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目ざめよ! 1975
目75 5/8 9–13ページ

なぜ修道女は去るか

修道院を去る修道女はいつも少なからずいました。しかし今日のような何万という修道女の離脱は,数においても,それが及ぼす破滅的な影響においても,いままでに例を見ないものです。なぜこんなにも多くの修道女が修道院を去るのでしょうか。

これにはいくつかの要素が関係しています。しかしおもな原因は,カトリック教会そのものの構造と運営に関係があります。以前修道女であったメルデス・アロンソは次のように言いました。「献身した女性が毎日のように修道院を去っており,その数は着実に増加していますが,そのことが危機をつくり出しているのではなく,むしろ危機の存在を明らかにしているのです」。

教会のどんな状態にいたたまれなくなって多数の修道女が脱会したのでしょうか。

脱会のおもな理由

修道女たちは特に,無意味な伝統,無意味な規制と彼女たちが考えている事柄に異議を唱えます。一つの例は,修道女たちの結婚を禁ずる規則です。

独身の規則は,幾世紀も昔に教会の支配者たちによって課されたものです。それが聖書に基づいていないことは認められています。事実,法王ヨハネス23世は,「教会の独身制は教理ではない。聖書はこれを課してはいない。変更することすら容易である」と言いました。

幾千人もの修道女と司祭は,そのような変更がなされるよう懸命に訴えてきました。なかには聖書を権威として引用した司祭もいました。例えばカトリックの神学者ハンス・クンは,「ペテロや他の使徒たちは,完全にイエスの弟子になっていた時でさえ結婚していたし,その状態を保っていた。以後それは幾世紀もの間,共同体の指導者たちが従う型となっていた」。(マタイ 8:14。コリント第一 9:5)それでも教会は独身制の変更を拒否してきました。

それで多くの修道女は,人間製の規則に従うことを不当に強制されていると感じ,教会を去りました。カトリック教会との関係を一切断ってしまった修道女たちもいます。聖書の次の警告を発見したことが彼女たちに決意を固めさせたことは疑いありません。「しかし霊は,のちの時にある人々が信仰を遠ざかり,まどわしの霊と悪魔の教えとにつくであろうと,明らかにおおせられている。かれらは……婚姻を禁じ(る)」― テモテ第一 4:1-3,バルバロ訳。

拘束的な規定

しかし独身制は,修道女たちが圧力を感じている多くの教会法の一つにすぎません。修道女が着なければならない修道服,つまり制服の型を指示する規定も,修道女たちをいらだたせる原因です。修道服は不似合で,とくに暑い気候の時には着ごこちがよくないと多くの修道女は考えました。

また,頭髪を短く切って凝ったかぶり物をつけることなど,不必要な謙そんだと考えた修道女も少なくありません。「わたしは修道女として過ごした間ずっと,髪がないことに慣れることはどうしてもできませんでした。白布を取る時には,どうしても必要でないかぎり,鏡を見ないようにしました」とある元修道女は話しました。

それから懲戒に関する規定があります。18年あまり修道生活を送ったミッジ・タークは,1971年に出版した自伝「埋もれた生活」の中で,「懲戒の道具は30センチのむちでした。これは板すだれに使う細引きを編んで作った棒状のもので,先端が結びこぶのある4本のひもに,花のような形に分かれています。規則書によると,水曜日と金曜日の午後の決められた時間に,だれも見ていないところで,背中と足とでん部だけをこのむちで打つことになっていました」と説明しています。しかし,このように「体を厳しく扱うこと」には聖書の裏付けがないばかりでなく,品位を傷つけ,中世的であると考える人も少なくありません。―コロサイ 2:20-23。

こうしたことに加えて,沈黙の時間を強制する規則,祈りや黙想の時間を規定する規則などがあります。修道女たちは,この数かぎりない,そしてその多くは不当でばかげたものである規定のためにざせつ感を感じます。レオ枢機卿スエネンスでさえ,1963年に出版された自著「世界の修道女」の中で,修道女たちが,彼女たちの潜在能力や効果をあげる能力をむだにしてしまう時代遅れの規則の囚人となっている場合が多いことを認めています。

ニューヨークのブルックリンにある女子修道院に17年以上いたある修道女は次のように語りました。「わたしたちは,許しを得ないかぎり同輩の修道女に話しかけることさえ禁じられていました。実際,聖則には,触れ合うような簡単なしぐさも禁じられていることが記されています。この規則は,中世の宗教共同体の中ではびこっていた同性愛行為に対する非難への行き過ぎた反応でした」。

過去10年間に,以上の規定の一部に変更が加えられたことは事実です。しかしその変化もたやすく生じたわけではありません。長期にわたり,教会当局に対する苦しい闘争が続けられたのです。そして,修道女共同体の解体を阻止するにはこれ以外に方法がないと思われた時にのみ改革が許可されるという状態でした。したがって,改革をめざして立ち上がるたびにざせつ感を感じさせられるので,多数の修道女が修道院を去りました。

