもっと控えめにでき,またそうすべきことを示している,と信じる」。
他の医師たちも新しい方法を採用しはじめる
こうした経験が得られ,また公表されるにつれ,他の外科医たちも,エホバの証人に対する奉仕として,血液を使用しないで(輸血なしで)心臓の切開手術をする同様の手法を試みるようになりました。その一例として,チャールズ・W・ピアス博士は,1970年に,ニューオーリンズのメソジスト病院で,あるエホバの証人に対する輸血なしの心臓切開手術を行ないました。ピアス博士は,数年間米国心臓学会の調査員を勤めた人であり,手術のさいの援助者としては,ホワイト・ギブソン博士がこれに当たりました。この手術については,ルイジアナ州スライデルのセントリー・ニューズ紙の第一面に次の興味深い記事が載りました。
「病院専属の医師や外来医師の多くは,それがどのように行なわれるかを理解できず,この珍しい手術を見るため手術室内に入ることを許されたが,その数があまりに多かったため,その病院では手術用の白衣が足りなくなった」。
それがどのように行なわれるかを他の医師たちが理解できなかったということは,進歩した外科的手法について医師たちが最新の知識を取り入れる必要のあることを示しています。またそれは,「認められた普通の」方法以外のものを安易に退けてはならないことをも示しています。
大ぜいの医師たちが見学した前述の患者の場合,その回復の速さが多くの人の驚くところとなりました。事実,付き添った看護婦はその患者に“スピーディー”(速い)というニックネームを付けました。手術後わずか十日で彼は退院を許されました。新聞は,輸血なしの手術に関するピアス博士の経験についてこう伝えました。
「ここで採用された手法は,ひとりエホバの証人だけでなく,心臓切開手術を受けるたいていの患者にとって大きな恵みになったと信じる,と同医師は語った。
「『わたしたちはこの手法を,先天性の心臓疾患の切開手術に連続的に百回用いてきたが,死者はわずかに一人だけであった』と同博士は説明している。
「この著名な外科医によると,血液を使用しないこの手法によって,伝染性の肝炎にかかる可能性はほとんど除去される。また,アレルギー性の反応を起こす可能性も減り……またさらに重いショック反応の危険も減る……
「ピアス博士の説明によると,血液を使用する場合,心臓切開手術のあとまもなく,心臓・肺・腎臓などの機能の損われることがある。『しかし,この手法を用いれば……これらの器官の機能はほとんど常に良好である』と同博士は付け加えた」。
今ではさらに広く行なわれている
世界の多くの土地からの報告は,ここ数年の間に,心臓切開手術を初めとする難しい手術を輸血なしで行なうことが,各地の定評ある医療機関の間に広まりかつ受け入れられたことを示しています。例えば,南アフリカ,ヨハネスブルグの心臓専門医は,エホバの証人である14歳の少女にその種の手術を行ないました。同市のサンデー・タイムズ紙は,少女が「不思議なほどの回復ぶり」を示し,ほんの一日で重症病棟を出たことを伝えました。
米国ワシントン州スポーカンの外科医グループも,今では,エホバの証人に対して輸血なしの心臓手術を行なっています。シアトル・タイムズ紙はこのグループの手法をこう描写しています。「これら医師たちは,[心肺装置の]始動に,血液を使用せず,ただデキストロース(糖分)の水溶液,あるいはその糖溶液と乳酸ナトリウムリンゲル液(塩化ナトリウム,塩化カリウム,塩化カルシウムを含む普通の治療用溶液)の混溶液を使用する方法を採用した」。この医師グループは,なんら否定的な結果の出ていない点に注目しています。
サンフランシスコには,どうしても心臓手術の必要な54歳の患者がいました。その患者はエホバの証人でした。エリアス・ハンナ博士とその医師グループにとって,輸血なしで心臓の切開手術をするのは初めてのことでした。1時間15分足らずの手術の後,ハンナ博士はその患者についてこう語りました。「わたしたちが行なったすべての処置に対して彼は驚くほどよい反応を示している」。
ロサンゼルスのジェローム・H・ケイ博士は,1973年11月に「目ざめよ!」誌に手紙を寄せましたが,その中で同博士は,自分たちの扱う患者の心臓切開手術の大部分を輸血なしで行なっていることを述べ,さらにこう付け加えました。「エホバの証人の患者に対して手術を行なうことはわたしたちにとってある種の楽しみとなっています。わたしたちはこれらの患者に血液も血液代用物もいっさい与えません」。
