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目ざめよ! 1974
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衰えゆくイエズス会

イエズス会のことがニュースに載るのは特に目新しいことではありません。イエズス会は永年の間,『第一軍団』とか『教会の先兵』とか呼ばれてきました。しかし,ローマ・カトリック教会の幾つもの修道会の中で特に強力で,多くの部外者からも非常な関心を集めてきたイエズス会は,今や異なった見出しのもとでニュースとなりつつあります。

今日では,イエズス会士の中にさえ,同修道会が消滅するのではないかとの懸念を表明する人が少なからずいます。いったい何が原因でそのように感じるのでしょうか。

その一つは,イエズス会士の数が減っているからです。1966年には,全世界で3万5,000人を超すイエズス会の助修士,修学修士,司祭がいましたが,現在では3万1,000人ほどにすぎません。その会をやめた人の中には,イエズス会の高位者もいます。しかもあらゆる徴候からすると,会士の数は今後も急速に減少していくものと思われます。事実,米国イエズス会は,神学生の不足から,五つある同会の神学校を最近になって三つに減らしました。

イエズス会の歴史を振り返る

イエズス会は1540年にイグナチウス・ロヨラによって創立されました。創立当初から,同会は数々の修道会の中でも特異な存在でした。それ以前の修道会ではおおむね,祈りとめい想を中心にした修道院生活に重きが置かれていました。しかし,イグナチウスの会はきわめて行動的なものとなるはずでした。こうして同会は,教皇が考えるどんな特別な業をも行なうべく教皇に対して特別にささげられた最初の修道会となりました。ですからイエズス会士は,清貧と貞潔を誓うだけでなく,教皇に対する従順を特に強く誓います。イグナチウスは,外国での務めを行なうにあたり,ほかにも必要な点があることを知っていました。それは融通を働かせることでした。

イエズス会士は世界じゅうに出かけて行き,どんな仕事でも行なうことになっていました。彼らは,自分たちの仕事が『司祭の務め』だけに限られてはいないと考えていました。そして種々の状況に適応するため,他の修道会の修道士が着る特徴のある服をめったに着なくなりました。時たつうちに,イエズス会士の姿は,商業,芸術,社会事業など数多くの職種に見られるようになりました。しかし彼らは,特に二つの分野で広く知られました。

アジア,アフリカ,および南北アメリカにおけるイエズス会士の宣教活動は,ほとんど伝説化されるまでになっています。別の点は,彼らが知識人また教育者として知られていることです。イエズス会を批判する人たちでさえ,同会の施す教育が好ましいものであることは認めてきました。

イエズス会士が何かをする場合,それがなんであろうと,彼らはたいていそれを非常に巧みに行ないました。興味深いことに,こうした成功が数多くの問題をも作り出したのです。どのようにですか。

成功が問題を作り出す

多くの新教徒にとって,イエズス会士の姿は,陰険な仕方で成果を収める,ローマのきわめて強力な手先としか映りませんでした。新教徒の宗教改革に対抗することが,同会創設の目的の一つであった点は否めません。自らもイエズス会士であった故ジョセフ・デ・ギーバートはこう語りました。「イグナチウスが新教に対する恐れをいだいていたことには疑問の余地がない。イグナチウスは,新教をまねたり,それに好意を示したりするどんな傾向にも断固反対した」。

イエズス会士の評判が増すにつれて,同会に対する風当たりも強くなりました。独裁者や共産主義者が政権を握ると,イエズス会士は,バチカン市と強い結び付きがあると見られることもあって,多くの場合最初に弾圧を受けます。しかし,特にここ何十年かの間,個々のイエズス会士は概してかなり自由に,またバチカンからもある程度独立して活動してきました。

イエズス会士の成し遂げた業績は,時にはカトリック教会内部にさえ敵を作り出しました。反対の圧力が非常に強くなったため,同会は1773年から1814年までの間,教皇によって禁じられたほどでした。こうした激しい憎しみが同じ教会の内部から燃え上がったのはなぜですか。おもにそれはねたみによります。「神のより偉大な栄光のために」という彼らのモットーは,神に献じられた他の修道会より多くのことを行なおうとするものでした。こうした精神は,“朋友”の間においても,常に快く受け入れられるというわけではなかったのです。

ですから,反対や問題はイエズス会にとってなんら新しいことではありません。しかし,イエズス会士や,同会の関係する数多くの仕事に関心を持つ人々は,この点について特別の洞察力を働かせることが必要です。現在の問題を,数百年来続いてきた幾つもの問題のただの一面として軽くあしらうことは比較的容易です。しかし,そうした態度は危険であるとも言えます。なぜでしょうか。なぜなら,同修道会が今日直面している事態は,過去のものとは現実に異なっているからです。

今日の異なった事態

今日では,イエズス会士同志が強力な政治上の対抗者として互いに争い合っています。例えば,二人のイエズス会士がアメリカ政府の要職に就いていますが,その一人ジョン・マクローリン博士は,もう一人のイエズス会士ロバート・F・ドリナン下院議員を,「サンヘドリンがキリストに対して取った態度のように……人の考えに容易に動かされ」,「公正を曲げている」と非難しています。

