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目ざめよ! 1974
目74 9/8 22–25ページ

アフリカ統一機構の現状を見る

リベリアの「目ざめよ!」通信員

1963年5月25日のこと,第一回アフリカ首脳会議は失敗に終わるかに思われました。31か国を代表するアフリカの国家指導者たちは,独立国家連合機構を組織する方法について互いに議論を沸騰させました。議論に疲れ果てた末,憲章の草案が各国の首脳部に提出されましたが,結局否決されました。

それにもかかわらず,その日,アジスアベバのアフリカ・ホールに会合した首脳者たちは,さまざまの言語や文化や政治的見解によって分裂しているアフリカの諸国家をなんらかの形で統一させる現実的な連合機構を作ろうと意を決していました。アフリカの有力な政治家たちは,そうした連合機構の設立を目ざしてこれまで長い間働いてきました。

憲章の最初の草案が否決されたため,今度は各国の代表者の間で草案を作成する準備がなされました。話し合いは真夜中過ぎまで行なわれましたが,投票が行なわれると,今回は全員一致で採択されたのです! その劇的な瞬間について,一人の目撃者はこう書きました。「歓声と拍手がわき起こり,ふだんなら懐疑的な態度を示し合う人々が目に涙を浮かべて互いに手を握り合った。OAU[アフリカ統一機構]が誕生したのだ。不信,口論,熱弁,自己分析などはもう終わった」。

解放と一致

新たに誕生したアフリカ統一機構の憲章によると,同機構は,アフリカ大陸から植民地政策を一掃し,アフリカを真に結束させる目的で設立されました。経済協力や第三国の居中調停による和解などを初めとする数多くの条項が関係国の間で承認されました。今や,あの歴史的な書類に署名がなされてから,10年以上の歳月がたちました。憲章中の幾つの条項が同機構によって達成されたでしょうか。

創設後数か月もしないうちに,コンゴで戦闘が再発しました。また他の新しい国々の間では,国境問題に関して激しい議論が戦わされていました。しかし,いわゆる超大国やアラブ世界の国々は,こうした紛争になかなか介入しようとしませんでした。一方アフリカの指導者たちは,抗争し合う両者を話し合いの席に連れ出すために積極的に働きました。結果はどうだったでしょうか。コンゴの第二回めの紛争は,最初のものほどひどくなりませんでした。モロッコとアルジェリアの間には停戦が成立し,ソマリアとエチオピアは話し合いを始めました。最終的に結着を見てはいなくても,武力闘争より話し合いのほうがましですし,アフリカ統一機構自体そう考えています。後に,ギニアとガーナ,コンゴ共和国とザイール,ウガンダとタンザニア,エチオピアとスーダン,そしてガボンと赤道ギニア共和国との間に調停が成立しました。

弱まりつつある活動

しかし,アフリカ統一機構はその後初めの熱意を失ってしまったのではないだろうかと,ある人々はいぶかるようになりました。同機構による調停作業のすべてが成果を収めたとか,そうした調停作業がいつの場合でも迅速に開始されたというわけではありませんでした。たとえば,ナイジェリアの内乱は,戦闘が開始されてから三か月たってはじめて同機構の議題に上りましたし,同機構の調査委員はそれから一か月以上して現地に到着するありさまでした。ウガンダのアジア人問題に対しては何の策も講じられませんでした。また,ブルンジの大虐殺を阻止することもできませんでした。主権国の内政には関与しないという名目のもとに事態を無視しているとの非難がなされ,こうした問題に介入して仲裁を計ることこそアフリカ式の方法であると指摘されました。

ラゴス大学のオグボル・オコンジの記事に関連して,1973年5月号の「アフリカ」誌は,さらに厳しい次のような批評を載せました。

「OAUは紛争を解決する点でなんら重要な役割を果たさない。個々の構成国は機構自体より効果的に働き,時にはOAUが失敗した問題を成功裏に解決したことさえある。OAUは,実際にはなんら努力することなしに解決できるような問題だけを解決しているように思える」。

アフリカ統一機構そのものの構成について,オグボル・オコンジはズデネク・セルベンカのことばを引用してこう語りました。

「OAUの創設以来の歴史は,1963年にアジスアベバで確立された機構が,アフリカ内部の敵対関係をただちに消し去る働きができるほど強力ではなかったことをきわめて明白に示してきた。過去における紛争をはじめとして,現在争われている紛争までが,OAUの憲章を基に紛争の解決を意図して定められた体制が無力であることを明らかにしている……相変わらず,OAUの機構としての権威よりも,個々のアフリカの政治家のほうが大きな力を持っている」。

