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目ざめよ! 1974
目74 11/8 26–27ページ

聖書はそれをどう見ていますか

神は人工授精を容認されますか

記録にとどめられている,人間への最初の人工授精は,1799年の昔にさかのぼります。そのときは,ロンドンの内科医ジョン・ハンターが,この方法により,ある婦人を彼女の夫の精液を用いて妊娠させました。人工授精が比較的に一般化し,その結果としての赤ちゃんが毎年幾千人も生まれるようになったのはつい最近のことです。夫婦が人工授精に訴えるのはたいてい夫が不妊で,精液供給者がいつまでも不明のままにされる場合です。

幾世紀もの間人々は,夫がもうけたものでない子どもの母親となる女を姦婦とみなし,その子どもを私生児と考えてきました。ある裁判所は匿名の供給者人工授精について,これと同様の立場を取ってきました。しかし意見はまちまちです。いくつかの宗教団体はそのような方法で妊娠させることに反対ですが,他の団体はそれに賛成です。

『人のみずから見て正しとする途にしてその終わりはついに死にいたる途となるものあり』と聖書は述べています。(箴 14:12)この点を考慮し,また人間の考えはしばしばまちがっているので,人工授精は神に容認されるものだろうか,神のことばである聖書はなんと言っているか,という疑問が当然起こってくるでしょう。

人工授精は幾年もの間家畜の繁殖手段として行なわれてきました。神は,そのような動物を支配する権利を人間に与え,食物にしたり,衣服を作ったりするのに用いることを許されました。(創世 1:28; 3:21; 9:2-4)モーセの律法は異類の動物を相互交配させることを禁じていますが,それ以外には,動物の繁殖を調節すべく人間が行なうことに制限を加えてはいません。(レビ 19:19)それで一部のクリスチャンは,聖書は動物に人工授精を行なうことを禁じていないと考えています。

しかし,匿名の供給者の精液を用いて人間に対し人工授精を施すことはどうでしょうか。これは全く別の問題です。人工授精は少なくともさまざまな問題を生み出す恐れがあります。例をあげてみますと,その結果生まれた子どもは,子どもをもうける能力が夫にないことを絶えず思い出させて苦しめるものとなるかもしれません。夫と子どもとの関係,あるいは夫と妻との関係にさえ,ある望ましい要素が欠けてしまうかもしれません。夫の中には,未知の供給者を「気が狂ったようにしっとする」者もいます。また好奇心の強い妻たちは,子どもの父親を知ろうとして病院の記録を盗み出しました。親がわからないということは,子どもにも種々の感情的な問題を背負わすかもしれません。さらに母親と養父は,その子を実子であるかのように見せかけて『虚偽の生活をする』ことに良心の責めを感じるかもしれません。―詩 40:4。

ごくまれであることは確かですが,もう一つ重大な可能性が存在します。匿名の供給者は女性と近い親せき関係にあるかもしれません。そうなると生まれた子どもは,血族関係のゆえに生ずる身体障害や知能障害に悩む恐れがあります。これと似たことですが,何年か前に次のようなことがありました。ある医師は,ふたりの若い男女が結婚を計画しているのを知って大きなショックを受けました。なぜですか。なぜなら,そのふたりが異母兄弟姉妹であることを知っていた生存者はその医師だけだったからです。彼はふたりの母親たちを,同じ供給者の精液を用いて妊娠させたのです。―レビ記 18:9とくらべてください。

古代イスラエルの国民は,人工授精など当時は行なわれなかったので,匿名の供給者の精液を用いて行なわれる人間の人工授精の問題には直面しなくてすみました。しかし彼らの中の信仰深い人びとは,それを完全に避けたでしょう。というのは神が次のように命じておられたからです。『なんじの隣の妻と交合して彼によりて己が身を汚すなかれ』。違反に対する罰は死でした。(レビ 18:20,29)既婚の婦人が,夫以外の供給者の精液を用いる人工授精を受けるなら,その婦人は姦淫を犯し,神に対して罪を犯したことになります。(申命 5:18)姦淫をする者が神の王国を受け継がないこと,そして「神は淫行の者や姦淫を行なう者」に対して不利な裁きを行なわれると警告されていることを,クリスチャンは知っています。―コリント第一 6:9,10。ヘブライ 13:4。

匿名の供給者授精は神に容認されないのですから,もしクリスチャンの夫婦がそれを行なうなら,現代のエホバの民の会衆から排斥される立場に立つことになります。(レビ 20:10とくらべてください)結局,賛成した夫は自分の妻を事実上他の男に与えたのであり,妻は,結婚して神により結ばれたのでない男によって子どもの母親となるために,自分をその人に与えたのです。(マタイ 19:4-6)直接の肉体の接触がなかったから,そして賛成した夫が子どもを養子にするからといって,姦淫の行ないを無視するわけにはいきません。―コリント第一 5:1-13。

子どもの生まれないクリスチャンの夫婦のなかには,夫の精液を人工的に妻に注入するなら問題は解決するかもしれないと言われた人たちがいます。もし夫と妻の意見がそれを行なうことに完全に一致するなら,それは個人的な問題です。神のことばはそれについては何も述べておらず,生まれてくる子どもはふたりの実子であって姦淫の子ではないからです。しかしふたりは,精液をとる適正な方法についての個人的な問題をすべて解決しなければならないでしょう。同様に,もしこの方法を用いた結果として,医学上の,あるいは心理的なむずかしい問題が生じたとしても,みな自分で責任を取らねばなりません。

クリスチャンの夫婦が子どもを養子にするかどうかも,彼らが決めなければならない問題です。自分の子どもが持てないことにふたりがひどく失望していることは事実でしょう。しかし,たとえ子どもがいなくても,聖霊を求め,平和や喜びなどの特質を培うための助けをエホバに求める熱心な祈りは,必ず聞きとどけられるでしょう。―ルカ 11:13。ガラテア 5:22,23。

子どもがいなくても,神への奉仕に真の幸福を見いだした夫婦は少なくありません。古代のイスラエルにおいては大家族は普通で,うまずめはたいへん悲しい思いをしました。それでもエフタの娘は一生独身で,したがって子どもを持たずに通し,父親が神に立てた誓願を果たしました。このために彼女は絶えずゆううつな,みじめな気持ちをいだいていたでしょうか。そうではありません。なぜなら,エホバが,幕屋で奉仕する喜びを彼女にお与えになったからです。(士師 11:30-40)またこの「終わりの日」にあっては,子どもがないことは,神の王国の関心事を追求するためのより大きな自由を与える境遇であるとみる人も少なくありません。

欲しいのに子どもをもうけることができないクリスチャンの夫は,イザヤ書 56章3節から7節のエホバの保証のことばから慰めを得ることができます。そのような状況のもとでは,クリスチャンの夫婦は両方とも,神に忠実であるかぎり,人生における最大の喜び,すなわち神の是認を得るという喜びを享受することは確実です。

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