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目ざめよ! 1976
目76 2/8 8–10ページ

動物の遊び

冷蔵庫の置いてあった場所をかたどるかのように輪ゴムが山積みされていました。二人の運送屋は信じられないといった顔付きで,訳を聞きたそうにわたしのほうを見ました。

「うちのネコのなんです」とわたしは早口に言いました。「輪ゴムを集めるのが好きでしてねえ」。

でも,これは作り話などではありません。わたしのネコは輪ゴムに対して何か特別な感情を抱いているようです。親指と人差し指で輪ゴムをくるくる回すと,ネコは,その黒くて小さい二本の足と黒い鼻を輪ゴムに近付けて来ます。ネコは輪ゴムを欲しいと思うと足先を広げ前足を伸ばしてそれをたたき落とし,前足を交互に使って輪ゴムをホッケースタイルで追い掛け,ついには人間の食べ物を保存するために作られた,電気装置のうなりが聞こえる“ゴール”の下に入れてしまうのです。

動物は遊びますか。この点で動物学者の意見は異なっていますが,それは主に遊ぶという言葉の定義の面で一致できないからです。動物は遊ばないという説を唱える人は,わたしたちが遊びと呼ぶものを狩猟の練習とみなす傾向があります。しかしニーファー(わたしのネコの名前)を見ていると,生きてゆくために輪ゴムに襲い掛かったり,捕まえたり,蓄えたりしているなどとは考えられません。それに,もう十歳にもなるニーファーが,「成長してから生きてゆくための練習をしている」,という説明も道理にかないません。ニーファーは,必要とあれば,皆にいやがられているネズミの跡をつけることもできます。それは生きてゆくための務めと言えますが,輪ゴムは単なる遊び道具にすぎません。

普段,わたしたち人間と同居し,人間のごちそうにあずかり,家具の上や下で眠り,人間がいるとますますじゃれるような動物の話は,ここまでにしておきましょう。

農場のいたずら者

人間の環境からもう少し離れた所にいる動物の場合はどうでしょうか。農場に行って普段余り接することのない動物を見てみましょう。ブタを見て感嘆する人はまずいませんから,柵に寄り掛かってブタを見物する人もあまりいません。米国インディアナ州に住むわたしのある友人の家では,思い掛けない事から小ブタを一頭飼うことになりました。それから数か月のうちに,その家族はブタもやはり遊ぶということを知りました。その家族は小ブタを“プリシラ”と名付けました。このプリシラ(姓はピッグ)はネコがすることなら大抵のことはします。しかし,肉付きが良くネコのようなしなやかな体をしていないため,同じ動作をしても全く違って見えます。ネコはくるくる走り回って自分のしっぽを追い掛けます。しかし,ゴムのような皮膚をした小さな動物が,短くてこわばった足に支えられたたるのような体で同じ動作をしているところをできるものなら想像してください。またブタは背中をかいてもらうのが好きです。プリシラは,人が足を組んで腰掛けていると,垂れているほうの足元へ背中をすり付けてきます。はねつけられると,ブタはジグ・ダンスをするような格好で怒りを表わします。欲求不満と怒りの余りキイキイ叫び声をあげながらその小さな足を踏み鳴らすのです。

行動主義心理学者の中には,動物にも“欲求不満”や“怒り”の感情があると考えることをためらう人が少なくありません。しかし有名な動物学者ジャック・クストーは,動物が人間と同じ特性を持つという考えを戒めながらも,次のように述べている点は注目に値します。「しかし我々は,動物には表現力が全くないとして動物を過小評価してはならない」。

野性動物の遊び好きな子供たち

ところで,人間の近くに住む動物の子供によく見られる遊び好きな性質は,全く飼い慣らされていない動物の子供にも見られますか。この質問について考えるため,農場に別れを告げアフリカの草原に出掛けましょう。ここではものうげにしっぽを動かしている母親のライオンが草の上に寝そべっており,その回りで子供たちがじゃれているのが見られます。一度しっぽが動き出すと,子供にとってそれはもはや母親の体の一部ではなくなります。まさに征服せねばならない怪物なのです。大きなひとみを輝かせ,何かを思いつめているようなかわいいライオンを見てください。身をかがめ,おしりを震わせてねらいを定めているかのようです。たぶん本当にそうしていたのでしょう。それから急に飛び付いて,ついにしっぽを捕まえました。妹ライオンはねらい損ねて,兄ライオンに飛びついてしまいました。二匹とも鳴き声を上げて上下になりながら,転げ回って大騒ぎをしています。

遊び好きな海の動物たち

クジラの子が遊んでいるのを見た人はありませんが,生物学者のビクター・B・シェファーは「クジラの一年」という著書の中で,自分が“クジラ坊や”と名付けた群棲動物を観察するよう読者を海に案内してくれます。誕生の際,“クジラ坊や”はまずしっぽから現われますが,これはクジラ類の動物が空気を吸って生きているという実際的な理由のためです。もし反対に頭から出て来るなら出産が完了するまでにおぼれてしまうでしょう。最後にずんぐりした頭が現われますが,母親から離れるとき,その体長は4メートル余り,体重は1㌧もあります。こうして生まれたクジラの子供たちはその後四か月もすると,南方数千㌔のアラスカから漂流して来たような丸太など,面白い物を海のかなたに見付けます。あるクジラの子は「丸太を口にくわえ,クジラの言葉でうなりながらそれを左右に振り回し,海底の恐ろしい生き物と戦っているつもりになっている。何と愉快な光景だろう」。シェファーは以上のように書いています。

