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目ざめよ! 1975
目75 2/22 15–16ページ

資金集めのために教会が賭博に頼る時

「ブルックリンのユダヤ教会堂で10人を賭博容疑で逮捕」。これは1974年8月12日付ニューヨーク・タイムズ紙の見出しです。そこにはかなりの群衆,250人から300人の常連がいましたが,警察は,種々の賭博の担当者と思われる者たちだけを逮捕しました。同会堂のスポークスマンはこう述べました。「我々はこの手入れの理由を理解できない。我々は他の多くの教会や会堂でなされていないことは何もしていない。なぜ警察は我々を特に選んだのか」。

しかし,ある警察当局者によると,宗教諸組織は,その種の賭博事業をやめないなら「警察が踏み込んで,それを取り締る」との警告を受けていました。それで,この手入れは,“ラスベガスの夜”として知られ,たいてい午後8時から午前6時まで行なわれる手の込んだ賭博行為に対する警察の厳重取締りの現われでした。警察当局は教会が不法賭博行為を行なうのを大目に見てきましたが,昨年の3月以来組織暴力団員がそうした行為を運営していることに疑いを深めるようになりました。8月になって,警察がもはや無視できない証拠が挙がりました。8月4日の早朝,ブルックリンのあるユダヤ教会堂の地下室に,悪名高い暗黒街の人物とされるスティブン・シリロが立っていました。彼のそこにいた目的が,賭博事業を監督するためであったか,ただそれを見ていただけかははっきりしません。突然のこと,銃を持った男が彼の頭を撃ち抜いて即死させました。後に警察は拳銃と猟銃の双方を,会堂に隣接した遊園地の茂みの中から発見しました。

その場は賭博をする人々で満ちていましたが,殺人を目撃すると,一人の男と,殺された男の妻を残して,すべてが逃げ去りました。その後警察は,殺人者の特徴をつかもうとして50人の常連から事情を聞きました。被害者は,自動車泥棒から殺人に至るまでの犯罪を犯して七度の逮捕歴があり,同市に暗躍する犯罪組織の一つに属していた者と伝えられました。

この殺人事件の背後には何がありましたか。警察の推測によると,それは抗争相手による処刑でした。そうしたギャングの抗争によってそのころ数多くの殺人や殺人未遂事件が起きていました。教会やユダヤ教会堂が控えめな賭博事業を始めた時,警察はそれを見過ごせると考えましたが,暗黒街の人物によって運営される“ラスベガスの夜”のような手の込んだ賭博行為を主催するとなると話は違ってきます。警察当局は,その賭博事業の運営のために雇い入れる人物の「背後に何があるかに全く注意しようとしない金に飢えた」宗教組織に対し苦情を持つようになりました。その結果,「同市内の各警察管区の司令官は僧職者たちと連絡を取り……各教区や会堂広間での“ラスベガスの夜”を中止するようにと警告」しました。8月11日に手入れを受けた会堂は,明らかにそうした警告に従っていませんでした。

諸教会やユダヤ教会堂がそうした賭博行為を主催するのはなぜですか。ユダヤ教センターの会長はこう述べています。「我々にとってそれは破産するかしないかの違いとなる」。別の団体のスポークスマンは次のように述べました。「率直になろう。上がりの良い日には1,500㌦から2,000㌦(45万円から60万円)もうかる。それによってタルムッドの教え,若者たちのためのダンスパーティー,子どもたちのためのいろいろな活動などがまかなえる」。また,ユダヤ人社会の別の団体のスポークスマンはこう述べています。「我々は近隣の他の宗教団体がどうするかを調べなければならない。警察当局がそれを許している限り,我々はそれを営み続けるであろう。それは資金集めに欠かせない手段である。しかし警察が賭博を禁ずるというのであれば,我々はそれに従う」。明らかに,ある人々はそれに従うのが遅すぎました。

しかし,そうした賭博活動が,宗教組織と社会の最悪の犯罪分子とを結び付けているのであれば,どうしてそれを正当化できるでしょうか。確かに賭博は奇妙な取合せを作り出しています! ニューヨーク・タイムズ紙(1974年8月14日付)の社説は次のように述べました。「警察だけではそれを行ないきれない。暴徒を神殿から追い出すことはそれぞれの宗教組織にかかっている」。そうした宗教組織の歩みは,3,000年ほど前,その当時存在していた宗教グループに対して語られた非難のことばを思い出させます。「あなたは盗びとを見ればこれとむつみ,姦淫を行う者と交わる」― 詩 50:18,口。

しかし,たとえ宗教組織が社会の犯罪分子との関係に巻き込まれないとしても,資金集めのためにそうした手段に頼ることを正当化できますか。ある新聞報道によると,警察当局は,宗教的に運営されているそうした賭博のゲームで「お金をすってしまった人の配偶者から多くの苦情」を受けています。宗教組織であれば,賭博によって夫婦がさらに多くの問題を持つようにするのではなく,結婚した人々が夫婦の問題を解決することを助けているはずではありませんか。

さらに,賭博が惑溺性のもので“熱病”となり,賭博の借金を返すための犯罪,家庭の崩壊,さらには自殺をさえ引き起こすことはよく知られた事実です。賭博によって労せずに何かを得ようとしたり,少しのもので多くのものを得ようとしたりすることの愚かさは,賭博の権威者ジョン・スカーンの本,「女性のための賭博の手引き」の中で強力に述べられています。「娯楽,退屈しのぎ,あるいは余っている現金を浪費するため以外で“片腕の追いはぎ”……[スロット・マシン]などに手を出す女性は,頭を調べてもらう必要がある」。

教会によって主催される賭博が特に貧しい人々による賭博と結び付くために,不道徳なものであることを強調しているのは,フィラデルフィア市の一ローマ・カトリック司祭が仲間の僧職者にかつて書き送った手紙です。その手紙は同市のイブニング・ブルティン紙に掲載されました。「教会によって組織された市の中心部での賭博行為は,貧しい人々に福音を宣明する我々の任務に逆行するものである。最悪の場合,それは,反キリスト,つまりイエスが警告した,羊の衣を着たおおかみの一面を持つことになりかねない。

「[それによって]我々は,人の持つ人間的な弱みや財政的弱点につけ込んで,貧しい人々を貧しいままにしておくことに満足している教会であることをさらけ出している。我々のビンゴ競技,五分五分抽選,自動車や海浜別荘が当たる富くじなどは現実と離れた教科書の中に存在しているのではなく,市民の精神生活を低下させる寄生虫のような仕組みの一部となっている……我々は,自分の子どもたちに法を守ることを教えておきながら,自らの不法な事業によって子どもの心に衝撃を与えている。そのある者が賭博への渇望[つまり“賭博熱”]に初めて感染するのは,子どものために我々が開くバザーにおいてである……貧しい人々が賭博に手を出すというだけで悪いニュースである。我々はそれを主催しているが,それは,残酷な欺きに正当化のバプテスマを施し,自分の利益のために悪を大目に見ることである」。賭博のそうした作用は確かに貧しい人々に対する残酷な欺きです。

エホバの証人がその崇拝の場所を維持してゆくためにも費用がかかります。しかし彼らは,賭博を主催したり,バザーを開いたり,寄付盆を回したり,税を課したりはしません。寄付はすべて自発的になされるのであり,請い求められるのではありません。どうしてそれが可能になるのですか。エホバの証人たちの集会に出席して,ご自分でそれを確かめてください。

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