一例をあげますと,1970年に,カリフォルニア州のロサンゼルスでこのことが生じました。聖母マリア聖心修道女会の修道女380人のうち約315人が一緒に修道院を去りました。彼女たちを引き連れて出たのは,前からマザー・ヒュミリアタという宗教的名称を返上していた院長のアニタ・カスパリーでした。

しかし,修道女たちを去らしめた原因は,時代遅れの規則や改革の試みのざせつばかりではありません。一番大きな要素はおそらく,修道院内部の風土そのものでしょう。

態度と振舞い

修道女たちは,修道院の中に暖かさと親しさが欠けていることをしばしば指摘します。それがいやで修道院を出る決意をした人も少なくありません。沈黙をしいたり,自由な討論やお互いに相手に触れることさえ禁じたりする規則が,修道院内を冷たい形式ばったふんいきにすることは容易に想像できます。

人間的な感情が欠けているということもしばしば指摘されます。「正常で健康的な交友さえも妨害され,それが疑惑の目で見られることすらあります」と,以前修道女だったある人は説明しました。また別の元修道女は,「わたしは親密さ,つまり密接な結びつきを持つ大家族の一員としてしか味わえないあの緊密さがないのをさびしく思いました」と言いました。

さらに修道女たちは,教会内に,他の人の福祉に対する純粋の関心がないことに気づきました。修道女として管理職にまで昇進したミッジ・タークは,次のように不満を述べました。「管区の職員との会合の時に,わたしが一緒に働いていた人間の価値の問題が取り上げられたことは一度もありませんでした」。カトリック教徒のある編集者は,この種の態度のことを考えながら,修道女たちは「彼女らの共同体がクリスチャン的生活の助けになるよりもむしろ妨げになるので,修道生活を離れつつあるのだ」と書いたにちがいありません。

また多くの修道女は,独創的な考えや新しい案などがことごとく押しつぶされてしまうので,息苦しさを感じて去ります。アメリカで全国的に知られている教育者,ジャッケライン・グレンナンは,「従順の誓願のもとで……わたしは自分が責任ある生産的な人間として生きることができないことに気づくようになった」と言って,1967年に修道会を捨てました。

また修道女たちはしばしば自分たちが子ども扱いにされているように感じます。実際に彼女たちは,ほとんどあらゆる決定,あらゆる行動を指示されます。そうなる原因の一つは,カトリック教会の構造にあります。たとえば修道院長は,修道女の生活を左右する大きな権力が与えられているので,自分が特別に偉い人物のように思いがちです。アルゼンチンとチリの修道院で7年間過ごしたのち修道院を出たある女性は,次のように語りました。

「修道院長は絶対服従を要求しました。彼女たちによると,彼女たちをその地位につけたのは神であるから,すべての修道女は彼女たちに全面的に服従しなければならないということでしたから,それは偶像崇拝に近いものでした。……彼女たちが要求した服従は,有無を言わずに彼女たちの前にひざまずかねばならないほど極端なものでした。

四半世紀を修道団の組織に費やしてきたカトリック司祭ルーク・デラネーは,アイルランドの修道院から多数の修道女が出て行った原因が修道院長のそのような態度にあったことを指摘し,次のように言いました。

「一部の修道院長はラバのようにがんこであり,保守的であることを自慢にしている。……彼女たちは制限方策を取る。……近ごろの若い女性は,修道院内の女の独裁に忍従するようなことはしない。さっさと出て行ってしまう」。

しかし,独身制,拘束的な規定,愛の欠けた強権的な態度などは幾時代も存在していたことを指摘する向きもあるでしょう。「それなのになぜいま,ここ10年ほどのうちに修道女たちの劇的な出修道院が生じたのか」と,人々は尋ねるかもしれません。

現在の大量離脱の理由

とくに大きな原因となっているのは,1962年から1965年にかけて開かれた,改革の努力の見られた第二バチカン公会議です。法王ヨハネス23世が指摘したところによると,同会議の目的は,「教会にある程度の新風を吹き込むこと」にありました。したがって修道会員は,自分の使命をよく吟味し,自分自身で考えることを事実上勧められました。それはどんな結果を生んだでしょうか。

ニューヨーク,ブルックリンのベイリッジにある聖マリア訪問修道女会に18年近くいたある修道女は,1972年に提出した辞表の中で次のように説明しています。『わたしたちが慣習と伝統の近代化を試みたとき,多くのシスターは幻滅を感じました。近代化に反対の人たちのがん強な抵抗に遭ったのです。非常に多くの修道女が修道院を去りつつあるのも不思議ではありません』。