動物学者ジェラルド・ダレルは「ささやく大地」(この叙情的な題名はアルゼンチンのパタゴニア地方を指している)と題する著書の中で,別の動物のこっけいな遊びについて述べています。ダレルはオットセイの子を便宜上オズワルドと呼んでこう述べています。「その決意と個性は,背丈の足りなさを補ってなお余りある……きらきら光る長い緑色の海草に近付こうと懸命だった……わずかに風が吹き海草の端が舞い上がるや……オズワルドは向きを変え,ひれを精一杯動かしてばたばたと走り……再び用心深く海草に近付いた……まるで大きな平たいひれ足のつま先で歩いているような印象を与えた」。勇気を奮い起こしてついに海草目掛けて突進したオズワルドは,ダレルが観察しているように,「緑の口ひげさながら口の両端から海草をぶら下げ,一回で敵を参らせたことに満足したかのように」その戦利品を携え,気取って歩いて行きました。

その他の動物の遊び

またダレルは,彼のキャンプのすぐ近くで二匹のキツネがきれいなピンク色のトイレットペーパーで遊んでいるのを観察したときの様子をこう述べています。「それが食べられないと分かると,キツネはトイレットペーパーをあちこちにほうり投げながら,細い足で踊るように走り回った……キャンプ場一帯はさながらお祭り騒ぎだった」。余興が終わると,約36㍍のトイレットペーパーがそよ風に舞っていました。

カワウソは北方の森林に住んでいます。大抵の動物学者はこの動物が遊ぶことを認めています。しかもただ楽しむために遊ぶのです。シューッ,ザブンという音が何度も繰り返し聞こえたなら,普通では見られないすばらしい芸当を無料で目の当たりに見ることができるでしょう。シューッという音は,カワウソが苦心して石を取り除き滑りやすくするために自分の毛皮でぬらして作った,土の滑り台を降下するときの音です。カワウソは,下まで滑って池や川に勢い良くザブンと飛び込みますが,これを何度繰り返しても飽きないようです。冬になると,滑り台の材料にこの季節特有の雪を利用して同じスリルを味わっているカワウソの姿が見られます。

ピーター・マーラーとウィリアム・J・ハミルトン三世はこう述べています。「魚類を除くすべての脊椎動物に関し遊ぶという行動の記録がある」。しかしわたしは,太平洋上で,客船と競争するトビウオを見たことがあり,また,米国フロリダ沖の海上で大きなマカジキ属の魚が海面上にはね上がり,尾びれで数秒間立っているかのような格好をし,再び海中にくずれ落ちるのを見たことがあります。これは,釣針に引っ掛かりその痛みから逃れようとしているのでない限り,見るからに楽しそうです。シェファー氏は「遊んでいるイルカ」(もちろんクジラの一種)が,「静かな海から突然現われ,宝石のように光り輝くしぶきを無数にまき散らして行く」と述べています。もしこれが動物にとって楽しいことなら,たとえそれが魚の場合であっても遊びには変わりないのではありませんか。

他の国々ではオウムあるいはボタンインコと呼ばれているオーストラリアのセキセイインコは,鳥が遊ぶことを示す同じような例です。かごの中のセキセイインコが,消防士が柱を伝って降りるように,鳥かごの針金を滑り降りるのをご覧になったことがありませんか。

さてわたしたちは,家の中の動物,農場の動物,草原や森林,空や海の動物を見てきました。では,ジャングルにいる動物はどうですか。

ジャングルではチンパンジーの母親が,自分の赤ん坊をくすぐっています。赤ん坊はもがいて転げ回り,母親もふざけて赤ん坊を転がします。ですからチンパンジーは同じ年配のものとだけ遊ぶのではなく,人間と同様大人のチンパンジーが幼いチンパンジーをかわいがり,あれこれ手を出してもっと遊ばせようとするのです。

遊ぶとはどういう意味ですか。すでに述べたようにあらゆる人が同意する定義はありませんが,遊びとは,当面の実用的な目的を伴わない活動である,という点では意見の一致が見られるようです。遊びには,別の時であれば実用的な目的のために用いられる動作(例えば身をかがめたり,そっと忍び寄ったりすること)が含まれていても,仕事に必要とされる行動の全過程は含まれていません。もちろん,それには楽しさ,つまり面白さという要素が伴わなければなりません。それで「動物の生態のメカニズム」という本に書かれているように,ネコやキツネやマングースの子は,それ自体何も危くない木の葉やひもなど,目障りな対象物の跡をつけます。彼らはそれに近付き,そして高く飛び上がります。

セルバンテスは,「ネコと遊ぶ者は引っかかれることを予期せねばならない」と言いました。わたしはこのように言い替えたいと思います。「ネコや神の造られた他の動物と遊ぶ者は,笑いの止まらないことを予期せねばならない」。―寄稿。

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