心臓の関係したこうした複雑な手術を輸血なしで首尾よく行なえるなら,他の手術も同様に行なえることは明らかです。そして現に行なわれています。今では,他の人の経験や成功例に促されて新しい手法を研究し,それを応用している医師たちが多くなっています。
血液を使用しない他の手術
ニュージーランド,ウエリントンの15歳の一少女は,複雑な手術によって脳の腫瘍をてき出しました。しかし,血液は使用されませんでした。手術は完全に成功し,少女はわずか一週間後に帰宅を許されました。
米国ウイスコンシン州ミルウォーキーの医師たちは,胸部の主動脈に裂傷の生じた16歳の少年の手術を行ないました。少年は血液を1㍑以上失っており,手術中にさらに失うことが当然考えられました。しかし,デトロイトのフリー・プレス紙によると,医師たちは,「大動脈の裂傷部分をダクロン管と取り換える間,失われた血液の代用として食塩水を用いました」。手術が終わった時,患者の赤血球数は正常値の三分の一にすぎませんでした。しかし,鉄分の補充とたんぱく質分の多い食事によって少年の体は数週間のうちに失血量を取り戻すであろう,と医師たちは語りました。
ニューヨーク州の「医学ジャーナル」誌は,「輸血なしの泌尿器系大手術」という記事を掲げました。それはニューヨーク,セントバルナバ病院泌尿器科のフィリップ・R・ローエン,フランセスカ・ベルセク両博士の記したものです。それら二人の医師は次のように書いています。
「手術的処置の必要なエホバの証人の症例を扱ったわたしたちの経験は,ヘモグロビン濃度が低くても輸血が本質的に必要なわけではないことを証明している。わたしたちの扱ったある患者の場合,100㍉㍑中5㌘にまで下がっていた。
「このことは,輸血を避けようとするこの経験を,患者が輸血に同意している場合を含め,大多数の手術に応用しうることを示している。ただ一つ要求されるのは,注意深く,さらに細心なる手術法である。わたしたちはすべての症例についてこの手法を試みてきたが,わたしたちにとって,輸血はきわめてまれな事例となっている。……
「出血や手術に伴う危険を減らすため,低体温法,血圧低減,コロイド質の血液増量剤など特別の手法が他の人々によって採用されているが,わたしたちはそれらは用いてこなかった。わたしたちが特に意を用いているのは綿密細心なる手術法であり,可能なかぎり一㍉㍑の血液をも失わないようにし,失血に対しては,非コロイド性の単純溶液,つまり乳酸ナトリウムリンゲル液を用いてこれを補った。その結果はきわめて満足すべきものである。
「その上,アレルギー,溶血反応,腎臓の機能閉止,肝炎など全血液輸血に伴う合併症を気にしなくてもよいのはうれしいことである」。
これらの医師たちは,手術前あるいは手術中に失われた血液に代わるものとしてどんな特別の“処方”を用いていますか。彼らはこう語ります。
「これらの患者を扱うわたしたち独自の手法は,血液に代わるものとしてただ乳酸ナトリウムリンゲル液のみを用いることである。それ以外に特別の処方はないが,継続的な失血に対しては,この溶液を失血量の三倍用いることがわたしたちの一般的なやり方である。……
「等張性の糖溶液や食塩水も広く用いられているが,“均衡化した”組成を持つ溶液のほうが勝っている。リンゲル液には,ナトリウムや塩化物のほかに,カリウムやカルシウムも含まれている。もっとも,このカルシウムやカリウムは“生理学的”濃度のものとして含められるのであり,この溶液そのものは,これらのイオンの欠損を補うことを意図してはいない。
「“改良された”リンゲル液は乳酸ナトリウムを含んでいる。従来のリンゲル液には多少の酸性化作用があった。乳酸ナトリウムリンゲルはこの酸性化作用を押え,そのゆえに,静脈投与の非コロイド性溶液として好まれる」。
また,悪性の疾患に伴う胃や腸のてき出など,大規模な腹腔手術も,今では輸血なしでなされる例が多くなっています。
考えさせる質問
こうした多くの成功例を考えるとき,ローエン,ベルセク両博士の次のことばは注目に価します。「多くの場合,医師や病院当局者は,輸血の問題にからんでエホバの証人に対する手術を拒んできた。予期される手術がどれほど大規模なものであっても,これらの人々に対する手術を拒否するのは不当である,とわたしたちは主張する」。
これらの医師たちは,他の所で手術を拒まれたのちセントバルナバ病院を訪ね,そこで輸血をせずに首尾よく手術を終えた証人たちの例を数かぎりなく提出します。世界の他の土地の熟達した外科医により輸血なしでなされた数々の成功例も両博士の結論を裏付けます。