修道女たちが行なった調査は,彼女たちの生活を支配してきた無数の規定が無意味であり,クリスチャン的生活を送る助けになるというよりも不必要に拘束的であることを明らかにしました。たとえば,神聖な由来のあるものと考えられていた彼女たちの修道服つまりドレスは,幾世紀か昔の農婦たちが着ていた服の型にすぎないことを彼女たちは発見しました。また彼女たちのベッドの回りにつるしてある,何か神聖な意義があるものと彼女たちが考えていたカーテンは,もとは暖かくするためにつるされただけのものであったことも分かりました。ですから,セントラル・ヒーティングのある今日では全く必要のない代物です。

第二バチカン公会議が奨励した調査は,実際に近代化が試みられた時,結局は幻滅と紛争を生み出す結果となりました。しかしもう一つ,修道女の大量離脱の一因となった要素があります。それは世の女性たちの態度とその地位の変化です。

修道女たちは,1960年代の半ばに盛んになった女性解放運動の精神に巻き込まれていました。そのようにして新しい独立意識を吹き込まれていましたから,幻滅を感じるようになった時彼女たちは勇気づけられて修道院から出てしまいました。他の修道女たちもそれに勇気を得て出て行くというふうになり,修道女の離脱はしだいに速度を加えました。

別の重要な要素

しかしながら,教会を刷新するための努力は他の事柄をも発見する結果となり,修道女たちは混乱しました。多くの者が聖人の列から除かれ,今では金曜日でも肉を食べることができ,教会から偶像が取り払われています。しかしそれだけではありません。以前修道女だったある人は,「三位一体,霊魂不滅,煉獄,地獄の辺土および地獄の火などのカトリックの基礎教理が,聖書に基づいたものではなく異教から来たものであることも知りました」と語りました。

事実は明らかです。カトリック教会は,神と神の目的に関する聖書の真理を教えていないのです。修道女たちの間に失意が広がっていても不思議ではありません。「わたしは自分が霊的に飢えていくのを感じました。わたしたちの修道院では,神の王国について話すことも,それに対する希望もありませんでした。修道女が自然に神について話すことなどまずありませんでした」と,マサチューセッツ州,アダムスに住むある元修道女は語りました。カトリック当局者さえ,霊的貧困を公然と認め始めました。たとえば,カトリック司祭アンドリュー・M・グリーレーは最近つぎのように書きました。

「教会内には,石油不足以上に深刻な宗教的エネルギー危機が存在する。多数の人々は宗教に飢え,生と死,善と悪,愛と憎しみ,一致と相違,神と人間といった重大な問題についての啓発と導きに飢えている。

「ローマ・カトリック教会はとうてい,1974年に光明を与えてくれることを彼らが当てにできるような存在ではない。(また他の教会に頼ってみたところで大した益にはならない)」― 1974年1月11日の「ザ・ナショナル・カトリック・レポーター」。

司祭までがこのような言い方をする教会を修道女たちが去って行くのを非難することができるでしょうか。そしてもし他の教会も同じほど霊的貧困であるとすれば,神と神の目的に関する聖書の真理を知るにはどこへ行けばよいのでしょうか。

修道女たちは満足のいく答えを見いだしている

信頼できる霊的教えを与えるところがあります。マサチューセッツ州,アダムス出身のある元修道女は,1969年に修道院を出たあと次のように言いました。「カトリック教会は真理を教えていないという結論を得たので,わたしは教会へ行くのをやめました。しかしどこへ行けば真理が見つかるのか分かりませんでした。のちほど二人のエホバの証人がわたしの家を訪れたので,わたしは喜んで家の中に招じ入れ,話をしました。

「わたしはまた誤導されていないかどうか確かめたいと思い,証人から教えられることをよく調べました。しかし,二,三回勉強しただけで,エホバの証人が聖書から真理を教えていることが分かりました。非常に道理にかなっていますから真実でないはずがありません。神が三位一体でないことを学んだときには特にうれしく思いました」。

神とその遠大な目的についての真理を学ぶことは人の心を満足させますが,エホバの証人の間にある純粋の愛を経験することも心を暖かくします。「この愛は彼らの聖書の教えよりも強くわたしの心を引きつけたくらいです」と,10年間修道院にいた元修道女は言いました。彼女は昨年の一月パラグアイで,エホバの証人によるバプテスマを受けました。

あなたは修道女ですか。あるいは修道女でしたか。どこかの宗教団体に所属していますか。キリストやキリストの初期の追随者たちと同様の方法で神に仕えることを望んでおられますか。一世紀のクリスチャンたちを本当に見倣っている現代のクリスチャンたちと暖かい,愛のこもった交わりを持ちたいと思われますか。エホバの証人は心から喜んであなたをお助け致します。この次に証人たちがあなたの住んでおられる区域を奉仕で回る時に,そのことを彼らにお話しください。あるいは当誌の発行者に手紙でお申し込みいただいても結構です。

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