強制移住をしいられた何十万人にも達する,アフリカの難民問題についてはどうでしょうか。アフリカ統一機構はこれらの難民に対して何かを行なってきたでしょうか。定住地を探がしている人たちを助けるために,同機構の事務局の中に,国際連合との合同委員会が設置されています。ヌゾ・エカンガキはこう言いました。アフリカ統一機構は「難民問題の解決に大きく貢献してきた。……OAUの助けによってアフリカの数多くの国で再び定住の地を見い出し,普通の生活に戻ることのできた難民はかなりの数に上る。またわれわれは,アフリカ内外で教育施設を建てて,学齢期の若い難民とともに働くこともできた。……それゆえ,わたしはこう言うことができる。過去10年以上におよぶわれわれの記録は建設的で励みの多いものであり,われわれは確信を持って将来に臨んでいる」。

経済協力

アフリカは早急な開発を必要としており,アフリカ統一機構には同大陸の開発を押し進めるという大きな仕事が課せられています。これまで,アフリカの国々はもっぱら欧米諸国に経済援助を求めて来ました。しかし今では,フランス語を話す国々でさえ,経済協力や開発援助を欧米諸国以外の国に,それも特に同胞のアフリカの国々に求めています。

経済上のさまざまな地域共同体が作られ,不安定な政情の中にあってさえ,それらはかなりしっかりした働きを続けています。アフリカ航空会社の創設計画やチャド湖とセネガル川の接合事業のように,中には問題にぶつかった計画もありました。アフリカを横断してモンバサからラゴスに至るアフリカ貫通高速道路について,アフリカ統一機構の一スポークスマンはこう言いました。「すべての関係諸国はOAUおよびアフリカ経済委員会と非常によく協力した。われわれは全員,同高速道路が今後数年のうちに実現するものと期待している」。

経済の成長もめざましいものがあります。ナイジェリアの経済成長率は,内戦があったにもかかわらず,過去10年間に5%から12%に上昇し,外国からの借款を予定期日より二か月早く返済できました。ナイジェリアは世界で九番めの産油国ですが,経済面での進歩には農業が大きく貢献しました。

アフリカ統一機構の奨励策が効を奏して,アフリカ諸国内における協力が増し加わっています。アフリカの大学では奨学金が支給されるようになり,資金援助の模範とも言うべき,無利子の貸付もなされてきました。ナイジェリアは,隣国のダホメーに対し,ダホメー国内の道路建設資金としてその種の貸付を行ないました。

農業と医学

アフリカの飢えた人々にさらに多くのよりよい食糧を供給しようと,経験を積んだ何百人もの研究員が,トウモロコシ,アズキモロコシ,キビ,豆類,病害に強い種子などの研究に取り組んでいます。アフリカ統一機構の一スポークスマンは現状をこう説明しました。「西および中央アフリカにおいては,牛疫撲滅運動はほぼ完全に成功した。また東アフリカにおいても,牛疫は今や撲滅されつつある」。

別の医学研究者たちは牛の胸膜肺炎と戦っています。アフリカの海産・鉱物資源の地図も作成されつつあります。昔から使われているアフリカの薬までが熱心に研究され,病気の治療上どんな点に役立つかが調べられています。立案ずみの他の計画の大半は,資金が不足しているためまだ実行に移されていません。痛ましいことに,アフリカの天然資源は豊富であるにもかかわらず,干ばつの被害地域では飢えに苦しむ人々がかろうじて生きています。

目標は達成されたか

アフリカ統一機構が創設された第一の目的は,植民地政策を一掃し,アフリカの国々を結束させることにありました。こうした目標は達成されたでしょうか。同機構の原加盟国は30か国から41か国に増えたにもかかわらず,アフリカ大陸のある地域では,依然として根強い植民地政策がとられています。この点に憤慨したオグボル・オコンジは,同機構を,“いらだちと落胆を感じさせる失敗作”として非難しました。こうした事態に陥った理由の一つは,構成国が,目標を達成するために“わずかな犠牲を払う”ことを惜しんだ点にあります。

昨年のこと,タンザニアのジュリアス・ニエレレはアフリカ人の解放について次のような興味深い意見を述べました。

「アフリカ人の手による国家は,植民地主義者や人種差別主義者がわれわれの兄弟たちを扱うよりもアフリカ人をよく扱っているとは言えない。事実,それより悪い場合が少なくない。……アフリカ人民に対するアフリカ人指導者の悪行が,アフリカ諸国間の協力関係を阻害する真の障害となっていることはまちがいない。……現実に人道主義の原則がふみにじられている。アフリカの国々はそれにしかるべき考慮を払うべきである。しかしそうした人道主義の原則を別にしても,アフリカの独立国において,正義の原則や人間の尊厳が無視されているのであれば,解放闘争なるものは全くのまがいものにすぎなくなる」。