したがって,輸血ができないかぎりエホバの証人に対する手術をしないという態度を今なお取りつづける医師は実際には自分の実情を明かしていることになります。そうした医師たちが誠実な意図をいだいていることは確かですが,人は今次の点を問わざるをえないでしょう。彼らが拒むのはなぜだろうか。尊敬される指導的な外科医が世界のほかの場所,あるいは同じ国や地方や同じ町においてさえ行なっている事がらに通じていないためだろうか。過去の訓練や熟練の結果閉鎖的な考え方に陥り,その分野における最新の歩みに合わせて進歩してゆくことをためらっているのだろうか。あるいはただ,自分の技術に自信を欠いているのだろうか。それとも,宗教的な偏見が妨げとなっているのではないだろうか。
現代の医学知識からする場合,いかなる医師にしても,輸血を望まない人に対してそれを強制することは正当化できません。
付加的な処置
輸血なしの手術のために現在用いられあるいは研究されている手法はこれがすべてではありません。その有効性が実証された別の方法は,患者の血液を,時間が許せば手術前に,そしてまた手術後にできるだけ増強させることです。鉄分,ビタミン類,アミノ酸類など,種々の栄養物を患者に与えます。こうして,たとえ手術中に失血しても,残りの血液が仕事を果たしてゆくことができます。また,栄養物は,失った血液を体自身が補充するのを助けます。実際の手術に伴ってこの付加的な手法を採用しているひとりの医師はこう述べました。「[こうした増強処置に答えて]患者は意外なほど速く回復する」。
別の処方を研究しているのは,米国,ノースウエスタン大学の医学部長ジェームズ・E・エケンホフ博士です。同博士が試みているのは,失血量を減らすため人為的に血圧を低下させることです。この手法は,神経外科や整形外科における,頭部や頸部など,身体上部末端の手術に有効であると言われます。
血液を使用しない別の手術法として凍結手術法と呼ばれるものがあります。これは失血量を減らすために極低温を用いるものです。この手法は,悪性患部の除去その他幾つかの場合に用いられてきました。この方法を研究してきた医師のひとりは,ニューヨーク,セントバルナバ病院のアービー・S・クーパー博士です。
ニューヨークの自然科学者ルイス・バラムスは別の方法を考案しました。彼が考案して新案特許を受けた手術用メスは,一秒間に三万回以上の高速度で震動します。その震動の幅はわずかに1インチの5,000分の1にすぎません。切断される血管はそのまま同時に焼灼され,まさつの熱でその口がふさがれてしまいます。これを用いると,切断した静脈や動脈の口を一つ一つしばる手間が省けると言われます。これは,これまで何年か多くの医師が用いてきた電気焼灼法より勝るものになるかもしれません。
フッ化炭素
まだ実験段階ながら興味深い新研究がもう一つあります。それは体の必要とする酸素の問題と取り組もうとするものです。普通,酸素の供給は赤血球によってなされます。赤血球は肺の中で酸素を取り入れ,酸素を含んだこの血液を心臓が体じゅうに送り出します。体の幾十億という細胞はこうして運ばれる酸素を吸収し,それによってそれぞれが持つ本来の機能を果たします。しかしながら,今日用いられている血漿増量剤は酸素を運ぶ力を持っていません。そのようなわけで,非常に大量の出血があった場合,酸素を運搬する体の能力はひどく損われることになります。
今日行なわれている実験は,酸素を運ぶ能力を持つフッ化炭素を用いるものです。これは有機化合物の一種ですが,その中の水素原子はすべてフッ素原子と置き換えられています。これまでのただ一つの欠陥は,この化合物が体組織内に蓄積し,その影響を予知しえないという点にありました。しかしながら,「サイエンス」誌は新たに工夫されたフッ化炭素について伝えています。それは,実験動物の体内から急速に除去される性質のものです。
しかし,科学者は慎重を期しています。こうした動物実験をそのまま人間に当てはめることはまだできないからです。また,このフッ化炭素が全血液の代用とはとうていなりえないことも認められています。血液の中には,酸素運搬能力を持つ赤血球のほかに幾百という化学物質その他の構成物が含まれています。そのようなわけで,こうした研究が実用化されるかどうかは今後に見るべき問題として残されています。
こうして,ここに取り上げた数々の努力,また他の多くの努力から,輸血を望まない患者の意向を尊重しようとして多くの良い働きのなされていることがわかります。すでに,優れた技術を持つ外科医たちは,血液を使用しないで手術をする方法を工夫し,非常に喜ばしい結果を得ています。この方向でさらに研究がなされるにつれ,いっそうの有益な結果を期待できることになるでしょう。