1960年代全般および1970年代の初めに行なわれた市民権運動の幾つかがきっかけとなって,イエズス会士の間に分裂のくさびが打ち込まれました。例えば,イエズス会士ダン・ベリガンが米政府高官の誘拐を企てたかどで訴えられた後,ニューヨーク・タイムズ紙の報道によると,同修道会の『何人かの年長者たちは怒って,ベリガンを同会から追放すべきであると勧告しましたが,……ベリガンを支持する若手の司祭たちは,そのような訴えは正しいはずがないと声を大にして主張し』ました。同様に,フィリピンでも,政治上の問題でイエズス会士の間に現在分裂が生じています。

また,道徳の問題についても意見が分かれています。イエズス会士ジョン・マクネイルは,同性愛を公然と是認し,同性愛者どうしのいわゆる“結婚式”を容認してさえいます。こうした見解は,保守的な考えを持つ人々の頭痛の種となっています。

同修道会に見られるそうした分裂について,「説教と牧会評論」誌の編集長でもあるイエズス会士ケネス・ベーカーはこう述べています。「10年前には,仲間のイエズス会士に会うなら,それが自分の兄弟であり,経験や考えにおいて自分と同じであることがわかった。しかし今日,初対面のイエズス会士に会うなら,相手が雄か雌かを見きわめようとして求愛のダンスをするカニのようにふるまわなければならない」。

このようにいろいろな事情が普通では考えられないほど複雑に絡み合っているだけでなく,今や別の事実が加わっています。過去においては,イエズス会が問題をかかえていた時でも,カトリック教会自体は強くしっかりしていました。しかし今,同教会の機構全体が問題をかかえています。イエズス会の最も著名な学者のひとりジョン・L・マッケンジーは,カトリック教会の教階制はその力を失っており,「おびえきっている」と語っています。これまでになく多くのイエズス会士が,自ら仕えることを誓った教会に厳しい批判を浴びせています。

ですから,今日見られる,同修道会衰退の傾向を,過去に見られた問題と同種のものとして軽くあしらうのは賢明ですか。決してそうではありません。しかし,カトリック教会全体が直面している一般的な問題を別にして,イエズス会が衰退している根底には,実際にどんなことがあるのでしょうか。

問題の根源

いわゆる『イエズス会士の特徴』が急速になくなりつつあります。どのようにですか。

例えば,イエズス会士は,キリストか弟子たちについて語った,『世にはいるが,世のものではない』ということばに従うはずでした。(ヨハネ 17:11-16)これは彼らにとって少なからぬ挑戦となります。しかし,イエズス会の司祭であろうと努めながら,世の事がらに努力を傾けるなら,司祭の務めが第二義的にされる恐れが付きまといます。もし司祭の務めが第二義的になれば,イエズス会士と,同じ職種に就いている一般の信徒との間になんの相違があるでしょうか。何もありません。しかし,そうしたことが現実に起きていますか。同じ教会の人はそう考えているように見えます。

例えば,カトリックの雑誌コモンウィールは,ジョージ・リーマーが1971年に著わした「新しいイエズス会士」という本の評論を載せました。その本は,各分野で活躍しているイエズス会所属の知識人に対する11の興味深いインタビューから成っています。評論家ジョン・ル・ヒュールークスはその本をどう論評したでしょうか。こう書かれています。

「彼らがなぜ司祭であるのか,またなぜイエズス会士であるのかを示す個所は……同書のどこにも見当たらない。ただし書付きの司祭(彫刻家司祭,弁護士司祭,政治家司祭)の話すべてに共通して感じたのは,肩書きの最後の部分はどうなっているかという点である。司祭であることは,アイルランド人であるとか,白人であるとか,太っているとかいうように,単に自分がどんなものであるかを示すものにすぎないのだろうか。イエズス会士であることは,特権的な紳士クラブに属しているようなものなのだろうか。司祭職や修道会はその当人を他の人となんら異ならせないのだろうか」。

この評論家の問いが道理にかなったものであることをだれが否定できるでしょうか。前述のことばは,イエズス会士が単に世にあるだけでなく,実際には世の機能的な部分となっていることを示していないでしょうか。

イエズス会士は,山上の垂訓の中で語られたイエスのことばを忘れてはいないでしょう。イエスは追随者にこう言われました。「あなたたちは,地の塩である。塩がその味を失ってしまったら,何で塩の味をつけられようか。もう役にたたず,外にすてられて,人にふまれるばかりである」― マタイ 5:13,バルバロ訳。

実質的には世となんら異なっていないイエズス会士は,率直に言って,塩のように,地を道徳的腐敗から守る真の手段となることがどうしてできるでしょうか。それは不可能です。イエスの前述のことばに対しては特別の考慮を払うべきです。なぜなら,「人にふまれる」ような組織の一部でありたいと思う人はいないからです。

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