その好例として,党員カードの購入を拒否したためにマラウィのエホバの証人に加えられた,殺人,拷問,強姦,当局者による処罰などを含む,極端に非人道的な取り扱いを挙げることができます。1973年2月22日号の「目ざめよ!」誌に,そうした非道な行為の報告が載せられました。皮肉なことに何万人ものエホバの証人は,アフリカ統一機構からは公式に何の慰めのことばも受けませんでしたが,植民地政策のとられているモザンビークに安全な避難場所を見い出しました。

イアン・スミスがローデシアに少数者の政権を作るなら英国との外交関係を断絶するという脅しを実行に移さなかったため,同機構が創設されてから10年を経ずしてすでに失意を感じるようになった人は少なくありません。ジュリアス・ニエレレは,アフリカ諸国よりもフランスと英国のほうがアフリカ統一機構に対して大きな力を持っている,と語りました。また,オグボル・オコンジはこう嘆きました。「ローデシア危機のさいにOAUが行なったことは,犠牲が求められるような状況下で演じられる,頭隠して尻隠さず的ないわゆるダチョウのゲームを表わすものだとして,長々と語られてきた」。

同機構の憲章を“強化する”より強力な決議案が提出されても,成員国はそれに賛成の投票をせず,「各構成国が真の一致を望んでいることを示すどんなしるしも見られない」とも,オコンジは不満を表明しました。それだけでなく,アフリカの指導者たちに対しては,かえって種族間の緊張をあおっているとの非難がなされました。また,資力に乏しく,政情も不安定な弱小独立国はアフリカ全体にとって益とはならないため,より強力な国家と進んで提携し,強大なアフリカ人国家を築き上げるべきであるとする論議もなされました。

ジョン・P・モライスは,「OAUが,若い世代のアフリカ青年からアフリカ大陸の現実の問題とは何のかかわりも持ってこなかったものとみなされ,アジスアベバが,骨抜きにされた議案やぜいたくな宴会や空約束と関連づけられるようになっている」と書いて,アフリカ統一機構の最初の10年間の歩みを振り返ることが緊急に必要である点を指摘しました。さまざまな分野において,植民地主義の排除と団結という目標を達成するためのより現実的な手段を講じるようにとの抗議が,今やアフリカ統一機構に対して公然と叫ばれています。

アフリカ人の強固な意志

本質的な弱さを備えているとは言え,過去を振り返ってみると,同機構がこれまでに外交上の分野でも功績を挙げたことが明らかになります。各国の代表者や国連の代表団を通して,「同機構は,国際外交上まれに見る,訴願や決議の弾幕を張り」,国際的な力を維持しました。国境紛争を初めとする他の幾つかの紛争の解決を計るために同機構が払った努力は,アメリカの政府当局者から大いに称賛されました。事実,米国国務省の一当局者は,「これほどみごとな成果を上げた地域的機構は他にない」と語りました。

ですから,アフリカ統一機構の真の姿を注意深く調べると,そこには成功と失敗,進歩と本旨から逸脱した行為がそれぞれ見うけられることがわかります。しかし,異なった政治支配体制,さまざまの種族,共通の言語・宗教・文化がないこと,不明確な国境線,多くの場合になんらかの欠陥をかかえている経済事情など,山と積まれた難しい問題について考えると,アフリカ統一機構がこれまで10年以上にわたって,解体されることなく存続しているという事実は,アフリカ人の強固な意志を反映しています。

アフリカ統一機構は道を譲らなければならない

アフリカ統一機構のもくろみの多くがすぐれたものであるとはいえ,同機構は,メシアの王国のもとで初めて遂げられる事がらを成し行なうことはできません。そしてもちろんこのことは,国際連合その他の人間の機関についても言えます。一陣営として歩調をそろえた行動を取るアフリカ統一機構の成員国は,世界の平和と安全のよりどころとして自らの望みを託している国際連合機構内部で強力な発言力を持っています。聖書の預言は,この政治国家集団内の力を持つ勢力が象徴的な大娼婦,つまり偽りの宗教の世界帝国である大いなるバビロンに襲いかかり,「彼女を火で焼きつくす」であろうと告げています。―啓示 17:16。

この攻撃は,予告された「大患難」,つまり神のみ手によって震われる大「地震」を引き起こします。そしてこの「地震」によって,「山々」として表わされている人間の強力な組織は滅ぼし崩され,消えてなくなります。アフリカ統一機構とて,この大変動を切り抜けられると期待することはできません。同機構は,イエス・キリストによる王国の支配に道を譲らなければなりません。―マタイ 24:21。啓示 16:18-20。ダニエル 2:44。

解放? そうです,圧政的な政治体制からの解放だけでなく,病気や死,そして墓自体からの解放までがもたらされるのです。一致? そうです,王国の支配のもたらす祝福のもとに入るべく,人々は神に従って一致して歩むのです。しかも,そのかたの『道は愛です』。これこそ,すべてのアフリカ人と他の人類の間近な将来に置かれた真の希望なのです。―啓示 21:3,4; 20:13。ヨハネ第一 4:8。

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